美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】第5回「いろはの㋭」――彫師ってどんな仕事?

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喜多川歌麿「五人美人愛敬競 兵庫屋花妻」

浮世絵版画の制作は、集団分業体制である。絵師は版下絵を「描くだけ」であり、その絵を彫師が山桜の木の板に彫り、摺師が指定された色で摺る。もちろん版下絵の善し悪しは、浮世絵版画の出来不出来を決定する大きな要素ではあるが、〈その版下絵を生かすか殺すかは、彫師、摺師の技術に大きな比重がかけられ〉(高橋克彦『浮世絵鑑賞事典』)ていたのである。

上に挙げたのは、美人画の名手、喜多川歌麿の作品。注目して欲しいのは、この女性の頭部である。髪の毛一本一本まできめ細かく表現されているのだが、考えてみてほしい。これは版画なのである。

「(髪の毛の生え際などを彫る)毛割りは、まさに彫師の腕の見せどころでした。1㎜の中で3~4本、名人であれば5~6本を彫ることができたといいます」と太田記念美術館の日野原健司主席学芸員は話す。「一人前になるには10年はかかったと言われています」という彫師だが、中でも人間の頭の部分を彫る「頭彫り」は、親方級の職人だったそうだ。

「頭彫り」と対になるのは「胴彫り」、つまり人物の胴体部分、着物の柄などを彫る職人である。これは経験の浅い、まだ修業中の彫師だった。一般的にいって、浮世絵版画の版木は、ひとりの職人がすべてを彫るわけではなかった。頭、手足、胴体、背景などに分けて、レベルの違う複数の職人が彫りを担当したのである。最初に担当するのが胴彫り。〈胴彫りの次は頭彫りの修業へと入っていく。先ずは人物画の手足を彫ることからはじめ、とくに指さきの彫りを練習させる。次に耳、そして顔の全体に及び、最後に髪の毛の彫りへと移っていく〉と国際浮世絵学会名誉会長で岡田美術館館長の小林忠氏は『江戸浮世絵を読む』で説明する。絵師によっては、彫りに対するこだわりが強い人もいたようで、特に葛飾北斎は注文が多かったことで知られている。

歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」

では、実際の「彫り」はどんなふうに行われたのか。

「絵師が描いた版下絵がありますよね。それを山桜の木に貼り付けて、下絵の線ごと彫っていくのです」と日野原さんはいう。「つまり、最初の版木を彫り終わった時には、絵師が描いた『原画』はなくなってしまうわけです」。オリジナルが消失してしまうアート。ちょっとびっくりしてしまう。

彫師の仕事は一つ版木を作れば終わり、というものではない。何種類もの色を使う錦絵を摺り出すためには、色ごとに版木を作らなければならないのである。「最初の版木に墨を付けて摺ると、元の絵のコピー(墨摺絵、校合摺)ができますよね。それを使えば、いくらでも版木を作ることはできるわけです」と日野原さん。〈(絵師は)たとえば、墨板と他に三色を使うとなれば、三枚の墨摺絵に、それぞれ着色する部分を朱色で色づけし、赤なら赤、青なら青と余白に文字で色を指定する。こうして色ざしのすんだ墨摺絵は、ふたたび彫師にまわされ、今度はこの絵を版木に貼りつけ、前と同じ方法で色板が作られる〉(『浮世絵鑑賞事典』)のである。「一枚の浮世絵版画のために、5、6枚の版木は使ったようです。しかも片面だけでなく、裏面も同じようにして色板として使い、10色以上の色を摺ることも普通にありました」と日野原さんはいう。

色彩以外の効果のための版木もある。上に挙げた歌川広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」は、激しく降りしきる雨の描写で有名だが、角度の異なる2種類の斜めの線を重ねることで雨を表現しているのだ。浮世絵版画の技術は年々進歩し、大正・昭和期の「新版画」の時代、吉田博の作品では、70回、90回と摺りを重ねて1枚の版画を作り出すこともあった。「見当」という技術を使って摺りをずらさないようにしていたというが、それにしてもどれだけ正確な技を持っているのか、と感嘆してしまう。

「どんどん色を重ねていく、こういう方法は、パソコン上でCGに色を重ねていく技術とも似ています」と日野原さん。21世紀の今にも重なる浮世絵版画の職人技。「彫り」の次には「摺り」の技術もあるのだが、それはまた別の回で説明しよう。

(事業局専門委員 田中聡)

美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】
江戸時代、日本を代表するポップカルチャーだった浮世絵。マネやゴッホなど西洋の画家たちにも影響を与え、今や世界に誇る日本文化のひとつ、とまで言われている。そんな浮世絵の「いろは」をいろは47文字に併せて学んでいくのが、この連載。浮世絵を専門に収集・研究・展示している太田記念美術館(東京・原宿)と美術展ナビのコラボレーション企画だ。