ゴッホへの揺れるまなざし【イチローズ・アート・バー】第28回

英美術雑誌「バーリントン・マガジン」 2020年2月号の表紙

 

 

東京・国立西洋美術館で開催中の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」は日本初公開の名画61点が注目を集めているが、とりわけ人気の的となっているのがゴッホの「ひまわり」だ。

 

フィンセント・ファン・ゴッホ 《ひまわり》 1888年 油彩・カンヴァス 92.1×73cm ©The National Gallery, London. Bought, Courtauld Fund, 1924  *『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』(東京・国立西洋美術館)で公開中

 

1888年、南仏アルル。ゴッホは芸術家の共同体を作ろうと「黄色い家」を借り、画家仲間に声をかける。ほとんどが虚しい誘いに終わる中、唯一、ゴーギャンは応えた。ゴッホは「黄色い家」を飾る作品に取り組む。ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵の「ひまわり」はこの時に描かれた。

ひまわりも背景も「クロームイエロー」と呼ばれる明るく輝くような黄色だ。大阪大学教授(美術史)でゴッホ研究の第一人者の圀府寺(こうでら)司さんは「あれほど平面性に徹してほぼすべて黄色で描くのは革新的。大きなエネルギーと知識、技術の積み重ねが必要だっただろう。ゴッホは『誰にでも描けるものではない』と記したが、その自負は正しいと思う」と評する。

この「ひまわり」の堂々たるゴッホぶりとは対照的に、「ゴッホらしさに欠ける」とされた作品が、今年、美術雑誌などで話題にのぼった。

オスロのゴッホ「自画像」

ノルウェーの首都オスロにあるナショナル・ギャラリーの「自画像」(1989年)がその主人公。ゴッホが精神病の発作に襲われサン・レミの精神病院に入院した1889年夏の作品とされる。同ギャラリーが1910年にパリの画商ブロットから買い入れた。長い間、議論の対象となり、一時は「ゴッホ作」から「ゴッホと考えられる」という扱いに格下げされた。無理もない。地味な第一印象、生気のない表情、パレット・ナイフで平坦に仕上げられた頭部は、色も形もいわゆる「ゴッホ風」とは距離があるように見える。

 *オスロ・ナショナル・ギャラリーの「自画像」のイメージは同ギャラリーのサイト

真贋論争 

真贋判定のカギとなるのは、様式、画材、記録・資料など。オスロの「自画像」はゴッホの手紙に明確な記述がなく、来歴、つまり作品の所有者歴も20世紀初頭に画商ブロットが同業者のヴォラールから手に入れたことまでは分かったが、それ以前の動きは不明だった。

1970年にカタログ・レゾネと呼ばれる全作品集の改訂版が研究者によって編まれたが、オスロの「自画像」は疑問符がついたまま結論が出ず、ゴッホの弟テオの息子、ヴィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホはこの自画像を真作とは認めなかった。

この「自画像」は、日英蘭の専門家を迎えて組織され1985年に東京で開かれた「ゴッホ展」(19851012日~128日、国立西洋美術館)では、最晩年の作品として出品されている。ただし、「特異な筆使い」が見られ「様式から(制作時期を)判断するのは難しい」として「あえて推定するならば」との前置きした上で、18907月、つまり自殺とされる他界直前の作品と位置付けた。

1990年を過ぎると、描かれたゴッホの自制心を喪失したようなたたずまい、ゴッホ特有の厚塗りが施されていない顔の表現など典型像との違いを挙げて、真作ではあるまいとする意見が強まった。ヴォラールの手に渡るまでの来歴が不明なこともあらためて弱点とされた。

こうなると所蔵者のオスロ・ナショナル・ギャラリーも「ゴッホと考えられる」と格下げせざるを得なくなり、2005年、議論は終結したかに見えた。

 転機

だがその翌2006年、転機が訪れた。同ギャラリーのチーフ・キュレーターが、問題の「ヴォラール以前」の来歴を解明したのだ。ゴッホは18901月、アルルに旧友ジヌー夫妻を訪ね、この作品を渡していた。ジヌー夫人は「アルルの女(ジヌー夫人)」という題名の複数の作品(ローマ国立近代美術館蔵ほか)でモデルを務めている。夫妻はゴッホ没後の1895年、持っていたゴッホの作品をまとめて画商ヴォラールに売却。この中に、代表作のひとつ「夜のカフェテラス」やこの作品が含まれていた。ヴォラールは1908/09年ごろに「自画像」を画商ブロットに売却、さらに1910年オスロのナショナル・ギャラリーへと渡った全来歴が明らかにされた。

