NEW

「馬の道」のナゾ 古代の群馬はグローカルだった? 【イチローズ・アート・バー】第27回

「金銅心葉方杏葉」綿貫観音山古墳出土  杏葉(ぎょうよう)は馬の飾りのひとつ

古墳出土の水瓶、馬具など国宝指定へ

群馬県高崎市の綿貫観音山古墳は6世紀後半に造られた長さ約97メートルの前方後円墳。1968年(昭和43年)の発掘調査で、「銅水瓶」など豪華な副葬品が未盗掘の状態で見つかり話題になった。

綿貫観音山古墳(群馬県高崎市)

それから約半世紀の今年3月、文化審議会が出土品一式を国宝に指定するよう文部科学相に答申。被葬者の富や権力、さらには国際的な交流の一端を示す貴重な文化財としてその重要性が認められた。「国宝当確」の報に、山本一太・群馬県知事は「日本だけでなく世界の人々に見ていただく価値のあるもの。アピールしていきたい」と語った。この夏~秋にも正式に国宝に指定される予定だ。

 

出土品を保管する群馬県立歴史博物館では、718日に「綿貫観音山古墳のすべて」展が始まり、交流を示す畿内、東海、九州北部、東北などの出土品と合わせて約630点を公開している。綿貫観音山古墳の副葬品には中国伝来、朝鮮半島製と考えられる先進的な文物が多数含まれ、古墳時代の群馬が東アジアの空気を吸っていた、つまり東アジア史の国際的なプレーヤーの一員だったことを想像させる。

東国は先進国だった?

群馬は、ヤマト王権の権威を反映した前方後円墳の宝庫でもある。その数は100を優に超える。畿内の古墳文化、つまりヤマト政権と近かった証だ。

畿内を凌いでいたかもしれない例もある。

「銅水瓶(どうすいびょう)」(「綿貫観音山古墳のすべて」展より) 蓋のつまみ部分に葱の花の形をした擬宝珠(ぎぼし)が見える

 綿貫観音山古墳の発掘調査が行われた時のこと。「銅水瓶(どうすいびょう)」の蓋にあたる部分がのぞいた時、専門家は反射的に古墳そのものも7世紀のものと思ったらしい。丸くて先のとがった葱の花の形をした擬宝珠(ぎぼし)の飾りは仏教文化の遺物に見られるもので、日本で現れるのは7世紀以降とするのが通説だったからだ。実際、日本で確認される同種の水瓶は、年代把握ができるものは飛鳥時代以降のものばかりという。

しかし、綿貫観音山古墳では、石室の石材も他の出土品も、古墳が6世紀後半のものであることを示していた。当時の日本の中央政権、ヤマト王権の拠点だった畿内でもほとんど目にしたことがないような先進的な金属器が、6世紀後半の群馬にもたらされていたのである。

馬生産は 古代の基幹産業

カギは馬にあった。

5世紀に日本にもたらされた馬は、移動・輸送手段、農耕・土木作業の動力源として社会に欠かせないものになった。馬の保有自体が力の源泉であり、権力の象徴ともなり、有力者は自らの馬を金銅製のきらびやかな馬具で装飾した。

有力者の馬は金銅製品で飾り立てられた(「綿貫観音山古墳のすべて」展 会場パネル)
「金銅歩揺付雲珠・辻金具」綿貫観音山古墳出土(「綿貫観音山古墳のすべて」展より)

馬の生産は中国大陸、朝鮮半島の先進技術だ。馬の主要産地のひとつとして、群馬地域に白羽の矢が立ったとされる。古墳時代の群馬は、後の奈良時代に開通する東山道(とうさんどう)駅路と近似するルート(プレ東山道)でヤマトと繋がっており、地形や地質などその風土が、馬の生産にも適していた。さらに利根川水系によって太平洋の海の輸送路にもつながる交通の要衝だったため、関東、東北地方統治の拠点という政治的な意味も負っていた。

「5世紀後半のプレ東山道ルート」(出典:右島和夫「第2章 馬生産のひろがり〜畿内から東国へ〜」『第93回企画展 海を渡ってきた馬文化 〜黒井峯遺跡と群れる馬〜』群馬県立歴史博物館 2017) 「上野」(2,4のある地域)が現在の群馬県の中心地域

 

東アジア情勢と東国

3世紀から6世紀にかけて、地球は寒冷期に入っていたという。世界規模で北方の遊牧民族が南下し、中央アジア以西ではゲルマン民族の大移動がヨーロッパの地図を塗り替え、中国では魏晋南北朝時代の動乱を引き起こした。影響は朝鮮半島にも及び、高句麗が南下して新羅、百済、伽耶(かや)諸国を圧迫する。

中国大陸、朝鮮半島での諸国、諸勢力の興亡は日本をも巻き込む。倭、つまりヤマト王権は同盟関係にあった百済の援軍として数万人の兵を朝鮮半島に送ったという。古代の群馬の兵馬はその中核の一翼を担っていたちがいない。

「6世紀後半の東アジア」(出典:群馬県立歴史博物館編2020『綿貫観音山古墳ガイドブック』)

 

  なぜ群馬だったのか?

