【探訪】欧州文化の行きかう巨大十字路、その実像を伝える圧倒的展示 「パリ・オペラ座—響き合う芸術の殿堂」展 香原斗志

「美術展ナビ」の読者には「お城の評論家」としておそらく認識されているであろう香原斗志さん。しかしクラシックファンには、オペラを中心とした音楽評論家として広く知られています。そこで東京・京橋のアーティゾン美術館で開催されている「パリ・オペラ座」展を歩いてもらいました。オペラ座で実際に何度も観劇したことがある香原さん。いたく知的好奇心を刺激された様子です。
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アーティゾン美術館に対して失礼になりかねないが、あえて正直にいうと、「パリ・オペラ座-響き合う芸術の殿堂」と聞いても、「そりゃあ殿堂でしょう」という程度の受け止め方で、大きな期待は抱いていなかった。
オペラ劇場に付属する美術といえば、一般には劇場内外の装飾をのぞけば舞台装置や衣装が中心になる。だから、内装を飾る絵画の下絵などのほかは、過去の舞台画や衣装が展示されるのだろう――。勝手にそんな印象を抱いていたが、11月4日の内覧会に参加して、浅はかな思い込みは完膚なきまでに覆された。

たしかに、パリ・オペラ座は「オペラの殿堂」である前に「芸術の殿堂」だ。ちょうど350年前、ルイ14世の時代にその前身が誕生して以来、バレエをふくむオペラという総合芸術のいわば総本山として、あらゆる芸術や文化が行き交う十字路でありつづけた。とりわけ19世紀には、高い志をもつ作曲家のだれもが、自作をパリ・オペラ座で上演したいと願ったので、なおさらである。

だから、建築やそれを飾る美術のほか、舞台上演にまつわる芸術的なあれこれが、いずれも時代の最高峰であったのはもちろんのこと、オペラ座内の情景から舞台の光景、出演者、そして楽屋の様子にいたるまでが、時代を代表する芸術家たちの好奇心の対象となった。その結果、オペラ座を主題にした芸術作品にも、驚くほどの傑作がそろっている。
この展覧会は、そうした全体を見せてくれるものだったのである。パリ・オペラ座とその周辺を彩った芸術や文化が多面的に展示され、重層的に紹介されている。しかも、一つひとつの水準が高いので、おおいに驚かされることになった。
著名オペラの初演時の様子が生々しく伝わる
内覧会では、音楽もしくはオペラ関係者は私のほかに見当たらず、大半は美術関係者と見受けられた。そういう人たちがあまり足を止めない展示物には、じつは、オペラファンであれば涙を流すか、よだれを垂らすか、あるいはその両方が避けられないと思うほどのものが数多かった。

たとえば自筆譜なら、ルイ14世の時代にフランス・オペラの基礎を築いたリュリの《アルセスト》、その次代をになったラモーの《レ・パラダン(遍歴騎士)》、オペラに改革をもたらしたグルックの《オルフェとウリディス(オルフェオとエウリディーチェ)》の自筆譜を拝める。また、それらと同時代の舞台のスケッチやオペラ座の内外観を描いた絵なども同時に鑑賞できる。音楽こそ流れないが、初演された当時の様子が生々しく伝わる。
あるいは、パリ・オペラ座で初演されたロッシーニの最後のオペラ《ギヨーム・テル(ウィリアム・テル)》の自筆譜の横には、初演の2年後にダンタンが完成させたロッシーニの胸像が置かれ、タイトルロールを初演したアンリ・ベルナール=ダバディ(バリトン)の立ち姿を描いた絵がかかる。ロッシーニ・フリークの私は、写真で馴染んでいたこれらにはじめて生で接して驚喜した。

