国立西洋美術館の主任研究員・川瀬佑介【スペイン人の目、驚きの日本】第11回

川瀬佑介さん 国立西洋美術館にて 撮影:カロリーナ・セカ 2020年

スペインに生まれ、同国内のサラマンカ大学で美術史を専攻し、美術史研究者、芸術家として日本で活動するカロリーナ・セカさん。日本人が気づかない視点で、日本の美術、文学、建築などで感じたことを語るコラム「スペイン人の目、驚きの日本」をお届けしています。

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上野公園の木々の香りが漂い、様々な色の葉っぱが敷き詰められた自然のカーペットを踏みしめながら、川瀬さんに会うために国立西洋美術館へ向かっていました。

美術館の前庭にあるロダンのブロンズ作品のキアロスクーロ(明暗対比)は、昔のパリの眠っていた記憶を呼び覚ましました。

15歳の高校生だった私は春休みに交換留学生として、フランスのロワール渓谷にフランス語を勉強に行きました。

2日間の余暇時間を使って先生と一緒にパリに行き、ロダン美術館を訪れました。最初に粘土作品に感動しました。彫刻家の手は素早く、力強い動きでした。やがて私はみんなと別れて右手に進み、独特な雰囲気のある部屋に入ると中型の彫刻が現れました。

数分後に先生が私を見つけて、繊細な声でこのアーティストのことを教えてくれました。

しかしそれらの作品はロダンによるものではなく、ロダンに恋をしながら教師を追い越してしまったロダンの早熟な弟子、カミーユ・クローデルの作品でした。カミーユ・クローデルは並外れた才能を持っていたのに、その人生は苦難に満ちていました。

私は母の胎内にいるときから美術館に何度も行ったことがあります。ロダン美術館に行った時は10代で、これらの作品に忘れられない何か特別なものを感じました。その日からカミーユ・クローデルは私のお気に入りの彫刻家になりました。

パリのあの日、まさか今日私がアーティストとして日本に住むとは想像もできなかったし、2017年に国立西洋美術館で「北斎とジャポニスム―HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」展を観てから数年経って、日本からのインスピレーションの「波」と題されたクローデルの彫刻を再び考察するとは考えもしなかったです。

そんな思い出を携えて、美術館に入りました。

 

国立西洋美術館にて

はじめて美術館に行った時のことを覚えていますか?

多分それはあなたの両親、または修学旅行、または忘れられないデートの日だったのでしょう。

それぞれの美術館には独自の世界があって、その中に入ると現代の人々も祖先たちとも繋がっていると感じます。

作品をつくる時に作家が笑ったり、泣き声をあげると、その空気が作品の中にいつまでも残留し、長い時間が経ってもそれを感じることができます。

展覧会の企画や運営に携わる方々のお陰で、私たちやこれから生まれる方々にも、人間を繋ぐ貴重な繋がりを存続させることができます。

 

Ⓒ 国立西洋美術館

 

川瀬さんが子どもの頃、美術を勉強した母親と一緒に初めて美術館を訪問しました。あの頃の記憶は曖昧だけれど、現在の職場と結びついているのかも知れません。

また母方の家系は常に文化、特に音楽に情熱を傾けてきたそうで、彼が西洋の文化と最初に接触したのもクラシック音楽だったそうです。祖父のお陰で幼い頃からコンサートに通っていました。

思春期の川瀬さんは現代のスペイン文化にも興味を持ちました。1992年のバルセロナオリンピックを契機として、スペインのアップデートされた情報が日本に入って来たためです。

東京・四谷にある上智大学イスパニア語学科で学び、スペインの芸術、特にスペイン黄金時代の芸術に触れ始めました。ホセ・デ・リベーラ(José de Ribera)に情熱を傾け、川瀬さんの中心的な研究テーマになりました。

リベーラはスペイン生まれのアーティストですが、人生のほとんどをイタリアで過ごし、その芸術はローマやナポリの芸術環境によって育まれました。

リベーラの研究を続けるためにニューヨーク大学に留学し、大学院でベラスケス専門家の著名な美術史家ジョナサン・ブラウン教授に師事しました。

どうして川瀬さんはスペイン美術を研究しに米国に留学したのでしょうか?

スペイン美術の歴史をヨーロッパから孤立、または独立した現象だと捉えるのではなく、アメリカ人や世界中の学生たちの新しい考え方に触れて、複眼的思考で本質的なスペイン理解ができると考えたからです。

アメリカの大学院を修了した後、メトロポリタン美術館、長崎県美術館で働き、現在は国立西洋美術館で仕事をしています。

 

川瀬佑介さん 国立西洋美術館にて 撮影:カロリーナ・セカ 2020年

 

芸術とは何か、という問いに答えるのは、愛や人生を定義するのと同じくらい難しいことです。

川瀬さんがアートのコンセプトを説明してくれました:「芸術は人間性を反映したものであり、木枠、キャンバス、顔料、石などで作られたオブジェクトですが、芸術家の知的営為と手作業の両方による作品であり、人間の作品です。人間―それは傑出した人物のこともあれば、それほどでもないこともありますーがある意図、感情、図像などをイメージによって伝えるために作り出したものです。私たちは、それがある具体的な、私たちのような一人の人間―例え異なる才能を持っていたとしてもーによって生み出されたものであることを常に覚えておく必要があります。それはエイリアンの製品ではありません。 それは私たちにエネルギー、思いやり、感情のすべての特徴を与えます…」と川瀬さんが説きます。

 

¿Hablas arteñol?   *「美術語」を話せますか?