4年ほど前、群馬県(文化財保護課)が古墳を文化資源として再評価・発信するために設置した委員会の一員として、群馬を何度か訪れた時期があった。県側の専門家から群馬の古墳、ハニワについてレクチャーを受け、現地視察を行った上で、議論し、提言を行う集まりだった。

古代において群馬地域が馬の有力な生産地だったという説明を聞き、県名がまさしくその歴史を負っていることに初めて気づいた。馬の生産地に適した自然環境であり、この地域が交通の要衝だったこともわかった。「だから馬の生産地として選ばれた」という説明に納得しつつも、畿内、朝鮮半島への兵馬の供給地としてならば、ヤマトにもう少し近い場所を選んでもよかったのではないか、という疑問も浮かんだ。そして好奇心の赴くままに想像を重ねた。

ヤマト王権主導による大規模な馬生産が行われる以前から、この地には小規模にせよ先行渡来人による馬の生育が行われており、その下地があったからヤマト王権はここで大規模な馬生産を行うことにしたのではないか。早い時期から、朝鮮半島との間にヤマト王権を経由しない、たとえば日本海ルートによる接点があり、「最初の馬」はそのルートで日本に来ていたのではないか。

素人の想像ですが、と断った上で専門家に問いかけてみたが「仮説としては面白いですね」と笑顔が返ってくるばかりだった。議論のための資料がない以上、話は進みようがなかった。

 古墳時代の東国へのアプローチ

久しぶりに高崎を訪れて、水瓶や馬具など綿貫観音山古墳の出土品と「再会」。「綿貫観音山古墳のすべて」展における、ヤマト王権中枢の古墳、奈良・藤ノ木古墳や「海の正倉院」と呼ばれる福岡・沖ノ島祭祀遺跡の出土品との比較展示に、綿貫観音山遺跡の出土品が全国レベル、国際レベルのものであることをあらためて感じた。

綿貫観音山古墳の金銅製馬具「杏葉」(手前右のケース)が、沖ノ島祭祀遺跡の杏葉(手前中央のケース)、藤ノ木古墳の杏葉(左端のケース)と並んだ(「綿貫観音山古墳のすべて」展より)

 

同展の図録に、群馬県立歴史博物館・特別館長の右島和夫さんが「古墳時代東国のネットワーク化」と題した論文を寄せ、最新の研究に基づいて古墳時代の陸路、水路(河川、海上交通)の複合ネットワークの姿に迫っている。幹線道路を通って畿内に通じるばかりでなく、古利根川などの河川経由で、海路でも畿内、九州等に至る輸送路が築かれていたらしい。古代の群馬には、通商、文化交流の大きな可能性があったことになる。

 馬については、5世紀前半に長野県飯田市周辺一帯(前出の地図「5世紀後半のプレ東山道ルート」の5番)と高崎市付近(同24番)で馬の登場が確認され、5世紀後半には馬生産が組織化・本格化していったことが指摘されている。東アジアと古代群馬の関わりが、たゆみない調査、研究の上に、少しずつ解明されていく様がうかがわれた。

 古墳時代の「グローカル」

展覧会を見終えて、東アジア文化の伝播経路について尋ねてみた。「ヤマト王権経由での受容が基本」という説を聞くことになるかと思ったが、右島さんは「東国と朝鮮半島の関係は、軍事面だけではなく、交易も盛んだったはず。東国の豪族が直に文物を受け取っていた可能性もある」と述べ、学芸係長の深澤敦仁さんは日本海ルート、たとえば北陸地方に朝鮮半島勢力の船が到着して、その中に今の北陸新幹線をなぞるように陸路、古墳時代の群馬に向かう集団がいた可能性に言及した。

研究は現在進行形で進んでいる。中央政権による政治・外交だけではなく、地方や民間ベースの人やモノの流れが歴史の原動力として浮かび上がってきそうな予感もある。

「胡坐(あぐら)を組み合掌する男子埴輪」(群馬県立歴史博物館 収蔵展示「綿貫観音山古墳の世界」より)  先のとがった帽子には中国大陸・朝鮮半島の民族との関連性がうかがわれるという

 

綿貫観音山古墳の出土品が国宝当確となり、山本群馬県知事は「世界の人々に知ってもらいたい」と述べたが、この言葉は「群馬は世界に知られていない」という思いの裏返しだったかもしれない。

だが、古墳時代の群馬は東アジアですでに存在感をアピールしていたようである。国際的に文化の共有が進む中で、地方の視点で地球規模の問題をとらえる「グローカル」(「グローバル」と「ローカル」を合わせた造語)という概念があるが、群馬はすでに古墳時代においてその一歩を記していたことになる。

古墳と言えば、2019年に世界遺産に登録された大阪府の百舌鳥・古市古墳群ばかりが脚光を浴びがちだが、東国の古墳にも独自の歴史ロマンが潜んでいる。地縁も血縁もない身ながら、古代に根差す群馬のソフトパワーの展開が楽しみになってきた。

(読売新聞東京本社事業局 専門委員 陶山伊知郎)

綿貫観音山古墳のすべて

2020年7月18日(土)~9月6日(日) 群馬県立歴史博物館(高崎市)

同館の収蔵展示「綿貫観音山古墳の世界」では埴輪157点が一堂に公開されている。

  「イチローズ・アート・バー」は、東京、ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞事業局・陶山(すやま)伊知郎の美術を巡るコラムです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直前の記事

作家・大岡玲 × 特別展「きもの KIMONO」 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

「スペシャリスト 鑑賞の流儀」では、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。 作家の大岡玲さんに、東京国立博物館(東京・上野)の特別展「きもの KIMO

続きを読む
新着情報一覧へ戻る