【探訪】聖徳太子と法隆寺展 ②再現された金堂

第2会場に入ると法隆寺金堂の扉がある。扉を開くと…とはいかないが、扉の向こうは金堂に安置された仏たちと壁画の世界だ。世界最古の木造建築である法隆寺金堂の内部。1400年の歴史の重さと静かな輝きが会場を満たしている。
特別展「聖徳太子と法隆寺」
奈良国立博物館(奈良市) 4月27日(火)~6月20日(日)(終了しました)
東京国立博物館(上野)
会 期 7月13日(火)~9月5日(日)
前 期 7月13日(火)~8月9日(月・休)
後 期 8月11日(水)~9月5日(日)
開館時間 午前9時30分~午後5時
休館日 月曜日(8月9日は開館し10日休館)
入館料 一般2100円ほか 事前予約制
詳しくは公式ホームページへ
見上げずに目の高さで

会場中央に座すのは金堂東の間の本尊である「国宝 薬師如来坐像」だ。等身よりやや小さい仏が、神秘的な微笑みを浮かべて座っている。金堂では内陣で高さ2メートル近い台座の上に安置されているが、ここでは見る者の目と如来像の目がほぼ同じ高さになる。いつも見上げている像とは印象が随分と違う。
人体の肉感をあまり感じさせない体軀や平板で線的な衣文、台座にかかる着衣を文様的に表した裳懸座など、中国の南北朝時代、6世紀前半の様式に基づいていると説明される。面長の角張った顔など、確かに北魏の仏像の流れを感じる。北魏は遊牧騎馬民族だった鮮卑族が建てた王朝で、雲崗や龍門といった石窟寺院が有名だ。北魏で仏教は中国最初の最盛期を迎える。
「面長の角張った」と書いたが、実際に間近でしかも目とほぼ同じ高さで見ると、頭部や顎が思いのほか丸い。衣文も上半身にかかる部分は立体的だ。さらに横から見ると頭の形は平らではなく奥行きがある。体軀も平面的ではない。この仏像が金堂の外で公開されるのは百数十年ぶり。今後いつ同様の機会があるか分からない。金堂の外で拝するのは、一生に一度あるかどうかの機会かも知れない。記者は肉感のない平板な北魏の仏像も好きなのだが。実際に見てみると、それぞれの発見があるはずだ。
肩を怒らせない四天王立像

「国宝 薬師如来坐像」の左右前方には広目天と多聞天が立つ。現存する日本最古の四天王像だ。四天王立像というと目を吊り上げ邪鬼を踏みつけた動的なイメージがあるが、この像は正面を向いて直立している。眉は吊り上がっているが目は杏の種のような形(杏仁形)で、口は一文字。厳しいが静かな表情にも見える。邪鬼も恭しく天王を背中に乗せている。
四天王は金堂内須弥壇の四隅に安置され、本尊を守る存在だ。広目天と多聞天は内陣の奥に位置しており、通常ではよく見えない。会場ではガラスケースもなく、1メートルにも満たない距離で見ることができる。甲冑などには色彩が残っている。印象的なのは穏やかな後ろ姿だ。金堂内では見ることのできない角度。肩から背中にかけての丸いラインが、怒り肩とはまた別の高い精神性を現わしているかのようだ。
シルクロードの香り

中国・敦煌莫高窟で見た仏様がここにいる。そう思ってしまった。
阿弥陀如来の両脇には観音、勢至菩薩。様々な菩薩が取り囲んでいる。東洋仏教絵画史上の最高傑作として名高い法隆寺金堂壁画。その中でも最も美しいと言われたのがこの「金堂壁画 第六号壁 阿弥陀如来説法図」だ。
本体は焼損して今見られるのは模写だが、阿弥陀如来の濃い隈取や脇侍菩薩の姿や装身具などは、中国の西域、それを受け継いだ唐の画法の影響を受けていると言われる。
特に日本では鉄線描と呼ばれる同じ筆の速度で同じ太さに描いた輪郭線は、中国新疆ウイグル自治区の南部に位置する古代シルクロードの都市、ホータン発祥とされる「屈鉄線」だろう。鉄を曲げ針金を巻きつけたように緊張した線は、長年の修練を積んだ者しか画けないという。7世紀頃に唐の都・長安で大流行したという記録がある。

飛天図も西域の香りの高い絵だ。敦煌莫高窟の壁画に比べると顔が四角くて大きい気もするが、左手に花をまく散華のための皿を捧げ持ち、長い天衣を翻して飛ぶ姿は同じだ。金堂の壁画は焼損してしまったが、この壁画は修理のため取り外されていて焼損を免れた。壁画本来の描写と色彩が残されている。これも必見だ。
在りし日の金堂内部は

かつて法隆寺金堂内には、それぞれ四仏、八菩薩、禅定比丘(山中羅漢)、飛天を描いた、外陣大壁画4面、同小壁画8面、外陣壁画18面、内陣小壁画20面の計50面の壁画があった。7世紀後半から8世紀初めに制作された壁画がほぼ完全な姿で残っており、インドのアジャンター石窟や敦煌莫高窟と並ぶ古代仏教絵画の至宝として知られていた。
しかし、昭和24 (1949) 年の火災で焼損してしまう。法隆寺は昭和9(1934)年から同31(1956)年まで大修理が行われていた。その最中の火災だったのだが、昭和10(1935)年に壁画の写真撮影が行われていた。外陣の12面すべてを原寸大に分割して写真に収めた。原板には約縦60センチ、幅45センチという巨大なガラス乾板が使われている。
近年、原板のデジタル化が進められ、原寸大近くに引き伸ばした写真が展示された。薬師如来坐像の背後に左右6面ずつ、柱と柱の間の壁を埋める。壁画写真を前にして、「法隆寺金堂を再現したかった」と語った展覧会担当の山口隆介・主任研究員の言葉が脳裏に浮かんだ。歩を進めるとまた敦煌莫高窟の壁画を思い出す。西方から来た異国の使者の顔もある。この「金堂再現」は奈良博だけの展示だ。関心のある人はぜひ訪れて、その場の空気を感じてほしい。
玉虫の翅見つけた

これも有名な玉虫厨子。現在は大宝蔵院に安置されているが、かつては金堂の東側に安置されていたと言う。宮殿部の透かし彫りの金具の下に、玉虫の翅が貼られていることからこう呼ばれる。修学旅行で訪れた時、ガイドが台座に描かれた「捨身飼虎図」の話をしている間ずっと翅を捜していた。しかし、見つからなかった。今回、ほぼ50年の時を経て時間の制限を受けずにじっくり捜すと、見つかった。どの部分にあったかは、敢えて書かないことにする。
(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)
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