詩人・平田俊子×「もうひとつの江戸絵画 大津絵」 名画とは違う味わい【スペシャリスト鑑賞の流儀】

【スペシャリスト鑑賞の流儀】は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。
今回は詩人の平田俊子さんに、東京ステーションギャラリー(東京駅丸の内北口)で開催中の「もうひとつの江戸絵画 大津絵」を鑑賞していただきました。
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平田俊子(ひらた・としこ)
詩人。詩集『戯れ言の自由』(紫式部文学賞)、『詩七日』(萩原朔太郎賞)。小説『二人乗り』(野間文芸新人賞)。エッセー集『低反発枕草子』『スバらしきバス』。2015年から読売新聞「こどもの詩」選者を務める。
「もうひとつの江戸絵画 大津絵」
9月19日~11月8日=月曜休館(11月2日は開館)
東京ステーションギャラリー(東京駅丸の内北口)
入館券はローソンチケットで販売
多くの文化人を魅了
大津絵とは江戸時代初期(17世紀半ば)頃から、東海道の大津周辺で量産された土産物。分かりやすくて面白く、安価で人気を博した。初期は仏画が中心だったが、やがて戯画や風俗画、教訓画などが登場し、江戸庶民のニーズにこたえる多様な世界を形作っていく。型紙や版木押し(スタンプ)で骨格を作り、刷毛で色を付けた大津絵は値段も安く持ち運びにも便利だったため、土産物として大成功し膨大な数が作られた。しかし、現在残されている数は多くない。
近代になり、土産物としての役割を終えた大津絵は、多くの文化人の関心を呼ぶようになる。文人画家の富岡鉄斎や洋画家の浅井忠、民藝運動の創始者である柳宗悦など当時の先端の目利きたちが大津絵の価値を認め、所蔵するようになる。戦後もこの動きは続く。
今回はそうした目利きたちの旧蔵歴の明らかな名品約150点が展示された。
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誰が始めたのでしょうね。なぜ大津で始まったのだろうと思いますが、江戸時代の大津は交通の要地で東海道の宿場だったのですね。絵心のある人と商才のある人が出会って、土産物として絵を売り出すことを考えたのでしょうか。いつの時代も、旅をする人はお土産を買いたくなるものなんですね。
大津絵は安かったそうですが、今の金額だといくらくらいだったのかな。知りたいことがたくさんあります。わたしも当時生きていたらあれこれ買って帰って、みんなに配ったかもしれません。
大津絵には、名前を知られた画家たちのいわゆる名画とは違う魅力がありますね。ぬくもりがあっておおらかで気軽に楽しめます。描いた人の名前が残っていないところも大津絵の良さではないでしょうか。
【大津絵の専門家であるクリストフ・マルケ仏国立極東学院学院長に聞いたところ、今で言う100円ショップのような「19文店」があって、その値段で売っていたという。そば1杯の値段だそうだ】

鬼の絵が人気
鬼の絵がたくさんありますね。人気の画題だったのでしょうね。あまり怖くなくて愛嬌のある鬼です。風呂桶の下の方に焚口が見えます。お湯がはねて、鬼のからだにかかったような不思議な線もあります。上にある雨雲みたいなものの描き方が斬新ですね。脳みそとか、鬼の邪気にも見えます。鬼のパンツが雨雲みたいなものを包んでいます。
お湯が熱くてさすがの鬼も入れないという絵かと思ったら、「行水で体の汚れは落とせても、心の汚れは落とせない」という教訓が含まれているそうです。この絵からそこまでわかりませんよね。鬼、雲、風呂桶、それぞれしっかり描かれています。
【クリストフ・マルケ教授によると、雲が描かれているのは、この鬼が雷神だからだという】

こちらは鬼が念仏を唱えています。この鬼も人気があったのでしょうね。同じ画題の絵が何枚もあります。鬼がお坊さんの格好をして念仏を唱えてお布施をくださいといってるんだから、そりゃおかしいですよね。
髭や目玉が猫みたいです。耳は福耳。からだに比べて手が小さい。そういえば、岸田劉生の人物画も手が小さいですね。角が片っぽ折れていますが、なぜでしょう。念仏を唱えているうちに半分改心したということかな。
同じ画題でも、角が折れていない鬼もいますね。描き手によってそれぞれ趣向を凝らしたのでしょうか。角を見比べるのも面白そうです。
【手に撞木(しゅもく)と奉加帳を持ち、首から鉦(かね)を下げている。角の一方が折れたり、足の爪が2本になったり3本になったりと、時代により表現に変化がある。江戸時代後期には、子どもの夜泣き止めの護符として使われたという]

