【探訪】奈良博の特別展で注目 奈良時代に巨大伽藍を誇った「大安寺」の今

大安寺の門前

奈良時代、東大寺ができるまでは最大の大伽藍を誇った巨大寺院が平城京にありました。約1400年もの歴史を持つ日本最初の官立(国立)寺院です。その名は「大安寺だいあんじ」。現在、奈良国立博物館で開催中の特別展「大安寺のすべて―天平のみほとけと祈り―」(6月19日まで)で、美術、史料、考古のすべての視点から、かつての全容が紹介され、改めて注目を集めています。

南都七大寺のなかで唯一特別展が開かれていなかった

実は、南都七大寺のなかで、今まで大規模な特別展を開催したことが無かったのは、大安寺だけでした。今回初めて開催されたことで、大安寺の河野良文こうのりょうぶん貫主は、「隠れ寺のように一般的にはほとんど認識されていなかったが、多くの方に知っていただけるのでは。これは新たなこと、大きな大安寺の復興に繋がるだろうと思っています」と語っています。

大安寺の河野良文貫主。「大安寺のすべて」会場で

地元の奈良市民であれば、大安寺(奈良県奈良市大安寺2丁目)は地名としても馴染み深く、歴史や文化財ファンにはよく知られているお寺ですが、「知らなかった」「そんなすごいお寺が奈良に!?」と思った方も実は多いのでは?
東京ドーム約5個分以上の広さだった奈良時代に比べると規模は25分の1に縮小したものの、今も法灯を守り続ける現在の大安寺の魅力に触れるため、現地を訪れました。JR・近鉄奈良駅から奈良交通バスを利用し、奈良国立博物館とセットで訪れることが可能な距離です。

現在の大安寺。境内にはおみくじのダルマが至るところに

「国家仏教の教学センター」だった大寺

「大安寺のすべて」で展示されている隅木先金具・鉄釘(大官大寺跡出土) 飛鳥時代(7~8世紀) 奈良文化財研究所
藤原京にあった前身寺院の大官大寺跡(奈良県明日香村・橿原市)から出土。大官大寺の格の高さを物語る屋根の隅木先に取り付けられた大型で華やかな装飾金具と、釘頭を花形につくる長大な釘

大安寺は、聖徳太子が創建した熊凝精舎くまごりしょうじゃ(釈迦の祇園精舎にならった仏教修行の道場)に始まり、精舎を大寺にして欲しいとの太子の願いを受けた舒明天皇が国の寺として九重塔を持つ百済大寺くだらのおおでらを創建。その後、高市大寺たけちのおおでら大官大寺だいかんだいじと名称と場所を変遷しながら、平城京に移り大安寺になったと伝わります。

東大寺ができるまでは、官寺のなかでも最も格の高い国家の寺で、様々な仏教の教学を研究する「国家仏教の教学センター」としての役割を果たしていました。そして若き日の空海も大安寺に一時滞在しました。

「大安寺のすべて」で展示されているパネル。向かって左が現在の航空写真、右が奈良時代の寺域

奈良時代~平安時代前期にかけて、大伽藍とともに仏教界で大きな影響力を持っていた大安寺ですが、平安時代から度重なる災害に見舞われ、再建などを繰り返しながらも徐々に衰微していきました。荒廃した状況を悲しみ、江戸から明治にかけて幾人かの僧侶が復興を試みましたが、明治期の神仏分離令による廃仏毀釈などの理由により果たすことができませんでした。河野良文貫主が広辞苑で「大安寺」を引いたところ「小堂を残す」との記載に悲しい気持ちになったと語るほど。

CGで奈良時代の大伽藍へタイムスリップできる大安寺の今

荒廃した大安寺を現在の姿へと復興に尽力したのは、先代貫主・河野清晃こうのせいこう和上です。

大安寺の本堂

現在、毎年1月23日には、『続日本紀』に記載がある「桓武天皇が先帝光仁天皇の一周忌の齋会を大安寺で営まれた」という故事にちなみ「光仁会 癌封じ笹酒祭り」がおこなわれ、無病息災を願い、風雅な青竹づくしの祭儀で光仁天皇ゆかりの「笹酒」の接待も。毎年6月23日には、竹供養 癌封じ笹酒夏祭りが行われています。光仁会を含む、数々の法要行事を復活させたのも河野清晃和上でした。その志は受け継がれ、今回の特別展開催へと繋がっています。

