探訪・箱根① ポーラ美術館 洋画にみる文化の受容と血肉化の苦闘、そして成果

黒田清輝《野辺》1907年(明治40) ポーラ美術館

観光地かつアートの一大拠点

温泉や豊かな自然、東海道の歴史、駅伝など多彩な「売り」を誇る神奈川県箱根町は、アートの一大拠点でもある。日本を代表する観光地には特色ある美術館や博物館が点在し、年間を通じて訪問客を集めている。収集や研究の面でも日本の文化を支えている。年明けにかけて注目の展覧会を開催している3館を訪ねた。(読売新聞東京本社事業局美術展ナビ編集班 岡部匡志)

「Connections-海を越える憧れ、日本とフランスの150年」展

ポーラ美術館(神奈川県箱根町仙石原)

2020年11月14日(土)ー2021年4月4日(日)まで

19世紀後半のジャポニスム、また明治以降の近代化を通じて、互いに強い影響を与え合った日仏の文化交流。その「美の往還」を豊富なコレクションをもとにたどる意欲的な試みだ。とりわけ力点が置かれている近代日本の洋画の変遷が、文化の受容をめぐるストーリーとして実に興味深い。

<第1章 ジャポニスム―伝播する浮世絵イメージ>

フィンセント・ファン・ゴッホ《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》1888年 ポーラ美術館
歌川広重《冨士三十六景 武蔵越かや在》1858年(安政5) ポーラ美術館
クロード・モネ《バラ色のボート》1890年 ポーラ美術館
二代歌川広重《東都三十六景 両ごく橋》1861―62年(文久元―2)頃 ポーラ美術館

モネ、ゴッホ、広重、北斎・・といきなり豪華な顔ぶれで、ワクワクする展示が始まる。モネやゴッホが浮世絵から大きな影響を受けたのは有名だが、改めて並べてみると大胆な構図や鮮やかな色遣い、橋などの特徴的なモチーフと、その関連性は一目瞭然。彼ら巨匠が日本についてどんな理想郷としてのイメージを持っていたのか、と想像するのは楽しくもあり、ちょっと怖くもある。

<第2章 1900年パリ万博―日本のヌード、その誕生と展開>

本展の最大の見どころといってよいコーナーだろう。西洋絵画の影響をうけて、日本でも描かれるようになったヌード作品の移り変わりをみていく。

ラファエル・コラン《眠り》1892年 芸術家財団、パリ
© Fondation des Artistes / Raphaële Kriegel
黒田清輝《野辺》1907年(明治40) ポーラ美術館

19世紀末にフランスで学び、日本の洋画界を牽引する存在となった黒田清輝(1866-1924)。フランスで指導をうけたラファエル・コラン(1850-1916)の影響もあり、当時の西洋美術の主要モチーフのひとつだった裸婦像に取り組むようになった。黒田の手掛けた重要な裸婦像である《野辺》は1900年のパリ万博会場で黒田が鑑賞したコランの《眠り》に触発され、制作されたとみられている。

日本美術史上、重要な意味を持つ作品だった《眠り》は長く行方が分からなかったが、近年、パリで保管されていたことが判明。本展を機に万博以来120年ぶりに公開の場に展示され、ポーラ美術館所蔵の《野辺》と並べられた。洋画研究史上のエポックといえるだろう。これまでも盛んに論じられていた2作の「近似」と「差異」もより明確になった。

《野辺》に先立ち黒田はいくつかのヌード作品を日本で発表し、裸体表現に対する感覚の違いから批判を受けたり、作品を布で覆う「腰巻事件」の騒動になったりするなど挫折を経験していた。《眠り》と《野辺》は構図や女性の柔らかな肌の質感、外光を受けた明るい色彩表現など基本的にはよく似ている。が、一方でコランの描く女性が眠っていて脇も露わで無防備なのに対し、黒田の作品の女性は覚醒しており、脇を軽く閉じて手に持っている花を見つめている。またコラン作の女性が官能的なイメージのある毛皮を掛けられているのに対し、黒田作の女性は意識して布地を手にしているなど、細かくみていくと多くの違いに気づく。

同展を担当した山塙菜未学芸員は「裸婦像を日本で受け入れられるように苦闘したあとが見てとれる。この黒田の取り組みを土台にして、日本独自の裸婦像表現が発展していった」という。

岡田三郎助《海辺裸婦》1914年(大正3) 十八親和アートギャラリー
岡田三郎助《あやめの衣》1927年(昭和2) ポーラ美術館

黒田同様、フランスでコランに学んだ岡田三郎助(1869-1939)も盛んに裸婦像をテーマにした。先行した黒田から表現はより洗練され、日本の社会になじむヌードが創造されていく様相がみてとれる。このほかにも黒田らに先んじてヨーロッパ留学中に巧みな裸婦像を描いていた五姓田義松や百武兼行、大正年間にセザンヌやゴーガンの影響を感じさせる裸婦像を創作した満谷国四郎など、興味深い作品が並ぶ。

