「日本史王」本郷和人のアート入門! 特別展「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」(上) 歴史学者は蒙古襲来絵詞や法隆寺金堂模型をどう見る? 

「日本史王」本郷和人です。僕は1988年に東京大学史料編纂所に入所して、30年以上、『大日本史料』第5編の編纂をしてきた歴史研究者です。
『大日本史料』第5編というのは、承久の乱(1221年)から鎌倉幕府滅亡(1333年)までを対象としています。『大日本史料』は年代順に編纂するのですが、約1年分を編纂するのに10年くらいかかります。第5編は1251年までの37巻が完成していますが、このペースだと鎌倉幕府滅亡までにはあと800年くらいかかる計算になります。ガウディのサグラダ・ファミリアもビックリの超長期にわたって日本の歴史を編んでいるのが東大史料編纂所なのです。
「日本史王」という旗を掲げたのですから、歴史については「さすが日本史王」と美術ファンのみなさんに思ってもらえるようなことを紹介していきます。でも、僕は美しいものが大好きですが、アートについては素人です。展覧会で「美しいな」「かっこいいな」「すごいな」と感じた作品や発見したことを、アートファンのみなさんと共有したいと思っています。僕は古いものを見ただけでうれしくなっちゃうのですが、アートが好きな人たちは歴史的な史料をどのように鑑賞しているのかも知りたいですね。

最初に訪れたのは、東京藝術大学大学美術館で開かれている特別展「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」(9月25日まで)です。黒川廣子館長が案内してくれました。

歴史研究へのきっかけだった法隆寺金堂、平等院鳳凰堂

手前:《平等院鳳凰堂模型》明治43年(1910)東京藝術大学蔵

この特別展の目玉が、いずれも宮内庁三の丸尚蔵館が収蔵する国宝の《蒙古襲来絵詞》と《春日権現験記絵》。両方とも鎌倉時代の絵巻物なので、僕の専門のど真ん中です。美術展ナビの担当のO記者は、展示されている3番目の部屋へすぐに連れて行こうと急かすのですが、僕の足は1番目と2番目の部屋で、止まってしまったのです。

明治43年(1910)に作られた《法隆寺金堂模型》と《平等院鳳凰堂模型》があったからです。
実は、僕が歴史を研究しようと思ったきっかけは、小学4年生になる春休みに、家族で行った京都と奈良への旅行で見た、仏像や仏閣だったのです。仏教美術の美しさに時間を忘れて魅入られた運命の出会いが、「1000年を超えるはるか昔の時代にこんなに美しいものをつくる人がいたんだ!歴史の勉強もきちんとやりたい」となったのです。
法隆寺や平等院、もちろん本物はすばらしいけど、この模型もすばらしい! 東京藝大はいいものを持っていますねと、黒川館長に伝えました。

寺院建築でも、平安時代以前と、室町時代以降では、だいぶ雰囲気が違いますよね。僕は「安定感」の差だと思っています。法隆寺や平等院も、地面にどっしりと安定している。そして屋根のひさしが深くて、陰影が強い。江戸時代の寺院になると、東寺の五重塔や日光東照宮の五重塔のように、安定感よりも、すっと天に伸びていく「上昇志向」が強くなる。その分、屋根の庇の深さも減って、全体の陰影が少し弱くなる。

昔は、奈良・平安の寺院建築のほうが美しいと単純に感じていたのですが、「上昇志向」の建物を建てられることは建築技術が向上したことでもあるんですよね。室町時代くらいから、言ってみれば「プレハブ建築」のような建築技術ができてきます。
法隆寺や平等院の建築を90点とすると、室町時代以降の建築は合格点だけど70点くらい。じゃあ、やっぱり古い時代のほうが優れていたのかというと、もしかしたら平安時代以前は、90点の建築もあるけど、30点の建築もあったんじゃないかな。30点のほうは残らなかっただけで、70点の合格点がつくものを安定して建て続けられた室町時代以降の建築技術の向上も重要なことなのではないかなって。
でも、やっぱり法隆寺金堂と平等院鳳凰堂はすごくいいなぁと模型を見てあらためて思いました。

謎の多い《蒙古襲来絵詞》と対面

国宝《蒙古襲来絵詞》鎌倉時代(13世紀)【通期展示】(前巻:2022年8月6日(土)~9月4日(日)/後巻:2022年9月6日(火)~9月25日(日) 宮内庁三の丸尚蔵館蔵

そして、国宝の《蒙古襲来絵詞》と《春日権現験記絵》です。この2つは同じ部屋に展示されているのですが、いろいろな意味で対照的です。
まず《蒙古襲来絵詞》は、みなさんもご存じでしょう。とても有名ですが、実は謎の多い史料なのです。
描かれているテーマは、鎌倉時代の文永11年(1274)と弘安4年(1281)の2度の蒙古襲来(「文永・弘安の役」)です。肥後国(熊本県)の武士・竹崎季長たけざきすえなががモンゴル軍を相手に奮戦した様子が描かれています。
騎馬の武士も徒歩の武士も、両方ともフルスペックの大鎧おおよろいを着けていますね。戦国時代だと、徒歩の武士(足軽)は簡易なよろいを着けていることが多いのですが、鎌倉時代の武士は、騎兵でも、歩兵でも、みな上級戦闘員だったことが分かります。

