美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】第11回「いろはの㋸」――累々と進歩は続く

〈師宣の出現で華麗な浮世絵版画の歴史の幕は切って落とされた〉
浮世絵研究でも知られる作家の高橋克彦氏は『浮世絵鑑賞事典』でこのように書いている。師宣とは、菱川師宣(?~1694)。切手でおなじみ「見返り美人」の作者である。
浮世絵の「浮世」は、浮かれ遊ぶ現世であり、そこで流行る今様の事象のことである。師宣以前にも、それを画題にした絵師は存在した。「洛中洛外図屏風(舟木本)」などを描いた岩佐又兵衛(1578~1650)が代表格だろうか。歌舞伎狂言『吃又』に登場する「浮世又兵衛」のモデルとも言われる人物である。ではなぜ、師宣が「浮世絵の祖」といわれるのか。それは師宣が「版画」を中心に活躍したからだ。それ以前、又兵衛ら「浮世」を描いた絵師たちは、肉筆画を主な発表形式としていたのである。
「浮世」、つまり庶民の風俗が画題として取りあげられるようになったのは、安土桃山時代からである。又兵衛だけでなく、狩野派の絵師たちも「洛中洛外図」を盛んに描いた。そして、「浮世」をテーマにしたのは絵画だけではない。江戸時代初期には、様々な風俗を「絵本」で紹介した。「江戸時代の出版には『挿絵文化』というべきものがあって、多くの刊行本には絵が付いていました」と太田記念美術館主席学芸員の日野原健司さんはいう。大衆をターゲットにした「絵本」が「絵」を重視したのは言うまでもないだろう。そこから絵だけを独立させて刊行したのが「浮世絵版画」の原型。というわけで、そういう流れの中心に、師宣はいたのである。

刊本の挿絵が独立したものだっただけに、最初期の浮世絵版画は墨一色の「墨摺絵」であった。そこから木版画の技術とともに、浮世絵は進歩をし始める。墨摺りの版画に筆で色を加えた「丹絵」、「紅絵」、「漆絵」……。18世紀半ば頃になると、多色摺である「紅摺絵」が誕生する。とはいえ、この時代使われていた色は、「黒」と「赤」と「緑」ぐらいだった。
〈初期の浮世絵が手がけた画題は、当時の一般庶民が最も興味を引く自分たちの人間社会をテーマにしたことは当然であり、その人間社会とは歌舞伎と遊郭の世界であった〉。山口桂三郎氏は『浮世絵の歴史』の中でこう書く。歌舞伎は「役者絵」、遊郭は「美人画」へとつながった。各地の名所を描いた「名所絵」は風景画へとつながり、「赤本」や「黒本」などの「草双紙」で描かれていた英雄たちをテーマにしたものが「武者絵」となっていく。

浮世絵が次のブレイクスルーを迎えるのは、明和年間(1764~72)のはじめである。前回、㋦のところでも書いたが、鈴木春信(1725?~1770)の時代、華麗な多色摺である「錦絵」が生まれるのである。〈師宣の存在も、確かに大きなものではあったが、錦絵の創始に関わった春信の業績ほど、光り輝いているものは他にない。彼を真の意味での「浮世絵の創始者」と考える人も多く存在している〉と高橋氏は『浮世絵鑑賞事典』で述べる。錦絵の誕生で、浮世絵はさらに大衆人気を高めていく。

18世紀末の東洲斎写楽の登場、19世紀に入ってからの葛飾北斎の活躍などで、浮世絵はさらに画題を深化させ、技法を広げていった。北斎と歌川広重は「風景画」の世界を広げていき、歌川国芳一門などの「風刺画」を通じ、浮世絵は「世情のアラ」を切り取るメディアの役割を強めるようになる。「ベロ藍」など、絵の具の発展、透視画法などの西洋技法の影響などもあり、幕末へと浮世絵は発展していった。
「やはり浮世絵は、『木版画』がメーンであることの意味が大きかったと思います」と日野原さんはいう。「不特定多数の人に同じ内容の作品が行き渡る。元来、数多く世の中に出回る木版画は『一点もの』の肉筆画よりも下に見られがちだったのですが、人口が爆発的に増加した新興都市・江戸の大衆メディアとして、情報を共有できることの意味は大きかったのではないでしょうか」
明治時代、西洋的な技法との融合で「光と闇」をリリカルに表現した「光線画」が生まれた浮世絵の世界。それは「新聞錦絵」などを通じ、新時代の風俗を写すメディアの要素を強くした。そして、19世紀後半から20世紀にかけて技術が大幅に発達した「写真」に、「大量頒布のためのメディア」という役割を譲っていった――。
「庶民を描く」絵画で始まった浮世絵は、「庶民のための」メディアとして発展した。それは江戸という「新しい都市」の象徴だったのかもしれない。
(事業局専門委員 田中聡)
江戸時代、日本を代表するポップカルチャーだった浮世絵。マネやゴッホなど西洋の画家たちにも影響を与え、今や世界に誇る日本文化のひとつ、とまで言われている。そんな浮世絵の「いろは」をいろは47文字に併せて学んでいくのが、この連載。浮世絵を専門に収集・研究・展示している太田記念美術館(東京・原宿)と美術展ナビのコラボレーション企画だ。