  

ゴッホ美術館登場

その後、断続的に議論が重ねられつつも決定打を欠く中、2014年、同ギャラリーはアムステルダムのゴッホ美術館に科学的調査を依頼した。技術の進歩とともに、真贋判定においてX線、DNA鑑定、年輪年代学など科学的分析が一層重視されるようになっていた。

ゴッホ美術館の科学的調査は本格的なものだった。同館のもつ「ひまわり」はロンドン・ナショナル・ギャラリーの「ひまわり」のゴッホ自身によるレプリカ作品だが、近年行われたロンドン、アムステルダムの両作品の比較調査では、キャンバスの糸目を一本一本調べ上げ、使われた絵の具も同様に徹底して分析した。ゴッホの研究者、圀府寺さんが「ここまで調べ上げられると、私が贋作者でもこの時期のものは避けるでしょう」と冗談交じりに語るほど精度が高い。

  「ゴッホ」の横顔 

作品を持ち込んだオスロ・ナショナル・ギャラリーに対して、依頼を受けたゴッホ美術館は「望まれるような答えにはならないかも」とくぎを刺したという。同美術館の調査チームは2016年に作業に着手。作品の様式的特徴、用いられた画材、来歴など多角的な調査の末に、今年1月に結果が発表された。辛目だった予告に反して判定は「白」。この「ゴッホらしさ」に欠けるように見える作品もゴッホの手になるものと鑑定された。

描かれたのは、18897月に精神病の発作を起こし、まだ状態が不安定だった8月という。乏しい表情、うつろな瞳、力ない姿勢、沈みがちな色彩などは、発作の恐怖が去らない状況を考えれば納得できる。絵の具もこのサン・レミ時代特有のものであることが確認された。

「ゴッホらしくない」作品はゴッホが発作の後の不安定な時期に、もがくように描いた作品だったことになる。しかも発作の恐怖の最中に描かれた自画像という、ゴッホの知られざる一面を記す作品と位置付けられた。

 このオスロの作品以外にも、真作ではなかろうと考えられてきた「ゴッホとされる作品」の中に、新たな研究成果として「真作」の鑑定を受けた作品が過去10年に8点あったと伝えられる。ゴッホはわれわれが持つ「ゴッホらしさ」のイメージとは異なる横顔ももっていたようである。

 

ホンモノを巡るまなざし ~ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「余白」

ジョルジュ・ラ・トゥール(15931652年)というフランスの画家がいる。ろうそくの火に照らし出された聖人像などで知られる。20世紀前半に「再発見」され、以来、根強い人気を誇る。現存する作品は40点前後にすぎないが、その内の1点「聖トマス」を東京の国立西洋美術館が購入し(2003年度)、ラ・トゥールの作品としては日本初の公的コレクションとなった。

この購入を機に、同美術館でラ・トゥールの回顧展が開催された(200538日~529日、東京・国立西洋美術館)。世界各国から真筆約20点と模作など合わせて34点が集められた。展示点数は通常の展覧会の半分程度、あるいはそれ以下で、小ぶりな作品も多い。まばらな展示となった。しかし、神経が張りつめたような作品の力と、作品が醸し出す思索的な空間の中で、会場は緊張感のある瞑想の場となった。

「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」図録表紙

 

もっとも、展示された真作のすべてがラ・トゥールの筆100%というわけではなかった。贋作というわけではない。後世、描き足された部分があるというのだ。ラ・トゥールが描く人物像は、時代の好みも反映して、画面を埋めるように描かれた。国立西洋美術館蔵の「聖トマス」を含む「キリストと十二使徒」の連作も、頭が画布の上辺すれすれに位置する作品が多い。

 *ラ・トゥールの作品が掲載されているサイト

複数の人物を描いた作品では、画面が人で満ち、頭が画面の端で切れている者さえいる。一方、展覧会に集められた「ラ・トゥール」には、上辺部分に横帯のような黒い空間・背景をもつ作品もあった。

