美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】第17回「いろはの㋹」――霊峰富士は、江戸っ子の憧れ

葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」

富士山が“霊峰”と言われるようになったのは、はるか昔のことである。

平安時代には、末代上人という僧侶が何度も富士山に登り、登山道を切り開いたという。それ以前から「不二の山」という言葉があるように、この山は人々にとって「唯一無二の尊い山」だった。11世紀半ばに制作された「聖徳太子絵伝」(国宝)が現存する富士山を描いた絵ではもっとも古いものといわれているが、この絵ではウマに乗った聖徳太子が富士山頂近くを「飛んで」いる。室町時代、狩野元信が描いたと伝えられる「絹本著色富士曼陀羅図」(重要文化財)には、多くの人々が山頂を目指す姿が描かれている。黄金に輝く山の頂には仏の姿があり、雄大で荘厳な姿をあらわにしているのである。

江戸時代初期には「富士講」という組織も生まれ、団体で「富士参詣」を企画。最盛期には「江戸八百八講、講中八万人」というほどの信仰を集めた。「形が綺麗なことに加え、街のどこからでも、その姿を見ることができる。当時は今のように高層ビルなどなく、大気汚染もなかったですから」。太田記念美術館の日野原健司主席学芸員は、江戸の「富士山人気」の理由を推測する。常に目の前にそびえる美しい山は、神秘的であると同時に現代の私たちが東京タワーや東京スカイツリーに感じる以上に身近なものだったのだろう。

歌川広重「冨士三十六景 駿河三保之松原」

江戸のランドマークであった富士山は、浮世絵でも多くの画題になってきた。とはいえ、それが「風景画」の「主役」となるのは、19世紀もしばらくたってから。そう。葛飾北斎が「冨嶽三十六景」を発表してからである。冒頭に挙げたのは有名な「赤富士」だが、「神奈川沖浪裏」「山下白雨」などの傑作が数多く収録されたこのシリーズは、当時の江戸でも評判になった。北斎にインスパイアされて、例えば歌川広重は「冨士三十六景」、歌川国芳は「東都冨士見三十六景」を発表する。あたかも「富士山ブーム」ともいえそうな状況が、「風景画」の世界で起こったのである。下に紹介した国芳の絵もそのひとつだが、「リアルなタッチ、遠近法を使った作画など、西洋画の技法を取り入れようとした跡が見られますね」と日野原さんは話す。その姿を描くのに、絵師たちは知恵を絞ったのである。

その中でさえ、北斎の描く霊峰は、多種多彩な姿を見せている。「赤富士」や「山下白雨」のように、画面のど真ん中で堂々と「主役感」を出しているものもあるし、荒れる海の向こうに山が見える「神奈川沖浪裏」や、桶職人が丸く作っている木桶の中にちょこんと山が見える「尾州不二見原」のように、絵の中の「アクセント」的に描かれたものもある。これらの作品では、人々の様々な営みが「富士山の見える風景」の中で描かれており、山はそれをただ「眺めている」ようだ。それは、「風景画」であると同時に「風俗画」でもあるようだ。

歌川国芳「東都冨士見三十六景 新大はし橋下の眺望」

個人的な感想で申し訳ないが、そういう北斎の感覚は、「義経千本桜」に似ていると思う。義太夫狂言の「三大名作」とされるこの作品、「義経」が題名に掲げられているのだが、個々のエピソードの主役は源義経ではない。母を思う「狐忠信」の妖狐、滅びの中、最期まで「主上」の行く末を案ずる「渡海屋/大物浦」の平知盛、諍いのあった父親の企てにひそかに助力しようとする「すし屋」の権太・・・・・・描かれるのは、義経が「出会う」3種の「愛情」の物語なのである。義経はそれを「見届ける」者として現れるのだ。

人々の営みを「眺める」神秘の山、人生の悲喜劇と「出会う」落魄の英雄。富士山の絵も「千本桜」も、そこで描かれる「物語」が山や英雄がいることでその色を濃くし、存在感を強くする。逆に言えば、「物語」を「見つめる」ことによって、山の神秘性、英雄の悲劇性が増幅されていく。ストーリーを展開させる「触媒」としての「主役」、そんな構図が双方に共通しているように思うのである。

歌川貞秀「三国第一山之図」

閑話休題。「幕末になると、富士山の俯瞰図、登頂ルートを示した図などが多数作られました」と日野原さんはいう。富士登山が庶民の楽しみのひとつとなり、より具体的なガイドが必要とされる時代になったのだろうか。歌川貞秀が描く「三国一の山」は、ゴツゴツとしていて、そこで描かれている地名なども「実用的」である。もちろんそれは、北斎や広重が描いた「霊峰」へのリスペクトを踏まえてのものだろうが、ある意味、「名所絵」の根本に立ち戻ったともいえそうだし、あくまでも「リアル」にその姿を見ようとする近代的精神の表れ、といえそうだ。時代によって様々な描き方をされた富士山。その絵を見ることは、浮世絵にとって「風景画」とは何か、それは本質的にどのようなものなのかを見つめ直すことにもつながる、のかもしれない。

(事業局専門委員 田中聡)


美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】
江戸時代、日本を代表するポップカルチャーだった浮世絵。マネやゴッホなど西洋の画家たちにも影響を与え、今や世界に誇る日本文化のひとつ、とまで言われている。そんな浮世絵の「いろは」をいろは47文字に併せて学んでいくのが、この連載。浮世絵を専門に収集・研究・展示している太田記念美術館(東京・原宿)と美術展ナビのコラボレーション企画だ。