作家・大岡玲 × 特別展「きもの KIMONO」 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

「スペシャリスト 鑑賞の流儀」では、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

作家の大岡玲さんに、東京国立博物館(東京・上野)の特別展「きもの KIMONO」を鑑賞していただきました。

大岡玲(おおおか・あきら)

作家。東京経済大学教授。1958年、東京生まれ。東京外国語大学修士課程修了。1990年、「表層生活」で第102回芥川賞。他の作品に「ブラック・マジック」「ヒ・ノ・マ・ル」「黄昏のストーム・シーディング」(第2回三島由紀夫賞)など。日刊ゲンダイで「熟読乱読 世相斬り」(毎週月曜日)を連載中。父は詩人の故・大岡信さん。

特別展  きもの KIMONO

2020年630()823() 東京国立博物館

前期展示:630()726()
後期展示:728()823()
※オンラインによる事前予約が必要。会期等は今後の諸事情により変更する場合がある。

衣装の歴史を実物で 

数年前に、小説家・谷崎潤一郎の作品に登場するヒロインの姿をアンティーク着物で再現する展覧会を見る機会がありました。谷崎の着物へのこだわりが、再現した実物によって浮かび上がり、見ているうちに、作品中の人物が血肉を得て動き出すような感覚に襲われました。実物の力というのでしょうか。展覧会ならではの説得力でした。(詳しくは2016522日付読売新聞日曜版に掲載された「アート散歩 谷崎潤一郎文学の着物を見る クールジャパンの先駆け」)

現在「今昔物語集」の現代語訳に取り組んでいます。インド、中国、日本を舞台にした仏教説話や世俗の物語が千近く収められていますが、日本の世俗説話だけをとっても、地域、時代、主題はさまざま。簡潔に紡がれる物語の中で、衣装は、登場人物の立場や心情を時に象徴的に表し、時に隠し味のように浮かび上がらせる、重要な要素のひとつとなっています。

にもかかわらず、実際に訳しているとうまくイメージできない場合も多いのです。なにしろ、時代が下るにつれて、内着だったものが上着になったり、男性用の意匠が女性用に取り入れられたり、と衣装にはさまざまな変化がおこるのです。現代語訳を精密にするために、どのような変遷があったのか知りたいのですが、資料があまり見当たらず、各時代の詳細な実体は簡単にはつかめません。

そういうことがあって、かねがね衣装の歴史を実物で見たいと思っていました。「きもの」展という企画を聞いたときに、「これだ」と目を付けました。コロナ感染拡大予防のために延期されていましたが、無事開幕に至り、さっそくお邪魔しました。

 

平安時代には「きもの」の原型の「小袖」は下着だった(会場パネルより)

 

鎌倉時代に描かれた「一遍上人伝絵巻」の一場面(会場パネルより)

 

室町時代の高貴な女性の装い(会場パネルより)

 

室町時代の武将の礼装姿(会場パネルより)

 

特別展「きもの KIMONO」では、近世を中心に「きもの」の変遷が紹介されています。明治時代から現代までの「きもの」も、豪華な空間演出の中で展示されていました。安土桃山時代以降のきものを主体に構成されているのは、平安時代から室町時代の染織品で展示できるものがほとんど残っていないことや、「きもの」の原型である「小袖」が表着として発展したのが室町時代後期以降だったことが背景にあるようです。

衣装が着る人の身分や境遇、時代の好みなどを反映する一方、権威や財力を演出するなど社会的な機能を果たしていたこともうかがわれました。
 

「勝負服」

見どころの多い「きもの」のオンパレードですが、歴史上の大物が所用した衣装は、人物と時代の個性が反映されているようで、とりわけ目を引きました。

 ■信長

「陣羽織 黒鳥毛揚羽蝶模様」 織田信長所用 (麻、山鳥羽毛、錦 安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵) 腰上には山鳥の黒羽根を縫い付け、白い羽根を蝶の形になるよう植え付けている

 戦陣における「陣羽織」は、文字通りの勝負服。織田信長の陣羽織は、鳥の毛で覆われたなんとも強烈な陣羽織です。実際に着ていた姿を想像すると、信長の前にひれ伏したであろう豊臣秀吉や明智光秀らの気持ちも分かるような気がします。奇をてらうことを恐れず、「うつけもの」とも呼ばれた信長ならではですね。 

