イギリスが誇る名画コレクション エッセイスト・岸本葉子 × 「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

【スペシャリスト 鑑賞の流儀】は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

今回はエッセイストの岸本葉子さんに、国立西洋美術館(東京・上野公園)で開催中の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」を鑑賞していただきました。

岸本葉子(きしもと・ようこ)

エッセイスト。1961年、鎌倉市生まれ。東京大学教養学部卒業。暮らしや旅を題材にエッセイを数多く発表。俳句にも親しんでいる。著書に『NHK俳句 岸本葉子の「俳句の学び方」』(NHK出版)、『人生の夕凪 古民家再生ツアー』(双葉文庫)、 『50代からの疲れをためない小さな習慣』(佼成出版)、『50代、足していいもの、引いていいもの』(中央公論新社)など。

 公式サイト http://kishimotoyoko.jp/magazinetv

  

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

2020618日(木)~10月18日(日) 国立西洋美術館(東京・上野公園)

2020年113日(火・祝)~2021年131日(日) 国立国際美術館(大阪・中之島)

 英ロンドン・ナショナル・ギャラリーから、ティツィアーノ、フェルメール、レンブラント、ターナー、ルノワール、ゴッホら、ルネサンス以来の西洋美術500年の精華ともいえる61点の名作が初来日。

 

巨匠の作品とともに

王室のコレクションをもとにできたパリ・ルーブル美術館とは対照的に、ロンドン・ナショナル・ギャラリーは産業資本家ら国民の力で生まれ、形成されたそうです。当時のイギリスの新興コレクターには、評価の定まった巨匠たちの作品が魅力だったようです。

 

クロード・ロラン 「海港」 1644年 油彩・カンヴァス ロンドン・ナショナル・ギャラリーのコレクションの起点となったアンガースタインのコレクションの中の1点

 ロランはフランス人ですが、長くイタリアで過ごし、描きました。1819世紀当時、ヨーロッパ美術の巨匠として高い評価と人気を誇っていたといいます。

港は、交易の大国でもあったイギリスの人々にとって、思い入れのある主題だったのでしょう。光を受けて、聖性を帯びたように描かれたロランの港の情景が、イギリスの産業資本家に好まれたことはよく分かる気がします。

 【同ギャラリーは、繁栄する大英帝国を支えた産業資本家、美術愛好家たちの提案に政府・議会が応える形で、1824年に創設された。設立当初のコレクションでは、当時のイギリス人が好んだ巨匠の作品が目立つ。ナショナル・ギャラリー創設の中核となったアンガースタイン・コレクションには、ラフェエロ、ルーベンス、クロード・ロランら巨匠の作品が含まれている。以後2世紀にわたり収集を連綿と進めて上質なコレクションを築いた。】

 

トマス・ローレンス「55歳頃のジョン・ジュリアス・アンガースタイン」 1790年頃 油彩・カンヴァス

 ロンドン・ナショナル・ギャラリーは銀行家アンガースタインのコレクションを核として創設されました。この作品はアンガースタインがコレクションの土台となるオールド・マスター絵画を集め始めたころの肖像です。服装も華美ではなく、苦労人のようにも見えますね。巨匠の作品にあこがれた気持ちが分かるような気がします。

 

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ「窓枠に身を乗り出した農民の少年」 1675-80年頃 油彩・カンヴァス ©The National Gallery, London. Presented by M.M. Zachary, 1826

 スペインは、イギリスにとって宗教観の違いもあり、異国感の強い国だったはずですが、17世紀スペイン美術の巨匠ムリーリョは、聖家族を描いても、この作品のように市井の情景を描いても、親しみやすい甘美な画風で、イギリスでも早くから人気があったようですね。

 

フランンシスコ・デ・ゴヤ 「ウェリントン公爵」 1812-14年 油彩・板

  ウェリントン公爵は、仏ナポレオン軍からスペインを「解放」したイギリスの軍人。スペイン王室の宮廷画家だったゴヤが描いた肖像画は、勲章が燦然としているのに人物描写は写実的で美化がありません。疲れた雰囲気が逆に印象的です。栄光の裏にある苦労を描いたのでしょうか。

 【ナポレオンに対するスペインの独立戦争(1808-1814年)に、イギリスはスペイン側同盟国として介入し、フランス軍を駆逐。これを機に、スペインの絵画がイギリスにまとまってもたらされた】

  

「西洋絵画の教科書」へ

19世紀半ばに館長職が設けられて、美術史を反映した体系的な収集活動が始まります。これが「西洋絵画の教科書」とも呼ばれる現在のロンドン・ナショナル・ギャラリーの名画コレクションを生みました。

 【同ギャラリーのコレクションは13世紀から20世紀初頭までの名画約2300点で、ルーブル美術館の38万点以上(美術品は約35000点)、ニューヨークのメトロポリタン美術館の約300万点と比べると文字通り桁違いに少ない。にもかかわらず「西洋絵画の教科書」とも称されるのは、その系統立てられた構成と作品一点一点の質の高さが際立っていることが背景にある】

 