展覧会の展示作業は、まず作品の状態点検を行い、その後、会場の空間づくりに配慮しながら、ひとつひとつ陳列を行う。「ラ・トゥール展」でも作品に随行して来日したコレクターや美術館の学芸員、修復家などとともに、私も主催者の一員として現場に立ち会った。朝から晩まで。それが週をまたいで続く長丁場となった。終盤のある日、居合わせた顔ぶれでギャラリーを回りながら雑談していた時のことだ。

「ほら、ここから見上げてみて」。修復のスペシャリストが言った。屈んで見上げると、正面からでは分からなかったかすかな折り目のような線が、上辺から2030センチほどのところに水平に伸びている。

17世紀末になると時代の好みが変わって、余白的な空間が求められるようになり、その時代の所有者が、細長いキャンバスをつぎ足し、描き足させたというのだ。当然、延伸部分はその時代の画家の筆になる。

そう言われて、他の「余白」つき作品を反射光をとらえやすい角度で見上げると、「これも」「あれも」と「折り目」が浮かび上がった。後世の加筆に抵抗のない時代だったのだろう。実際、17世紀スペイン絵画の巨匠ベラスケスの作品にも、こうした延伸が見られるものがある。

さらに探偵気取りで作品を追っていくと、人物にも筆の違いを感じるところがあった。「ここは」と言いかけて目をあげると、「折り目」を指摘したスペシャリストは私の表情を見て「ここは違うだろうね。うまい人間は下手には描けないものだ」と小声で言った。

  

美術品のホンモノ度

「基本的に絵画はほとんどが情報不足」と圀府寺さんは語る。ある画家が描いたことを証明するには、極端に言えばタイムマシンに乗って制作現場をおさえでもしなければ「100%」には届かないのだろう。

現代美術でも、真贋問題は起こっている。物故作家の親族や著作権を管理する財団関係者の目に怪しげに映る作品があったとしても、贋作であることの証拠をそろえられなければ、公に「怪しい」とはうっかり言えない。訴えられるかもしれないのだ。法廷闘争を嫌って、人気のある画家、たとえばバスキア、ポロック、ウォーホルらの財団は鑑定から手を引いてしまった。

白黒つけられないグレーゾーンの作品が多数派という中で、グレーから「白」へのアプローチには、科学的調査と確実な来歴、経験と見識を備えた目利きによる総合的判断が求められる。そうしてさえも「100%」とは断言できないことが少なからずある、というのが美術品の真贋問題の実情のようだ。

  ゴッホのまなざし

わずか10年ほどの画家としての人生を、ゴッホはさまざまな変転を見せながら、急くように駆け抜けた。ゴーギャンとの諍(いさか)いによる「耳切り事件」など人生も波乱に満ち、実生活の振幅の激しさは作風にも反映されたはずである。

嵐のような足跡の中に一見「ゴッホらしくない」ゴッホもいたようだ。激しく揺れ動く自分自身をつかみかね、描くことで支えようとした画家に、自己の画風を顧みて仕上げるような意識は生まれなかっただろう。

オスロ・ナショナル・ギャラリーの「自画像」の「真作鑑定」を伝える英雑誌「バーリントン・マガジン」2月号の記事

 

ある画風を築き、それを守るようにして人気や評価を確立した画家もいるのに対し、振幅の激しさから生まれるエネルギーがゴッホの魅力だとしたら、定式が通用しないことがあってもそれは自然なことだろう。ゴッホのまなざしは波動を孕み、その芸術は「上手い下手」を超越した領域にあった。ホンモノの探求が波乱に富んだものになったのは、ある意味で必然だったかもしれない。

 (読売新聞東京本社 事業局 専門委員 陶山伊知郎)

  「イチローズ・アート・バー」は、東京、ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞事業局・陶山(すやま)伊知郎の美術を巡るコラムです。

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

2020618日(木)~10月18日(日)東京・国立西洋美術館

113日(火・祝)~2021年1月31日(日)大阪・国立国際美術館

*チケットは事前予約制

  

 

直前の記事

ジャーナリスト・江川紹子× 永遠のソール・ライター展 「かくす」「ぼかす」・・秘すれば花、の美学【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

「スペシャリスト 鑑賞の流儀」では、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。今回はジャーナリストの江川紹子さんに、Bunkamura ザ・ミュージアム(

続きを読む
新着情報一覧へ戻る