「大安寺のすべて」で流されている大安寺天平伽藍CG復元映像

壮麗だった奈良時代の伽藍については、「大安寺天平伽藍CG復元映像」として特別展の大型スクリーンで上映中ですが、同じCG復元映像が大安寺の嘶堂いななきどう内でも上映されています。さらに、こちらは参拝者がコントローラーで操作して、「飛行モード」「徒歩モード」の切り替えによって、ゲーム感覚で大伽藍を自由に散策、上空からの俯瞰でのタイムスリップが可能です。

映像は奈良市教育員会が約40年間継続して旧境内地の発掘調査をおこなっている成果を基に奈良文化財研究所の研究者らの監修を経て制作されたもの。僧侶が暮らした僧坊の数の多さを見ても、約900人の僧侶が暮らしていたことが実感できます。

重要文化財「伝馬頭観音立像」 奈良時代(8世紀) 奈良・大安寺(後期展示 5月24日~)

嘶堂のご本尊は、胸飾りの瓔珞ようらくと足首に蛇が巻きつき、腰に獣皮をまとっている珍しいお姿の重要文化財「伝馬頭観音立像」(奈良時代)。通常は、毎年3月のみ御開帳される秘仏です。5月24日から特別展の後期展示で登場し、普段は拝むことができない後ろ姿も見ることができます。

頭上に馬頭をいただく一般な馬頭観音像とは異なり、この像には馬頭がなく、人差し指と薬指を折って中指を立てる馬頭観音特有の馬口印ばこういんを結んでいません。この不思議な姿は、馬頭観音像が確立するより前の原初の姿と言われています。

同像を含め、大安寺には、奈良時代を代表する木彫群として知られる9体の天平仏(いずれも重要文化財)が今も残っており、往時を偲ばせます。特別展では前期・後期の入れ替えを含めてすべてが出展されています。

重要文化財 「伝楊柳観音立像」 奈良時代(8世紀) 奈良・大安寺

大安寺の旧境内地には「元石清水八幡宮」

大伽藍だった奈良時代当時を感じるため、山門から外へ。道(六条大路)向かいへ渡り真っ直ぐ進むと左手に見えてくるのは、大安寺の旧境内地に佇む「元石清水八幡宮」です。

大安寺の山門
大安寺の鎮守社である元石清水八幡宮

京都の石清水八幡宮(京都府八幡市)を創建した平安時代の僧・行教は、大安寺の僧侶でした。大安寺側の縁起では、行教が大分の宇佐から八幡神を勧請する際、まず大安寺に勧請し、のちに京都の石清水に鎮座したとされています。

「大安寺のすべて」で展示されている重要文化財「行教律師坐像」 平安時代(9世紀) 京都・神応寺
行教は最澄の師である大安寺僧の行表に師事した

さらに鎮守の森を過ぎて、小路を進むと、急に目の前が開けた場所へ。
東大寺の七重塔に次ぐ大きさの七重塔があったとされる東西2基の塔跡が今も残っています。塔はどちらも現存していませんが、南都七大寺で七重塔があったのは、東大寺と大安寺のみ。

東塔跡
西塔跡。どちらの塔跡も広場のようになっている

平安時代後期の貴族・大江親通おおえのちかみちの『七大寺巡礼私記しちだいじじゅんれいしき』に「瓦葺七重塔」と記されていた塔の基壇きだん跡を眺めると、いかに大きな塔であったか、改めて実感できます。特別展で展示されている「風鐸ふうたく」(旧境内地より出土)が塔の屋根に吊り下げられて厳かな音を鳴らしていた往時の姿も、想像力を働かせてイメージすることができました。(ライター・いずみゆか)

「大安寺のすべて」で展示されている「風鐸」(大安寺旧境内出土) 平安時代(9世紀) 奈良市埋蔵文化財調査センター

参考文献
奈良国立博物館 特別展「大安寺のすべて―天平のみほとけと祈り―」図録
奈良文化財研究所編 「奈良の寺 ―世界遺産を歩くー」岩波新書

大安寺へのアクセスは大安寺の公式ホームページで。
奈良国立博物館 特別展「大安寺のすべて―天平のみほとけと祈り―」のレビューはこちら

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