【探訪】一躍人気のレッサー・ユリィ 独特の作風がコロナ禍の人々の心に響いた? 「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」展(三菱一号館美術館)で注目

レッサー・ユリィ《夜のポツダム広場》 1920年代半ば、油彩/カンヴァス、79.6 x 100.0 cm、イスラエル博物館蔵  Photo © The Israel Museum, Jerusalem by Avshalom Avital

三菱一号館美術館(東京・丸の内)で開催中の「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」展で、一躍美術ファンの心をつかんだ作家がいる。ベルリンを拠点に、特に大戦間の時期に活躍したドイツ印象派の画家、レッサー・ユリィ(1861~1931)だ。ユダヤ系の画家として、これまでもドイツやイスラエルでは重要視されてきたが、日本ではあまり紹介される機会がなく、専門家以外では知る人ぞ知る存在だった。(読売新聞美術展ナビ編集班・岡部匡志)

レッサー・ユリィの《夜のポツダム広場》(手前)と《冬のベルリン》(奥)を並べた展示。他の作家の作品とは距離を置き、鑑賞者が集まっても余裕をもって見られるように工夫した(三菱一号館美術館で)

ユリィの展示にこだわったイスラエル博物館

「開幕初日にいきなり絵葉書が売り切れ。人気になると予想はしましたが、これほどとは。見誤ったと思いました」と振り返るのは同展担当の安井裕雄上席学芸員。SNSでも「ユリィすごい」の書き込みが途切れない。「ニコニコ美術館」の中継でも大いに盛り上がった。

実はユリィの作品は日本に来なくても不思議ではなかった。

都内の美術館の中でも指折りの人気を誇る三菱一号館美術館だが、120年以上前に建てられた三菱一号館を復元した展示空間は、最近の美術館に比べてそれほど余裕があるわけではない。人気作家の初来日作品を数多く紹介する展覧会で、しかもコロナ禍下だけに、三菱一号館側としてはなるべく点数を絞りたいのが本音だった。

同展の開催にあたり、三菱一号館美術館側がイスラエル博物館側とやりとりすると、モネやゴッホ、セザンヌ、ルノワールらのビッグネームのコレクションとともに展示候補に「レッサー・ユリィ」という名前があった。

なるべく点数を減らしたい三菱一号館側は、一般にはそれほど知られていないレッサー・ユリィを希望リストから外したが、何度送ってもイスラエル博物館側はユリィの展示にこだわる。逆に当初リストになかった《風景》という作品を追加してくるほどだった。

レッサー・ユリィ《風景》 1900年頃 油彩/カンヴァス 101.5 × 71.0 cm、イスラエル博物館蔵 Photo © The Israel Museum, Jerusalem by Elie Posner

結局、イスラエル博物館の意向を受け入れ、計4点を展示することになった。日本に送られてきた実物を見た安井上席学芸員は、事前に写真で見た時の悪印象を刷新する独特の空気感に驚き、「これは(人が)溜まるな」と直感したという。他の作品とはかなり雰囲気が違うこともあって展示計画を一部見直し、ユリィの作品は余裕を持たせた空間に置くなどの対応をとった。イスラエル博物館がなぜこれほどユリィにこだわったのか、理由の説明はなかった。だからその意図はいまだに謎だが、結果的に展覧会を大いに盛り上げることになった。

東欧の生まれ、巨匠ににらまれ不遇だった半生

レッサー・ユリィは旧プロセインのポーゼン(現ポーランドのポズナン)近郊の小さな村に生まれた。早くに父を失い、母と二人の兄弟と一緒にベルリンに出てきたのが11歳の時だった。1879年からデュッセルドルフのアカデミーで絵を学び、1887年にベルリンに戻るまでにブリュッセル、パリ、シュトゥットガルトなどの都市で研鑽を積んだ。パリではボナに師事した。美術史上はドイツ印象派として位置づけられているが、作風は時代によって変遷し、多様だ。

レッサー・ユリィ《赤い絨毯》 1889年 油彩/カンヴァス 100.0 x 66.0 cm、イスラエル博物館蔵  Photo © The Israel Museum, Jerusalem by Avshalom Avital