■秀吉

「陣羽織 淡茶地獅子模様唐織」 豊臣秀吉所用 (唐織、羅紗、羽毛:安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵) 唐獅子模様が織り出された最高級品の唐織。衿はヨーロッパから輸入された厚手地の毛織物「羅紗(らしゃ)」

  秀吉の陣羽織も出品されています。これもまた主人の人格を反映しているようで面白いですね。獅子をあしらった袖なしの陣羽織。衿は朱の舶来品。権力、財力を誇示するかのようです。「こけおどし」というか、虚勢を張る秀吉の内面が見えてしまいます。

■ねね(秀吉の正室)

重要文化財「縫箔 白練緯地(しろねりぬきじ)花菱亀甲模様(はなびしきっこうもよう)」 (安土桃山~江戸時代・16~17世紀 京都・高台寺:前期展示=6月30日~7月26日)

 秀吉の正室、高台院(ねね)が着用した打掛として高台寺に伝えられたきものですね。花菱亀甲模様のゆったりとした刺繍は中世独特のもの。ねねもまた、装いによって天下人の妻を演じたのでしょう。 

■篤姫

「小袖 萌黄紋縮緬地雪持竹雀模様」天璋院篤姫所用 (江戸時代・19世紀 東京・德川記念財団蔵) 「掛下帯 萌黄繻子地稲穂雀模様」 天璋院篤姫所用 (江戸時代・19世紀 東京・德川記念財団蔵:前期展示=6月30日~7月26日)

13代将軍徳川家定の御台所、天璋院篤姫(てんしょういん・あつひめ)の衣装も、圧倒的な存在感でした。この服を着て「サイゴウ」「カツ」と呼ばれたら、西郷隆盛でも勝海舟でも、まずはひれ伏す以外になかったでしょうね。もっとも篤姫は雀好きだったといわれ、この小袖や帯にも雀が刺繍されています。

大奥の衣装などが並ぶ第2会場の入り口で

   

きもの vs 禁令

江戸幕府は社会統制のためにたびたび奢侈(しゃし)禁止令、つまり贅沢禁止令を出しました。華美な衣装は最大の標的のひとつでした。しかし、その禁令は、人々の装いへの強い欲求、職人たちのたくましい技術力、創造力を逆説的に証明する結果になったようです。

■寛文期のモード

寛文年間(16611673年)には、自由闊達な小袖模様が登場しました。刺繍、金箔、絞りなどによる華やかな小袖が作られるようになりました。

「小袖 鬱金綸子地扁額模様」 (江戸時代・17世紀 千葉国立歴史民俗博物館蔵:前期展示=6月30日~7月26日) 額は鹿の子絞り、額の内部は刺繍などで小花をあしらっている

 

重要文化財 「小袖 黒綸子地波鴛鴦模様」(江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵)   金糸、刺繍などを用いて肩から裾にかけて弧を描くような模様をほどこした「寛文小袖」の代表作

 

■元禄の華やぎ

ところが天和3年(1683年)、幕府は「惣鹿の子」「縫箔」「金紗(金糸)」を禁ずる命令を下しました。それまで装飾の中心だった技法をまとめて禁止してしまったのです。こうすれば華美を競う装飾熱も下火になるだろう、と考えたのでしょう。しかし、人々の装うことへの願望、欲は抑えられるものではなかったようです。元禄年間(16881704年)前後には既に刺繍を用いた華やかなきものが着用されており、友禅染に着目した職人たちによる色鮮やかな染模様も目立つようになります。

「小袖 白綸子地梅舟模様」(中央:江戸時代・17~18世紀 千葉・国立歴史民俗博物館蔵:前期展示=6月30日~7月26日)  華やかな金糸などによる刺繍を施し、鹿の子絞り模様を型紙で摺り込むなど、豪華な仕立てだ
「小袖 紅縮緬地宝船模様」(江戸時代・18世紀 愛知 松坂屋コレクション J・フロントリテイリング史料館蔵:前期展示=6月30日~7月26日)  富や不老長寿を象徴する吉祥模様を友禅染と絞り、金糸を含む刺繍などにより表した