謎の一つは、なんのために描かれたか?です。
竹崎季長が自身の武功を鎌倉幕府に認めてもらうためのプレゼン用の資料と思っている人も多いのではないでしょうか。ですが、この絵巻は、蒙古襲来から10年以上あとの永仁元年(1293)に季長が発意したという歴史があるので、そうではないんですね。
では、なぜ季長が作ろうとしたのかというと、僕の大学時代のゼミの先生だった石井進先生(故人)の説ですが、季長は活躍したのに現地では武功が認められなかったので、鎌倉へわざわざ行って幕府に直訴します。その担当者が当時の幕府のNo2の御恩奉行・安達泰盛でした。季長は口頭で武功を説明しますが、最初、安達はちゃんと聞かなかった。しかし、季長が熱を込めて繰り返し主張したところ、安達は武功を認め、肥後の地頭に取り立ててくれました。
ところがこの安達泰盛は弘安8年(1285)、鎌倉幕府内の政争(霜月騒動)で北条氏によって一族もろとも滅ぼされてしまうのです。
非業の最期をとげた大恩人を供養しようと作ったのがこの絵巻という説です。つまり季長本人のためではなく、安達泰盛のために作られたというわけです。
肥後には、50人くらい地頭がいたと考えられているので、季長は地方でもトップクラスの武士というわけではありません。それでも、これだけの絵巻を作ることができる経済力が、地方の武士にはあった、という点でも興味深いですね。

もう一つの謎は、《蒙古襲来絵詞》がなぜこれほど有名になったのか?です。
蒙古襲来は、日本とモンゴル帝国との国家間戦争とイメージしている人が多いと思います。しかし、近現代の国家と国家の戦争と同じと言えるかというと、どうもそうではなさそうです。少し複雑な歴史研究の話になるので、詳しくは説明しませんが、鎌倉時代の日本と、近代国家「日本」とは、様相が違うとだけ思っていてください。

では、近代国家「日本」がいつ誕生したかというと、江戸時代からなんですね。江戸時代になると、日本とはなにか?と考える「日本史ブーム」が起きます。そのブームの中心となった1人が儒学者の新井白石です。
《蒙古襲来絵詞》は、江戸時代にも肥後熊本藩の家臣の家にありました。ずっと肥後で伝えられてきたので、全国的な知名度はありませんでしたが、日本史を探究する流れの中で、500年も前に外国と一丸となって戦った「日本」があったじゃないか!と「再発見」されました。新井白石がこれを紹介したことで、一気に有名になりました。

鎌倉時代を代表する史料であるだけなく、「日本」がどのように形成されていったかも物語る日本史全体にとっても貴重な史料なのです。

貴族たちが作った《春日権現験記絵》


《蒙古襲来絵詞》は肥後の地頭の竹崎季長が発注したもので、実際に絵を描いた作者は分かっていません。
ところが、この《春日権現験記絵》は、発注した人も、絵の作者も、詞書ことばがきを書いた人も分かっています。全員、京の貴族です。
発注した人は、鎌倉幕府との連絡係「関東申次」を務める朝廷の重要人物、左大臣・西園寺公衡さいおんじきんひら
詞書を書いたのは、前関白・鷹司基忠たかつかさもとただとその息子たち。名門中の名門の貴族です。
そして、絵を描いたのは、絵所預という絵を描く専門の貴族の高階隆兼です。この頃の絵師は、残念ながらほとんど名前が残っていませんが、上級ではないものの貴族だからこそ作者の名前が伝わったのです。

歴史学者としては、絵よりもまず詞書のほうに目を惹きつけられました。文字の史料は、何が書いてあるかを読めただけでは充分ではありません。果たして本当のことを記しているのか、なにか裏がないか、ポジショントークではないか、そもそも誰が書いたのか、など一つ一つの史料を理解するために、歴史学者はすごく時間と手間をかけて読んでいきます。
ところが、こちらの詞書を書いた鷹司基忠は関白も務めた来歴のしっかりした人です。どんなバックグラウンドを持った人かが分かっていると、安心してすらすらと読んでいけるので、すごく「楽」なんです。歴史学者にしか分かってもらえない鑑賞の楽しみ方かもしれませんね。

《蒙古襲来絵詞》と《春日権現験記絵》は、同じ鎌倉時代ですが、地方の武士の周辺から生まれたものと、京の貴族社会から生まれたものと実に対照的です。日本史の重要な論点のひとつに、武士は「地方で力が強いものたちから発生した」のか、「京で天皇や貴族を護衛する職業から生まれた」のかがあります。
例えば、僕は、源頼朝は後者の「京で生まれた教養ある武士」だったけれども、前者の坂東武者に囲まれた鎌倉では、京の教養などを隠してうまく協調できた。でも、3代将軍の源実朝は「京の武士」であることを隠さなかったので失敗したのだろうと考えています。
「地方」と「京」それぞれの経済力や文化力の実態を考える上で貴重な史料が、国宝となり、こうして多くの人が実物を見ることができるのは、日本史王としてもうれしいことです。

次回は、黒川廣子館長が教えてくれた超絶技巧の工芸をアート入門者の視点で紹介します。

◆本郷和人(ほんごう・かずと) 1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授(日本中世政治史、古文書学)。近著に『歴史学者という病』(講談社現代新書)。

(会場撮影:青山謙太郎)

特別展「日本美術をひも解く―皇室、美の玉手箱」
会期:2022年8月6日(土)~9月25日(日)
会場:東京藝術大学大学美術館(東京都台東区上野公園12-8)
開館時間:10:00~17:00
9月の金・土曜日は19:30まで開館
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜休館、ただし9月19日(月・祝)は開館
詳しくは展覧会の公式HPへ。

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