決して恵まれた画業ではなかった。当時のドイツ画壇の巨匠、マックス・リーバーマン(1847~1935)の作品の光の効果は、実はユリィが描いたなどと発言したことで疎遠になり、評価の機会を逸したという。生活に困窮し、気難しい性格で「人間嫌い」と評され、私生活も恵まれなかったという。1922年、60歳になって開催した大規模な展覧会でようやくその名声は揺るぎないもになり、油彩のほか、パステル作品も人気を集めた。

数奇な運命でイスラエルへ 人気の《夜のポツダム広場》

今回展示された作品の中でも、特に注目度が高い《夜のポツダム広場》。この作品は数奇な運命をたどり、イスラエル博物館のコレクションに加わった。

レッサー・ユリィ《夜のポツダム広場》
1920年代半ば、油彩/カンヴァス、79.6 x 100.0 cm、イスラエル博物館蔵 
Photo © The Israel Museum, Jerusalem by Avshalom Avital

1926年に発表された同作は数年後、ベルリンのユダヤ人団体の美術品コレクションに収蔵された。このコレクションをもとに1933年、ベルリンにユダヤ博物館が設立されるが、同年に成立したナチス・ドイツによる弾圧で、同博物館は1938年に閉鎖の憂き目に遭い、《夜のポツダム広場》も他の作品とともに没収された。そして終戦後の1945年、あのゲッベルスが総裁を務めた旧帝国文化院の地下室で再発見。やがてベルリンのユダヤ人返還継承組織を通じて、エルサレムの美術館に送られた。最終的に1965年に開館したイスラエル博物館に収蔵、今に至っている。その作品が今や日本の美術ファンの話題になっている、というのも不思議なめぐりあわせといえるだろう。イスラエル博物館が展示にこだわったのも、こうした来歴含めてユダヤ人作家によるアートの価値を知ってほしかったのかもしれない。

この作品自体もよく見ると不思議なところはある。安井上席学芸員に教えてもらった受け売りだが、晩秋を思わせる冷たい雨が降りしきる都会の一場面なのに、窓明かりよりその光を反射した路面の方が明るい。通行人が妙に縦に伸びた形で描かれている。絵具をパレットナイフを使って横方向に引き延ばす表現も特徴的だ。同じような傾向は近い時期に描かれた《冬のベルリン》でもあり、この時期のユリィのモノの見え方を反映しているのかもしれない。

コロナ禍にマッチ?その迫力とメランコリックな画風

それにしてもなぜユリィの作品がこれほどウケるのか。記者も内覧会で何の知識もなく初めて見たユリィの作品から目が離せなくなり、後日、リピートしてまじまじと眺めてしまったほどだ。なぜかは自分でもよく分からない。

レッサー・ユリィ《冬のベルリン》 1920年代半ば 油彩/カンヴァス 71.0 x 53.0 cm、イスラエル博物館蔵 Photo © The Israel Museum, Jerusalem by Avshalom Avital

安井上席学芸員は「独特の特有のアンニュイな雰囲気があり、かつ青みがかった色味や雨模様などから醸し出される湿り気のあるメランコリックな空気感が、閉塞感のある今の時代感覚に共鳴したということでしょうか」とみる。大戦前後という緊張感をはらんだ時代背景や、生まれ育った東欧の風土も作品に影響を与えており、それがコロナ禍に揺れる現代とマッチしているのかも、というお話も伺った。確かにそんな気がしてくる。

あらゆる情報が世界に満ち溢れ、検索すればなんでもわかるように思えてしまう時代だが、レッサー・ユリィに関してウェブで分かることは極端に少なかった。美術館で教えてもらった事柄も、学芸員さんが外国語の古い原書を丁寧に確認していたから分かったことだ。やはり世界はとんでもなく広く、知らないことは山ほどある。現場に足を運ぶからこそ出会える思わぬ喜び、はいつだって展覧会の醍醐味だ。

(読売新聞美術展ナビ編集班 岡部匡志)

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