《ギヨーム・テル》がその嚆矢だが、王政復古期以降の19世紀のパリ・オペラ座はグラントペラ(グランド・オペラ)の時代だった。4幕から5幕でバレエをふくむ大がかりなグラントペラを象徴する作曲家がマイアベーアだが、カリエ=ベルーズの手になるその胸像のほか、代表作《悪魔のロベール》の舞台を描いた絵画が複数ならび、初演のタイトルロールだったアドルフ・ヌーリ(テノール)らが三重唱を歌う絵もある。
1875年にガルニエ宮ができる以前の、1873年に焼失したル・ペルティエ劇場の内外観も、多角的に確認することができた。
19世紀後半のものは、グノーの《ファウスト》の舞台画や衣装の小道具など、フランス人作曲家にまつわる展示物が充実しているのはもちろんのこと、ヴェルディの《ドン・カルロス》がパリ・オペラ座で初演された際の舞台美術画や、その舞台で使われた王冠などもならぶ。

その時代のものでとくに充実しているのが、ワーグナーに関連する展示である。ルノワールが描いた肖像にはじまり、とりわけパリで改訂版が初演された《タンホイザー》にまつわるものの中味が濃い。バレエ挿入部の自筆譜や初演ポスターのほか、ルノワールが描いた第1幕の場面2点、ファンタン=ラトゥールによるヴェーヌスベルク、そして舞台デザイン画や舞台の模型、衣装の小物にいたるまで、1861年の様子にさまざまな角度から想像をめぐらせることができる。

一流の絵をとおして伝えられるオペラ文化史
上記はオペラ愛好家の視点で眺めた際の、それもクライマックスに絞っての表記で、この展覧会の一端にすぎない。では、著名な画家の絵を味わう、という方向からこの展覧会を踏査するとどうなるだろうか。
ヴァトーの「雅宴画」やブーシェの装飾画とオペラの舞台の関係をはじめて実感した。ブーシェが描いた舞台画や衣装画もならび、ロココの美術と当時の舞台芸術がいかに近縁であるかがわかる。
ドラクロワが描いたダンサーたちの姿には、オペラやバレエを飲み込んだロマン主義の波が肌で感じられる。また、風刺画で知られるドーミエは、オーケストラの模様も人々の観劇の様子も活写している。
19世紀後半に活躍した著名なバリトン、ジャン=バティスト・フォールがマネの絵画の収集家であったことは、この展覧会ではじめて知った。トマ作曲《ハムレット》のタイトルロールに扮するフォールを、マネが異なったタッチで描いた2点が、絵画としても、当時の舞台を知るうえでも興味深い。マネによるオペラ座の仮面舞踏会も、同じ年に描かれながらタッチが異なる2点がならぶ。

オペラ座の踊り子といえば、マネと同世代のドガである。30代の終わりから、レッスン室や舞台袖の踊り子を描くようになったドガ。彼女たちの身体の動きから緊張感、舞台袖の人間模様までが鮮やかに描かれた作品群を、初期のものから60代の円熟の表現までさまざまに味わえる。

そして、オペラ座が近代化していく様子は、ボナール、マティス、ドニ、レジェ、デ・キリコらの作品を通じて確認できる。もちろん、いまガルニエ宮の天井を飾るシャガールの絵の最終習作も展示されている。
こうして、フランス絵画史に沿うように一流の作品を味わいながら、劇場の歴史、および劇場をめぐる文化史をひと通り、それも深く概観できるなど、稀有なことである。
ほかに、たとえばバレエの視点から眺めても、ルイ14世時代の宮廷バレエの様子から、19世紀のロマンティック・バレエの隆盛、そして20世紀の初期、ディアギレフ率いるバレエ・リュスに人々が興奮した様子までが、生々しく伝わる。

この展覧会には、いったいいくつの入り口があるのだろか。上記したように、入り口にオペラを選んでも、絵画を選んでも、バレエを選んでもいい。あるいは、建築や舞台美術に絞ってもおもしろいだろう。しかし、いずれの入り口から入っても、そこは狭隘な通路ではなく、各所に賑やかで魅力的な交差点があり、ほかの道にも足を踏み入れたくなる。そして脇道から戻ったとき、最初に選んだ道の景色は、さらに鮮やかになっている。こんなに懐が深い展覧会は、そうはあるまい。