鮫島圭代の「学芸員さんに聞く!5分でわかる国宝のみどころ」「国宝 瀟湘臥遊図巻」

東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」
会場:東京国立博物館(平成館)
会期:2022年10月18日(火)~ 2022年12月11日(日)
休館日:月曜日 *12月5日(月)臨時開館
観覧料:一般2,000円/大学生1,200円/高校生900円
*本展は事前予約制です。
*会期中、一部作品の展示替えを行います。
詳しくは(https://tohaku150th.jp/)へ。

今秋の大注目展、「国宝 東京国立博物館のすべて」が、10月18日(火)から2022年12月11日(日)まで、東京国立博物館で開催されます。
この特別連載では、ずらりと並ぶ国宝のなかから、ぱっと見ただけでは鑑賞のポイントがわかりにくい2点にフォーカス!
思わず誰かに話したくなるような「絵の楽しみかた」を、学芸員さんにやさしく教えていただきました。

第2回目の今回は、東洋絵画を研究されている植松瑞希(うえまつみずき)絵画・彫刻室研究員(東洋絵画)による、「国宝 瀟湘臥遊図巻しょうしょうがゆうずかん」(李氏筆 中国・南宋時代・12世紀)の解説です。(展示期間:11月15日-12月11日)

国宝 瀟湘臥遊図巻 李氏筆(絵の部分のみ。このあとに様々な人の文章が書きこまれている)↓上図を拡大
国宝 瀟湘臥遊図巻 李氏筆

―この絵の題名には、どんな意味があるのでしょうか。

この画巻がかんの題名にある「瀟湘しょうしょう」とは、中国にある洞庭湖どうていこという湖周辺の、美しい自然の景観のことです。そのうち8つの景色を瀟湘八景しょうしょうはっけいといい、古くから絵画に描かれてきました。なお、金沢八景など、日本にある○○八景の由来は、この瀟湘八景です。

この絵は12世紀の中国で作られたのですが、こうした絵を画家に依頼した人々も、現代の私たちと同じように仕事などに追われ、たまには都会から離れ、旅をしてリフレッシュしたいと考えていたわけです。日頃のわずらわしさを忘れて、遠くに遊びに行きたいと。

ですが、忙しすぎたり、高齢のため体力的に難しかったりしました。今のように自動車や電車はなく、輿こしや馬はあったものの、基本的には健脚ではないと旅は厳しかったのでしょう。

では旅に行きたくても行けない人はどうしたのかというと、私たちがテレビを見て旅をした気分になるように、山水画を見ることでその場所に行ったかのようにリフレッシュしたのです。

この画巻の題名にある「臥遊がゆう」の「遊ぶ」とは、「旅をする」、「散策する」という意味です。「せて遊ぶ」、つまり絵を見ることで、自室で寝転んだままでも旅ができるということなのです。

この絵の依頼主は、雲谷うんこくという禅のお坊さんと伝わります。雲谷は、いつか瀟湘の地に旅をしたいと思っていましたが、若いときは忙しく、やがて年をとってからは体力的に難しくなったため、「臥遊したいので、瀟湘の景色を描いてほしい」と画家に頼みました。この画巻の末尾には、いろいろな人の文章が長々と書き込まれており、そうした制作背景が記されています。なお、この絵を描いた李氏りしという画家の詳細はわかっていません。それほど有名ではない画家がここまでのものを描けたことに、描き手の層が厚い、中国絵画史の豊かさがうかがえます。

 

この作品は、16世紀頃から広く知られるようになりました。絵の直前に書かれている文章は、17世紀の有名な文人、董其昌とうきしょう がこの絵を見たときのエピソードを記したものです。また、この画巻のあちこちに、18世紀にこの作品を所蔵した清朝の皇帝、乾隆帝けんりゅうてい印章(ハンコ)が押されています。

そうした後世の人々も、雲谷と同じく、この絵を見ることで瀟湘の地に臥遊したわけです。彼らが雲谷と違うのは、空間のみならず、時間も超えたこと、つまり12世紀に瀟湘に臥遊した先人に思いをせつつ、自分たちもそれに重ねて臥遊を楽しんだことです。

そして、現代の私たちもまた、展覧会でこの絵を見ることで臥遊することができます。例えば、乾隆帝は皇帝として超多忙だったわけですから、なかなか瀟湘の地に遊ぶことはできなかったでしょう。私たちはこの絵を通して時間と空間を超え、彼らのリラックスタイムを想像し、追体験することができるのです。

―もやもやと霞に包まれるなかに、淡い光を感じますね。こうした絵画表現についてもお聞かせください。

霞に包まれ、淡い光が射し、木の枝や船は風で揺れ動いて見えますね。画家は、こうした表情を出すために、さまざまな濃さの細やかな墨点を複雑に組み合わせて描いています。

中国の山水画では古くから、山や川の描写だけでなく、空気や光を表現することが大切にされてきました。

晴天よりも、曇り空や霧が出ているほうが、大気と光が複雑な味わいを見せますよね。ですから、瀟湘八景という画題で描かれる8つの景色は、いずれも夜や雨、雪や夕暮れなど、もやっとした頃合いがテーマとなっており、大気と光のシンフォニーをいかに表現するかがミソともいえます。

この作品は画巻ですから、右から左へと少しずつ絵を開きながら見ます。この絵はまるでひとつの曲のように、序盤は静かに始まり、だんだん盛り上がって、徐々に静かになって終わります。

国宝 瀟湘臥遊図巻 李氏筆 (部分)

冒頭では、画面の下に、木の枝先や屋根が描かれています。ここでは、小高い場所に立ち、目の前の木々の枝越しに、遠くの船や寺のシルエットを眺めるような視点です。

国宝 瀟湘臥遊図巻 李氏筆 (部分)

画面を左へと進めると、たくさんの山がかたまって描かれている場所がありますが、ここがこの絵のクライマックスです。ここでは、視点が離れ、空から見下ろしているような開けた景色になります。

国宝 瀟湘臥遊図巻 李氏筆 (部分)

さらに進むと、手前には一見何にも描かれていないようですが、よく見ると、水辺に芦が生えています。ここで、私たちは再び地上へと降り立って、芦の葉っぱ越しに、遠くの橋や木、人、漁村、飛んでいる鳥の群れなどを眺める視点になります。

そして、絵の終盤では、対岸の景色がだんだん遠ざかり、最後は水面だけの余韻ある景色になります。ただ、のちに乾隆帝がここに文章を書き込んでしまったのですが(笑)。

このように、私たちは、絵の冒頭と終わりでは、地面に立って景色を眺め、中盤ではそうした制約から逃れて、雄大な景色を自由に飛び回る体験ができるわけです。静と動の対比ですね。起承転結がはっきりした、非常によくできた構成だと思います。


鮫島圭代 Tamayo Samejima
美術ライター、翻訳家、水墨画家
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/