【探訪】今そこで念仏をとなえている 特別展「空也上人と六波羅蜜寺」 東京国立博物館

空也上人立像
仏教には詳しくないがこの像は見覚えがある、と言う人も少なくないのではないでしょうか。それほどインパクトは強烈です。仏教美術史的にも、声の視覚化は絵画資料にあるようですが、立体は極めて稀だということです。この像が作られたのは鎌倉時代の13世紀。上人の没後250年ほど経つのに、本人を目の前にして作ったかのような写実性にあふれています。今そこで上人が念仏をとなえているかのようです。

詳しく見ていきましょう。軽く開けた口から出た一本の銅線に、「南無阿弥陀仏」を表す6体の仏像が固定されています。少し皺を寄せた眉間。水晶を利用した「玉眼」という技法を使った目が、6体の仏像を見つめているようです。口を開けるために盛り上がった頬骨。少々受け口の口の中には歯と舌が見えます。歯の白と口内の赤の彩色も残っています。大きな声を出しているのか、こめかみから首へは太い筋が通り、喉ぼとけが出て、鎖骨とあばら骨が浮き出ています。胸には

衣の裾から出た脚は細いけれど筋肉質です。草鞋は網目や紐のよじれが再現され、足裏との隙間まであります。台座は寺にある仏像が蓮台に乗っているのに対し、装飾の無い平らな板で、上人が町に出たことを示しています。近づいて見れば見るほど、細部の写実性が際立ちます。離れて見ると、軽く腰を曲げて歩いているのが分かります。同じ左の手と足が前に出ているのですが、

鉦鼓を吊るのかたすき掛けにした紐と、大きく折れた襟、腰の曲がり具合など、背中が見せるたたずまいが何とも言えない雰囲気を醸し出しています。視線を下げると衣の裾は折れ、座りじわもあります。像高は117センチ。平安時代の男性の平均身長は160センチ程度だったそうなので、実寸よりかなり小さく作られています。その大きさも、見上げるのではなく、同じ目線で見ることで上人への親しみを表しているのかも知れません。

空也上人は少年時代から仏教信者として諸国を巡り、道を開き橋を架けるなど社会事業に関わりました。20代に尾張の国分寺で剃髪し空也と名乗りましたが、これは正式な僧となる受戒前の名です。
その後、京の市中で民衆に念仏説いて回ったので
釈迦が説いた仏教はもともと個人が苦しみから逃れるための教えで、出家して生産活動は全くせず、ひたすら修行の生活を送ります。日本の仏教は飛鳥時代に入って来ますが、僧は国家のために尽くす存在で、勝手に寺を出て教化することは許されませんでした。
奈良時代以降、山で修行をしつつ修験者のような姿をして市中で寄付を集める半僧半俗の存在が現われます。平安時代中期に末法思想が広がると、市中で念仏を普及しようとする半僧半俗の僧を
出家して己一人の救済を求める仏教が、在家の信者が増え、やがて庶民も含め世の中全体の救済を求めるようになる。それは自然な流れなのでしょう。空也上人はその流れの中の一つの象徴的な姿のように思えます。

地蔵菩薩立像
空也が現世の救済活動者なら、地獄などあの世の悪世から救済してくれるのが地蔵菩薩です。この地蔵菩薩立像は、地獄に落ちた源国挙が地蔵菩薩の助けで蘇生したことから仏師に作らせて六波羅蜜寺に安置したと、『今昔物語集』に載っているとされる像です。見上げると丸いお顔に閉じかけた目、半円形の眉といかにも優しいお顔です。仏像は見上げるように作られていると聞いたことがありますが、こうして間近で下から拝観すると、図録などで正面から見るお姿とは違った印象があります。

地蔵菩薩坐像
こちらは座った地蔵菩薩。お地蔵様というと立っているイメージが強いのですが、座ったお姿も見応えがあります。ほぼ等身大のお姿を目の高さで拝観することになります。薄く開けているのか切れ長の目とくっきりした眉。眉目秀麗で「夢見地蔵」という呼び名があるそうですが、通った鼻筋とはっきりした額の線もあってか、はつらつさと意思の強さのようなものが感じられます。法衣のひだもさすが運慶と思わせます。

閻魔王座像
六波羅蜜寺のある地域は平安京の外にあり、すぐ東は鳥辺野という葬送の地です。そのため冥界への入口と考えられていました。その冥界で六道(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)のどこへ転生するか、裁判をするのが閻魔王などの十王です。閻魔王像はどの像も怖い顔をしています。亡者の嘘を見抜き厳しい裁きをするためなのでしょう。でも、日本では閻魔王は地蔵菩薩の化身だとされています。厳しい裁きをするのもその人が正しい道に進むため。本当は地蔵菩薩として優しい心を持っている。そう思ってよく見ると、怖い顔にどこか愛嬌のようなものを感じるかも。

伝平清盛坐像
今回の展示でどうしても見たかったものの一つがこの像です。「奢れる平家」と言われてあまり評判の良くない清盛ですが、最近の研究では武家政権を初めて作った人物として再評価されつつあるようです。大倉集古館で清盛が厳島神社に納めたという「平家納経」の模本を見たことがありますが、実に美しいものでした。政治的な意図もあったかも知れませんが、信仰心が篤かったことも間違いないでしょう。この像が手にしているのも経巻かも知れません。表情も優しく見えるのは気のせいでしょうか。(ライター・秋山公哉)
特別展「空也上人と六波羅蜜寺」 |
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東京国立博物館 本館特別5室 |
会期:2022年3月1日(火)~5月8日(日) |
開館時間:午前9時30分~午後5時 |
休館日:月曜日、3月22日 ※3月21日(月・祝)、3月28日(月)、5月2日(月)は開館 |
入場料:一般1,600円 大学生900円 高校生 600円 *事前予約(日時指定)推奨 |
JR上野駅公園口・鶯谷駅南口より徒歩10分 東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、同千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩15分 |
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