カルロ・クリヴェッリ 「聖エミディウスを伴う受胎告知」 1486年 卵テンペラ・油彩・カンヴァス ©The National Gallery, London. Presented by Lord Taunton, 1864 大天使ガブリエル(手前左端)が乙女マリア(同右端)に神の子イエスの懐妊を告げる新約聖書の「受胎告知」の場面

不思議な、圧倒的な作品で、今回の展覧会で最も印象的な作品のひとつです。普通は「受胎告知」は大天使ガブリエルがマリアさまに「お宿り」を告げる二人だけの情景を思い浮かべますが、ここでは、聖書の物語以外に、画家が生きた当時の情景も描きこまれているようです。大天使ガブリエルは、この町(アスコリ・ピチェーノ)の守護神・聖エミディウスとともにいます。この守護神が持っているのは町の模型。室内には蝋燭などが置かれていて、精霊を表す白い鳩と金色の光が上空から差し込んでいます。さまざまなものが描き尽くされている印象です。地面にはリンゴやウリがだまし絵的に描かれており、受胎告知にどうしてこんな仕掛けを、と不思議に思いました。 

図録でクリヴェッリの作品をふり返る岸本さん

  いろいろなものが詰め込まれていながら、作品として完成されているのは、遠近法による空間描写という技術的な支えがあったから。ルネサンスならではの知性と美の結合でしょう。

 

 

エル・グレコ「神殿から商人を追い払うキリスト」 1600年頃 油彩・カンヴァス

  エル・グレコのこの作品は福音書がテーマですが、その主題にとどまらない人間の苦悩が描かれているように思います。少し難しい、好き嫌いの分かれそうな画風です。ロンドン・ナショナル・ギャラリーのコレクションに加わったのは19世紀末で、体系的なコレクションづくりがある程度進んだ後のことだそうですね。グレコを受け入れたのは収集する側の成熟の証だったかもしれません。

 

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 「34歳の自画像」 1640年 油彩・カンヴァス ©The National Gallery, London. Bought, 1861

 ルネサンスの画家が貴人を描いた作品と同じようなポーズで、レンブラントが自分自身を描いています。何のために描いたのでしょうか。頼まれてお金をもらって描いたのではないでしょう。自己確認、自己礼賛のためかもしれません。

 

大輪の花 フランス近代美術

イギリスのコレクターの保守的な姿勢は近代美術でも。印象派やポスト印象派の作品の評価はなかなか進まなかったようですが、第一次世界大戦が終わる頃から、モネ、ルノワール、ドガ、ゴッホ、ゴーガンらの名作が続々とコレクションに加わりました。

ポール・ゴーガン「花瓶の花」 1896年 油彩・カンヴァス

描かれているのは花だけなのに、力強い作品ですね。作品の力を存分に感じます。同じ壁にはモネの「睡蓮の池」セザンヌ「ロザリオを持つ老女」など、それぞれ1点だけで展覧会の目玉になりそうな名作が並んでいます。

 

フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」 1888年 油彩・カンヴァス ©The National Gallery, London. Bought, Courtauld Fund, 1924

 黄色の上に黄色を重ねたのが不思議でした。普通なら、背景に青とか紫のように黄色を引き立てる色を使うところだと思います。ゴッホにとっては、このころ、黄色は重要な意味を持っていたようです。南仏の強烈な陽光、まもなくアルルの「黄色い家」に来る予定だったゴーガンと高め合おうとするゴッホの意欲。そうしたフレッシュなエネルギーの象徴がレモンイエローだったのかもしれません。

 

文化というドラマ

時代や地域、テーマによって7章で構成されていますが、こうした美術史的な区分とともに、19世紀のイギリスを取り巻く環境を頭に置くと、俄然(がぜん)面白さが増すと思います。

経済大国だったイギリスが、仏ルーブル美術館などに刺激されて国民の発意で美術館を設立し、やがて館長たちが体系的なコレクションづくりに挑み、今では「西洋絵画の教科書」とも呼ばれるようになりました。

そのプロセスは、作品一点ごとの価値のみならず、「受け入れ途上」のイギリスの人々の価値観を反映していて、興味を引きます。

江戸時代末期に鎖国を解き、極東の島国として出発した近代日本にも通ずるところがあるように思います。異世界の美術との出会いと理解の深まり、そして昨年「鑑賞の流儀」で取り上げた松方コレクションなど芸術作品の収集・公開は、日本の文化に新たな豊かさをもたらしたと思います。

単に社会的、経済的な力の表現ではなく、志のある文化的な営みの成果が現在の美術館、美術展に結実しています。

コロナウイルス感染拡大による経済的打撃のために、今後、美術館の世界にも何らかの困難が待ち受けているかもしれません。災害の後には芸術文化予算がまっさきに削られた歴史もあります。

しかし、こういう時だからこそ美術からエネルギーをもらえる機会は大事だと思います。この展覧会にも、日時指定制など従来にはなかった制約がありますが、多くの人が足を運んでいます。

生の美術品を見て、直(じか)にそのエネルギーに触れることには、他に代えがたい高揚感があることを、今回あらためて感じました。

 (聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員  陶山伊知郎)

 *「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」は日時指定制。会場でのチケット販売はありません。詳細は展覧会公式サイトで。

 

 

 

 

 

 

 

 

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