【アンナさんのイタリア通信 ♯2】エッツィ・ジ・アイスマン(Ötzi The Iceman):発見から30周年

ローマ在住の展覧会コーディネーター、アンナラウラ・ヴァリトゥッティさんのイタリア文化事情のリポート。第2回はちょっと怖い、でも興味津々のミイラのストーリーです。1体のミイラから驚くほど多くの知見が得られたです。
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1991年9月19日に、2人のドイツ人登山家がイタリア北部・南チロルのエッツタール・アルプス(Ötztal Alps)のシュナル渓谷(Schnals Valley)氷河で男性のミイラを発見しました。このミイラは「エッツィ(Ötzi )」(通称:アイスマン、Iceman)と呼ばれるようになりました。



1998年からは、ボルツァーノのアルト・アディジェ考古学博物館でエッツィ専用に特注された小さなガラス窓のある冷凍室に保管されました。発見から30年を迎える今、一般の人も彼の姿を見ることができます。


エッツィの独自性
エッツィは世界最古の「ウェット・ミイラ」です。
そのユニークさは、高山での突然の死(出血を引き起こしていた左肩の破片と脳には転倒による血腫があったことから、死因は殺人であると考えられる)、好ましい気候条件によるミイラ化および遺体の保存、そしてちょうど雪解けの時期に幸運にも発見されたことなど、一連の原因にも由来しています。
毛皮で出来たズボンや靴、外套、帽子を着用していたことを考えると、エッツィは高度な文化を持っていたようであり、何らかのグループのリーダー、あるいはクラン(氏族)のチーフだったのではないかと推測されます。
現代医学による最も洗練された調査技術によって、このミイラの人類学上の実像を十分に把握することができました。2012年に初めて実施された解凍調査によると、瞳、髪の色は茶色、肌の色は白色、身長160cm、体重50kgだと分かりました。さらに、骨からのデータにより年齢45歳前後と推定されており、筋肉質な体型だと解明されました。


エッツィ: a man like us
生存していたのが5300年以上も昔であるのに、エッツィは私たちに親近感と共感を与えてくれます。 衣服や装備品も含め、保存状態が非常に優れており、古代エジプトや南米のミイラとは違って正式な儀式に基づいて埋葬されていないという事が、かえって生前の姿をよく留める結果になりました。そのため、広範な研究がすすめられ、エッツィにまつわる成果は、アルプスの銅器時代の概念を一変させ、「千年に一度の発見」と呼ばれています。


医学史と考古学史上に初めて、紀元前4千年紀に溯るミイラの解剖学的研究が可能となりました。さらに、これまで、新石器時代後期の男性の装備は記録されていませんでした。
火打道具と斧に使われた銅の分析や、衣服の裏に施された丁寧な細工などから、それらの使用実態と精度の高さが判明。考古学者たちを驚かせました。

例えば、彼の斧は、銅製の刃を持つ新石器時代の斧としては最古の例であり、完全な形で保存されている唯一のものです。
彼の弓の弦は最も古いもので、完全に保存されています。これらの道具や武器は、世界で最も古い狩猟用具として、そのままの形で伝わっています。



エッツィの体には、これまで知られている中で最も古いタトゥーが入っています。これらのタトゥーは、装飾目的ではなく、治療目的、つまり痛みを和らげるためのものであり、丁度鍼のツボのところにあるのです。