<第3章 大正の輝き―ゴッホ、セザンヌ、ルノワールと日本の洋画家たち>

こちらも知的興奮を感じる展示。「信仰」とさえ表現される日本におけるゴッホ人気をはじめ、セザンヌ、ルノワールらから日本の洋画家たちが受けた多大な影響と、そこから独自の表現を見出していった彼らの歩みをたどっている。

フィンセント・ファン・ゴッホ《草むら》1889年 ポーラ美術館
中村彜《平磯海岸》1919年(大正8) 今治市玉川近代美術館(徳生記念館)
岸田劉生《自画像》1912年(明治45) 東京都現代美術館

ゴッホの強い影響を伺わせる作品の数々。

岸田劉生《麗子坐像》1919年(大正8) ポーラ美術館
村山槐多《湖水と女》1917年(大正6) ポーラ美術館

その後の岸田や村山の作品には、「ゴッホ風」をはじめとする西洋美術からの影響を吸収しつつ、独自の世界を切り開こうとする熱気と創意をひしひしと感じる。1章、2章から展示の流れで見るからこその妙味だろう。

森村泰昌《肖像(ゴッホ)》1985年(昭和60) 高松市美術館

名高い森村の写真作品からは、日本に心酔したゴッホ、ゴッホを信仰した日本、そしていまやありふれたイメージとなったゴッホ、という歴史の積み重ねが透けて見える。現代でも毎年のように展覧会が開催され、多くのファンを集めるゴッホ。その往還はいまだリアルタイムで進行している、とも言えそうだ。

<第4章 「フォーヴ」と「シュール」>

1920-30年代に入ると、ヨーロッパの前衛芸術の動向がほぼ同時に日本にも伝わるようになった。フォーヴィスムに傾倒した里見勝蔵や佐伯祐三、シュルレアリスムに強く影響を受けた古賀春江や三岸好太郎などの歩みをたどっていく。フォーヴィスムやシュルレアリスムがもともと持っていた理念や思想と、日本のアーティストが受容した際の「ずれ」もはっきり見える。

里見勝蔵《ポントワーズの雪景》1924年(大正13)頃 ポーラ美術館

<エピローグ フジタ―日本とフランスの往還の果てに>

レオナール・フジタ(藤田嗣治)《ラ・フォンテーヌ頌》1949年 ポーラ美術館
ⒸFondation Foujita/ADAGP,Paris&JASPAR,Tokyo,2020,B0504

展覧会の終着点に置かれているのはレオナール・フジタ(藤田嗣治)(1886-1968)。ポーラ美術館ならではのコレクションを存分に味わえる。

1920年代のパリで窮乏の時期を乗り越え、日本の伝統的な技法や表現、感性を生かして大きな成功をおさめたフジタ。日本人としてのアイデンティティにもこだわった彼にとって戦後、「戦争協力者」のレッテルを貼られて日本を追われた衝撃は大きく、その後祖国の土を踏むことはなかった。結局、日本国籍を抹消し、フランス人としてその生涯を終えた。日本とフランスの間で苦悩しつつ、新しい表現を生み出していったフジタは、日仏の「美の往還」の象徴としてふさわしいだろう。

<むすび>

もともと本展は東京五輪の開催に合わせて、海外から訪れる美術愛好者に欧州の名画や浮世絵などとともに、日本近代の作品も知ってもらいたい、という狙いがあった。山塙学芸員は「前提が変わってしまいましたが、コロナ禍で外国との往来が不自由になったことで、少ない情報の中で異国の文化に触発され、新しい芸術を生み出したゴッホや日本の洋画家たちの歩みを振り返ることにリアリティが生じたかもしれません」という。

今年開催された大規模展は五輪を意識したものが多く、時代状況にそぐわない内容になってしまったものも珍しくないが、本展はむしろ今年でこそ、という問題提起になったと思える。自館の豊富なコレクションを生かした点も、結果的に時代の先取りだったといえるかもしれない。

「文化の伝播にはある種のずれ、ギャップ、誤解が必ず生じます。異国の作品世界に魅了され、真似をしても真似をしきれない、もともと持っているアイデンティティが出てくるところこそ興味深いものがあります。日本のアート界では最近、洋画の影が薄いのですが、そうした点に注目して改めてその良さを味わってほしいです」と山塙学芸員は話していた。

箱根の数多い美術館の中でも、筆頭格の知名度を誇るポーラ美術館。豊かな収蔵品とともに、おしゃれな建築もその人気の秘密。遊歩道も設置されており、箱根の自然を楽しめる。

詳しくは同館ホームページへ。

探訪・箱根②へ続く。

直前の記事

新着情報一覧へ戻る