パンクロッカーみたいな鬼ですね。ひとりで三味線弾いてお酒を飲んで楽しそうです。歌もうたっているかもしれません。三味線の弦はちゃんと3本描き込まれています。この絵は人気があったでしょうね。わたしも欲しいぐらいです。黒い縁取りがちょっとルオーっぽくないですか。三味線や盃、徳利の輪郭も含めて黒が利いていますね。
【古くから制作された画題。時代が下るにつれて、楽しそうな様子にほだされてともに酒を飲んで気を許すと、本性を現した鬼にひどい目に遭わされる、という教訓的な歌が添えられるようになる】

教訓より絵の楽しさ
猫が鼠にお酒を飲ませ、酒の肴の唐辛子も差し出しています。仲がよさそうだけど、猫は鼠を酔わせて食べるつもりなのでしょうね。まわりに歌がいくつも書かれていますが、絵とは別の人が書いたのでしょうか。この絵では4首ですが、1首や5首書かれた絵もありますね。
教訓にこだわると窮屈な感じがします。自由に想像して楽しめばいいと思うけれど、江戸時代の人は歌や教訓も含めて楽しんでいたのかもしれませんね。
【絵の周囲に書かれている文字は道歌という、道徳や教訓的な短歌。左下の歌は「聖人のをしへをきかずついに身をほろぼす人のしわざなりけり」と酒の危うさを歌っている。パブロ・ピカソが同画題の大津絵を所有していたという】

さっきの絵とは反対に、こちらは鼠が猫にお酒を飲ませています。猫は大虎になって暴れたりして。この絵でも肴は唐辛子ですね。当時、一般的な酒の肴だったのでしょうか。この絵にも《猫と鼠》と同じ歌が書かれています。要はどちらも飲み過ぎに注意ということなんでしょうか。

謎解きも楽しみ
【狐が手綱をとって馬に乗る。狐は房のある鍵を持ち、尻尾の先には宝珠が描かれている。中期以降の大津絵には「乗るまじきものに乗るはみなきつね落ちてこんくわい後悔をする」という道歌が書かれる。鍵をかかげるのは、鍵穴から天をのぞくという諺から、狭い見方で物事を判断するなという教訓が込められているという】
巨大な鼠かと思ったら狐でした。この絵だけでは教訓が分かりません。鼠が持っているのが鍵というのも、ちょっと分かりませんね。江戸時代の鍵はこんな形なんですね。房がついているところを見ると、蔵か何かの大事な鍵なのでしょう。分からないことだらけですが、謎解きの楽しみもありますね。お土産で買ってきた人が、これはこういう絵なんだぞと教訓を自慢げに披露したりするのかも知れません。「針の穴から天をのぞく」という諺がありますが、「鍵穴から」ともいうんですね。「こんくわい」の「こん」は狐で、駄洒落でしょうか。

【ふんどし姿の大黒が外法(福禄寿の異称)の長い頭に梯子をかけて、剃刀で剃るというユーモラスな絵。大津絵の中でも人気があった。誇張された外法の長頭を、肥大化した自尊心と読む人もあるという】

構図もふんどしもオシャレ
誰が思いついたのでしょう。笑いたくなります。外法の頭が長いといってもここまでのことはないでしょうが、誇張して楽しんでますね。外法がはしごを持ち上げている構図がシャレてます。
大黒のふんどしの色もオシャレ。二人のからだに躍動感がありますね。よく見ると外法の頭から血が出ています。大黒が剃り損ねたのでしょう。この画題には外法が走っているものなど、いくつかバリエーションがあります。外法も大黒も七福神の神様だから、縁起のいいお土産だったのではないでしょうか。

この絵は大津絵の名品といわれているそうです。後頭部が飛び出した不思議な髪型ですね。高下駄を履き、ぼってりとした着物を着ています。傘を持つ右手が小さいですね。何だか不思議な顔立ちです。目が大きくて、ちょっとコミカルです。《藤娘》や、これ以外の《傘さす女》は古風な顔立ちですが、この女性は内面が現われているような表情をしています。からだは細いのに足を大きく広げて、大地を踏みしめているみたいです。大津絵は短時間でさっと描いたようなものが多いですが、着物の柄といい、簪といい、この絵は丁寧に描かれていますね。名品といわれるのもわかる気がします。
【元々、梅原龍三郎が所蔵していた。岸田劉生が梅原の所蔵として紹介した際に、「これだけの味のあるものは一寸世界的に稀であろう」(『初期肉筆浮世絵』1926年)と書いている】
(聞き手読売新聞東京本社事業局シニア嘱託秋山公哉)