【第9回】「ハカセとNARIのときめくアート」住友邸を飾ったモネなどの洋画コレクションを堪能 泉屋博古館「光陰礼讃」5月21日まで

今回、ハカセとNARIの2人が訪れたのは、京都にある泉屋博古館。住友家から寄贈を受けた美術品を中心に保存、研究、展示公開を行っている美術館です。美術館の名前は、住友家の江戸時代の屋号が「泉屋」であったことと、中国・宋時代の青銅器図録「博古図録」にちなんでいます。
美術館の収蔵品としては青銅器が有名ですが、今回の展覧会「光陰礼讃-近代日本最初の洋画コレクション」は、モネをはじめとした西洋絵画や、日本の近代洋画コレクションを楽しめるものとなっています。
コレクションは、第15代住友吉左衞門友純(号:春翠)によって蒐集されたものが中核となっています。春翠は、公卿の徳大寺家から養嗣子として住友家に入りました。兄には首相を務めた西園寺公望がいます。
春翠は、1897年に7か月かけて欧米の視察旅行を行いました。パリでは画商で有名な林忠正の仲介で、今回展示されているモネの作品2点などを購入しました。林忠正は、浮世絵などの日本の美術品をフランスで販売して、ヨーロッパにおけるジャポニスムブームの一翼を担った人ですね。
《サン=シメオン農場の道》はモネ初期の風景画。バルビゾン派のような印象を受ける作品。サン=シメオン農場はのちに印象派となる画家たちが滞在した場所で、彼らが集ったと思われる建物が描きこまれています。
《モンソー公園》は印象派らしい作品。似たような構図を持つこれら2作品は、住友須磨別邸の大食堂に並べて飾ってあったそうです。今回の展示もそれにならって並べての展示となっています。
《マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち》は、ジャン=ポール・ローランスの代表作のひとつです。
フランス革命戦争で活躍した青年将軍マルソーが戦死した際、オーストリア軍のカール大公が遺体をフランス軍に引き渡すにあたり、葬儀への参列を条件としたエピソードを描いたもの。命を懸けて戦う者同士の尊敬の念が画面から伝わってきます。
《加茂の競馬》は鹿子木孟郞が京都・上賀茂神社で毎年5月5日に開催される「賀茂競馬」を描いたもの。この行事は、我が国の競馬の発祥と言われているそうで、今年はなんと930年記念の年!
本作品の展示は、記念すべき年のコラボ展示にも位置づけられています。
田村直一郎《武甲山入口夕陽》は、絵の具をたっぷりと盛り上げて描いた作品。ハカセくんも言っていますが、謎の画家で、どういう人物なのか全く分かっていないそうです。
明治38年(1905年)の作品で、厚塗り技法が日本で使われた最初期のもの。当時、人々はどんな風にこの技法を観ていたのか気になりますね。
斎藤豊作は、東京美術学校西洋画科に入学、黒田清輝らに学びました。フランス留学も経験し、帰国後、来日していたフランスの画家カミーユ・サランソンと結婚。その後、フランスサルト県のヴェネヴェルにある古城を手に入れ、「半農半画人」と称して暮らしました。色彩感覚が、同時期の日本人画家と比べて明らかに異なるのが印象的です。それにしても、フランスの古城での暮らしとは、どんな風だったのでしょうね。
神戸の住友須磨別邸(明治36年竣工)には、春翠が集めた洋画が各部屋に飾られました。当時は日本にあまり美術館が無かった時代。日本の画家たちは、本格的な洋画を観られる場所としてしばしば訪れたそうです。しかし、太平洋戦争中の空襲により、ラファエル・コランの《裸体美人》や黒田清輝《朝妝》などの名画とともに全焼してしまいました。別邸があった場所は、現在、須磨海浜公園が整備され、門柱などの遺構が当時の面影を残しています。
展覧会では、別邸の精巧な1/100模型が展示されていました。模型を眺めていると明治・大正時代の須磨別邸にご招待されて、敷地内に足を踏み入れた気分になるのでした。
企画展 光陰礼讃-近代日本最初の洋画コレクション |
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泉屋博古館(京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24) |
会期:2023年3月14日(火)~ 5月21日(日) |
開館時間:午前10時 ~ 午後5時(入館は午後4時30分まで) |
月曜日、4月25日(火) |
入館料:一般800円 高大生600円、中学生以下無料 |
詳しくは館の公式サイト(https://sen-oku.or.jp/kyoto/)へ |
(アート探訪インスタグラマー、マンガ家・NARI)
NARIさんのインスタグラムはこちら。
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