*「美術語」(アルテニョールarteñol)はCarolina Cecaが定義した合成語です。

 

言語は会話のコミュニケーションを指します。「美術語」はイメージのコミュニケーションを可能にします。

色彩が言葉palabras、助詞が線líneas、文法が構成composiciónを表現しています。

川瀬さんは美術史の伝承に深く関わっており、実際に数多くの興味深い本を書いたり、メディアにも発信しています。彼は多言語を操りますが、私が見る限り彼の最も特別な言語は「美術語arteñol」だと思います。

彼の言葉によれば「芸術作品は特定の人間の反映であり、その人は何かを伝えたかったが、絵画は話しません。そのため、私たちはこのアートオブジェクトが何を意味するのかを読む必要があり、待つ必要があります。それを読む方法も学ぶ必要があります。例えば、私が考えていることを伝えたいと思ったら、話したり書いたり、言葉を使って表現できるからです。しかし、絵は話すことも書くこともできません。海外に旅行していて、言語がわからない場合でも、状況は同じです。行動の仕方や意思疎通の方法を知る必要があり、それを学ぶ必要があります…」と。

川瀬さんによると美術館を訪れる究極の目的は他の人々に会うことだそうです。そして彼は美術の旅行のための優秀な「美術語」の通訳者だと私は思います。

 

ユニークな作品購入

川瀬さんの人生で最大の動機は息子であり、仕事では美術館のための作品購入です。要するに将来のために素晴らしい遺産を残したいのです。

彼が購入に関わった作品は美術館のコレクションを拡大し、公共の国家遺産であると説明してくれました。彼はスルバラン、オレンテやバン・デル・アメンの油彩作品の購入に関わりました。

彼は美術館の版画コレクションにも興味があり、紙の作品コレクションを拡大したいと考えています。将来はスペイン版画をテーマに特別展を企画したいと考えています。

 

これから発表される未公開のニュースがあります。

国立西洋美術館がスペインのアーティスト、ロサリオ・ワイス(Rosario Weiss)のとてもユニークなリトグラフ作品を獲得できたということです。

 

ロサリオ・ワイス 『自画像』 写真提供 Biblioteca Nacional de España

 

川瀬さんの口からこのニュースを聞いた時に私はビックリして目を大きく見開きました。

このアーティストはほとんどの人にまだ知られていないのですが、私はロサリオに注目して研究しており、昨年東京での私のアートセミナーでもロサリオについて講義をしました。

彼女は1814年にスペイン・マドリードに生まれ、才能がありとてもかわいい女の子でした。しかしこのアーティストを非常に特別なものにしているのは、美術史で最も重要なアーティストの1人であるフランシスコ・デ・ゴヤ(Francisco de Goya)と一緒に絵を描くことを学んだ唯一の人物だったという事実です。

ロサリオは母親とゴヤと一緒にマドリードとフランス・ボルドーに住んでいました。ロサリオの母は高齢者のゴヤの身の回りの世話と介護をしていました。

ロサリオの母親が料理をしている間、台所のテーブルにゴヤと一緒に座っている幼いロサリオがサーカスのキャラクターを描いている光景が想像できます。

 

ロサリオ・ワイス 『ジャン=バティスト・オリオール』  国立西洋美術館

 

ゴヤは元来頑固で激情的な性格でしたが、小さなロサリオにメロメロになって穏やかで忍耐強い年配男性になったことでしょう。ロサリオがゴヤの人生の晩年の大きな喜びだった可能性は非常に高いと思います。

ゴヤの死後、ロサリオは母親と一緒にマドリードに戻って、スペイン王国の未来の女王の芸術教師に就任しましたが、残念ながらわずか28歳の若さで亡くなりました。

何十年もの間、美術史からロサリオ・ワイスが忘れられておりましたが、今日川瀬さんのような専門家のお陰で、特別な人物の人生と才能を再発見することができます。

 

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国立西洋美術館

〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7
開館時間 9:30~17:30
金・土曜日9:30~20:00
※入館は閉館の30分前まで
※その他、時間延長期間があります。詳細はHPへ。
休館日 月曜日(祝休日の場合は翌日)、年末年始、2020年10月19日(月)~2022年春(予定)まで全館休館 ※その他、臨時休館日があります。詳細はHPへ。

URL https://www.nmwa.go.jp/

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