【探訪】すべての顔で私を見ていてくれる 特別展「国宝 聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ」

十一面観音はあらゆる方向に顔を向け、すべての人を救済してくれるという。でも、ここにいると、会場のどこの立ってもすべての顔で自分を見ていてくれる。そんな気持ちになってくる。厳しい顔、優しい顔、親に見守られていた子どもの頃の気持ちになる。
特別展「国宝 聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ」 |
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東京国立博物館 本館特別5室(東京・上野) |
会期 6月22日(火)~9月12日(日) |
開館時間 午前9時30分~午後5時(入館午後4時30分まで) |
休館日 月曜日(8月9日は開館) |
前売り日時指定券 一般1400円ほか 中学生以下無料。チケットは無料アプリ「美術展ナビ」などで購入。*予約不要の「当日券」(一般1500円)を会場で若干数用意 |
JR上野駅公園口・鶯谷駅南口より徒歩10分 東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩15分 |
詳しくは公式サイトへ |
「神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさとが現わされている」と和辻哲郎が、「世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた」と白洲正子が書く聖林寺の十一面観音菩薩立像。日本彫刻の最高傑作とされ、明治32(1899)年に当時の国宝(旧国宝)に、戦後の新制度でも昭和26(1951)年に第1次の国宝に指定されている。
こぢんまりとした正方形の会場に入ると、中央やや奥に立つ立像が目に入ってくる。丈六、像高約2メートルの像が台座の上に立つ姿は、実際以上に大きく見える。脚の部分がやや前向きに傾いているため、見る者に迫ってくる印象があるのだという。写真で見る十一面観音は厳しい顔をしている。四角の顔に細く開けた目は吊り上がり、口尻はやや下がっている。でも、少し離れた位置から見上げると、意外に丸顔で柔和にも見える。ほほから顎にかけての線がそう見せるのかも知れない。個人的にはやや斜めに5、6歩、3~4メートル離れた位置から見上げるお顔が好きだ。
十一面観音とは文字通り十一の顔を持つ観音。一般的には頭頂に仏面(如来面)を載せ、1段下の正面に穏やかな顔立ちの面三面、左(向かって右)に怒っているかのような面三面、右(向かって左)に牙を出した面三面、背面に大きく笑った面一面がある。聖林寺の十一面観音には八面が残っている。八頭身のすらりとした姿だが、胸は厚く腰はくびれている。寺に安置されている時は見えない背部が見られるのも今回の展示の特徴だ。肩から背中にかけてのカーブが美しい。仏には本来、男女の性別はないのだが女性的にも見える。もともと安置されていた大神神社(後述)の『大神大明神縁起』によると、大明神の若宮の亡くなった母の像とされていたという。女性に見えるのも間違いではないかも知れない。
観音菩薩はすべての衆生を救うため、相手に応じて33の姿に変身すると言う。これを変化身と言い、十一面観音は日本では千手観音と並んで人気が高かった。西国三十三所観音霊場や三十三間堂など「三十三」という数字はこれに由来する。また、密教では地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道の六道にそれぞれ衆生を救う観音がいて、十一面観音は修羅道にいるとされる。
聖林寺の十一面観音はもともと、桜井市にある大神神社にあった大神寺=後に大御輪寺と改称=に安置されていた。昔の日本では神仏習合といい、神道と仏教は融合した一つの信仰体系だった。それが、明治新政府による神仏分離令で廃仏運動がおこり、各地で仏像が壊されたり傷つけられたりした。この時に失われた文化財級の仏像も多いという。記者も静岡の古刹で、胴のあたりに大きな傷と落書きのある仏像を見たことがある。大御輪寺の仏像は住職や周辺の人々によって近在の寺に移されて難を逃れ、現在に至っているが、幸運だったと言えるだろう。関わった人たちの必死の思いが伝わってくるようだ。
衆生の救済を願う観音菩薩は地域の人々の信仰が厚く、中でも十一面観音と千手観音は特に親しまれていた。琵琶湖の北東、湖北と呼ばれる地方には両観音が多く安置されている。ここには平安時代からたくさんの寺があったのだが、相次ぐ戦乱で多くが消失してしまった。しかし、人々が土に埋めたり、川の底に沈めたりして守った観音が、無住の寺や山の中の小さなお堂に残されている。手の一部が無くなっていたり、胴体に傷があったり、焦げた跡のあるものもある。これらの観音は今でも地域の人たちが代々守り継ぎ、訪れる人の案内をしている。聖林寺の十一面観音を見ていると、大切な観音様を守らなければという当時の人々の気持ちが分かるような気がしてくる。

今回展示されている法隆寺の地蔵菩薩立像や、正暦寺の日光・月光菩薩立像も大御輪寺に安置されていた。今回150年ぶりに“再会”したことになる。特に地蔵菩薩は十一面観音と並んで安置されていたのではないかという。この一対の菩薩像は放光菩薩と呼ばれ、中国・唐の時代に信仰が流行したという。また、薬師如来の脇侍となることもあり、“相性”がいいのかも知れない。

ともに平安時代(10~11世紀) 奈良・正暦寺
(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)
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