 ■そして光琳

重要文化財 尾形光琳筆「小袖 白綾地秋草模様」(江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵)  宝永元年(1709年)に、尾形光琳が江戸・深川の材木問屋のために描いたという小袖

 

展示を見る限り、禁令は効果があまりなかったように思われます。人間の装いへの欲望は、禁令ごときで抑えられるものではなかったのでしょう。あるいは、禁令という圧力があったから、イノベーションが促され、さらに発展したとみることもできそうですね。

衣装の中の外来文化

海外との交流、影響も見て取れます。

「勝負服」のところで触れた信長の陣羽織は、衿の二段重ねの襞(ひだ)など西洋服飾の影響が感じられます。腰下の絹織物は中国で織られたものだそうですね。秀吉の陣羽織の衿はヨーロッパ製の羅紗で仕立てたものといいます。

鎖国していた江戸時代にも、中国やオランダの文化は長崎・出島を窓口にして伝えられていました。「大奥のよそおい」のコーナーに展示されていた衣装には、細密な描写、空間を埋め尽くすような装飾に、中国・清王朝の美術工芸に通ずる美意識が潜んでいるように思われました。

右:「振袖 紫縮緬地鷹狩模様 会津松平家伝来」(江戸時代・19世紀 千葉・国立歴史民俗博物館蔵)  重厚な刺繍、壮大な鷹狩りの風景が振袖を埋め尽くすように描かれている

  ■YOSHIKIMONO

一気に時代が飛びますが、X JAPANのリーダーのYOSHIKIさんが手掛けるきものブランド「YOSHIKIMONO」が、展示の最後で紹介されています。海外でも注目されており、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で開かれている着物の展覧会にも出品しているとのこと。「着物」というより「Kimono」と書くべき作品群は、着物の未来を予感させてくれるものでした。

YOSHIKIMONO 展示風景

 文学とのつながり

 文学に描かれた着物が私の関心の出発点でしたが、着物のデザインとして文学をとりあげたものもありました。貞享(じょうきょう)年間(1684-88年)から元禄年間に漢詩の文字を取り入れる傾向が現れ、元禄期には古典文学の大衆化とともに、小袖に宮廷文学をイメージするデザインが少なからず生まれたそうです。

「振袖 白絖地若紫紅葉竹矢来模様」(江戸時代・17~18世紀 東京国立博物館) 源氏物語の若紫巻をモチーフとした振袖。「若」(左肩部の黒い文字)、「紫」(右腰下部の紫の文字)が大胆に刺繍されている 「帯 白綸子地花筏模様」(江戸時代・17~18世紀 奈良県立美術館蔵)

小袖屛風 小袖裂 白絖(ぬめ)地源氏絵色紙模様」(江戸時代・17~18世紀 千葉・国立歴史民俗博物館=千葉県佐倉市=所蔵)  団扇や窓枠の形の中に、源氏物語の場面を墨絵で描いた小袖裂を貼りつけた屛風。源氏絵の小袖は元禄期に流行した

 

背後に文学への関心があったことは間違いありませんが、着る側は必ずしも内容を理解して身にまとっていたとは限りません。意味不明な漢字が並べられたTシャツを着ている若者や外国人を見かけますが、通じるものがあるかもしれないですね。虚栄心でもない自由でおおらかな興味、つまり遊び心でしょうか。豊かさというのは意外にこういうところに見出せそうな気もします。

第4章「モダニズムきもの(明治・大正・昭和初期)」の会場風景

 「着る」ことへの飽くなき好奇心

 中世の衣装がほとんどなかったのは残念でしたが、「きもの」の変遷を見て、階級も国境も超えた、ひとびとの着ることへの飽くなき好奇心を感じました。上着と内着という役割の転換・交換も、禁令を機に起こったイノベーションなども、暮らしの中で「装い」について常に考えているから生まれた動きだったと思います。

また、鑑賞のための美術品と違って実際に使われるところに重層的な魅力を感じました。

これで「今昔物語」のいくつかの場面に、一層、血が通ってきた気がします。また、文学に現れる衣装の描写を、これまで以上に楽しめそうです。

(聞き手:読売新聞東京本社事業局 専門委員 陶山伊知郎)

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