© Museo Archeologico dell’Alto Adige/Eurac/
Samadelli/Staschitz
エッツィについての研究
エッツィについての研究が未だに続いています。ユーラク・リサーチ(Eurac Research)は、アイスマン発見30周年を記念して、9月20日に「アイスマンに関する今後の研究について」のシンポジウムを開催しました。特に、マイクロバイオーム、つまり人間に生息するバクテリアに焦点を当てました。エッツィの胃の中には、すでにヘリコバクター・ピロリ菌の存在が早くから発見されていましたが、この菌は今でも世界人口の約半数に存在しているというのです。さらに、最近の研究では、抗生物質や加工度の高い食品の摂取により、人々のマイクロバイオームが激減しており、その結果、特定の病気やアレルギーにかかりやすくなっていると考えられています。
その意味で、エッツィのようなミイラの研究は、現代医学に重要な示唆を与える可能性があるのです。
ドイツのマックス・プランク人類学史研究所所長のヨハネス・クラウス(Johannes Krause)氏は、このシンポジウムの講演者の一人でした。クラウス博士は、考古学的遺伝学(考古学と遺伝子解析を組み合わせた学問)の創始者と言われており、「Die Reiseunserer Geine」という本の著者でもあります。また、クラウス氏は琉球列島の民族の遺伝子の起源についても研究しており、2019年には沖縄のOIST(Okinawa Institute of Science and Technology Graduate University)でゲストスピーカーを務めました。
その他
1998年にボルツァーノのアルト・アディジェ考古学博物館が開館して以来、エッツィと彼の衣装は550万人以上の来館者を驚かせてきました。さらに、「アイスマン」に関する新聞報道やドキュメンタリー、映画は、世界中の人々の注目と好奇心を集めています。
エッツィの発見30周年記念にあたって、ボルツァーノのアルト・アディジェ考古学博物館は機関から数百メートル離れたタルヴェーラ(Talvera)の牧草地で、今年で11年目となる「先史時代のフェスティバル」が9月17日と18日に開催されました。テーマは「Otzi’s equipment」。大人も子供も、ラフィアや草、革や毛皮の加工、革のなめし方、銅の鋳造、樹皮や白樺の木の受け皿、弓矢の作り方など、先史時代の祖先が衣服や道具を作るために使っていた技術を直接体験することができました。
フェスティバルについてのビデオ<動画は新型コロナウイルス以前(2017年)に撮影されたもの>
また、新型コロナウイルスの影響でミュージアムが一時的に閉鎖されている間、本博物館は、エッツィ・ジ・アイスマンを遠隔地から見学できる教育サービスを展開しました。これは、特に学校向けのバーチャル学習体験で、展示スペースを見て巡る学生の短いビデオツアーの後、子どもたちが意見交換できる博物館の専門家とのライブチャットで構成されています。
このように、バーチャルではありますが、歴史の授業の貴重な資料となっています。
このバーチャル・ガイド・ツアーは現在も続けられており、まだ美術館を訪れることができない世界中の学生を対象とするものです。ツアーは、イタリア語、ドイツ語、英語で予約できます。
美術館についてのビデオ<動画は新型コロナウイルス以前(2017年)に撮影されたもの>
「STONE AGE CONNECTIONS: Mobility at Ötzi’s time」特別展
本博物館では、2021年11月22日から2022年11月7日まで、「STONE AGE CONNECTIONS:Mobility at Ötzi’s time (石器時代のつながり:エッツィの時代のモビリティ)」と題した新しい展覧会を企画しました。
この展覧会は、先史時代の人類の移動を再現し、紀元前4~3千年の間のルートや貿易関係を理解することを目的としています。銅器時代にはすでに、人々は驚くほど移動していました。彼らは火打ち石や銅を使い、物だけでなく、新しい知識や工芸技術も交換していました。スノーシュー(木で作られたカンジキ)を履いて山を越え、ピローグで川などを渡り、ヨーロッパ中を長距離移動していました。エッツィの斧にも使われた銅や、道具の一部に利用された火打ち石は、北と中部イタリアの異なる地域で採取されたものです。現代と同じように、銅器時代の人々もより良い生活を求めて移動したのです。
「STONE AGE CONNECTIONS: Mobility at Ötzi’s time」特別展 |
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会場:イタリア、ボルツァーノのアルト・アディジェ考古学博物館 Museo Archeologico dell’Alto Adige Via Museo 43 39100 Bolzano Alto Adige |
会期:火曜日~日曜日 午前10時~午後6時(最終入場:午後5時30分) |
休館日:月曜日(7月1日から9月19日まで及び12月は、月曜日も開館) |
入館料: 大人 9ユーロ 6歳以下のお子様は無料 お得な入場券 7ユーロ(小学生、27歳以下の学生・研修生、 65歳以上の方、障害をお持ちの方、20名以上の団体) |
詳しくはhttps://www.iceman.it/en/the-iceman/
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現在のところ、ガイドツアーは、最大10名様のみで配布しており、また音声ガイドのレンタルができないため、来館前に博物館が特別に制作した大人向けの「Audio Guide Ötzi」(有料で0,99ユーロ)アプリや子ども向けの「Mission Ötzi」(無料)アプリ(https://www.iceman.it/audioguide-e-app-covid19/)をスマートフォンにダウンロードすることをお勧めします。
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アンナラウラ ヴァリトゥッティ(Annalaura VALITUTTI)さん
1975年、イタリアのサレルノ生まれ。ナポリ東洋大学で日本語日本文学を専攻し、「遠野物語」及び「オシラサマ」を専門とする。仕事で数年間日本に滞在し、2011年には東京の慶應義塾大学に留学する。日本芸術や民俗学について特別な関心を持ち、ローマで読売新聞の美術展のコーディネーターやアートアドバイサーとして活躍している。
(読売新聞美術展ナビ編集班)