ハーバード美術館群の東洋美術キュレーター レイチェル・サンダース 【スペイン人の目、驚きの日本】第9回

サンダースさん ハーバード美術館群にて 撮影:Antoinette Hocbo

スペインに生まれ、同国内のサラマンカ大学で美術史を専攻し、美術史研究者、芸術家として日本で活動するカロリーナ・セカさん。日本人が気づかない視点で、日本の美術、文学、建築などで感じたことを語るコラム「スペイン人の目、驚きの日本」をお届けしています。

 

 

1912年にハーバード大学がアメリカの大学として初めてアジア美術のコースを設置してから108年が経過しました。

現在、ハーバード大学には独自の研究で著名なエドウィン・O・ライシャワー日本研究所や日本美術のさまざまな時代の膨大な作品コレクションを持つハーバード美術館群があります。

日本美術のコレクションの責任者のレイチェル・サンダースさんは「アビー・アルドリッチ・ロックフェラー(Abby Aldrich Rockefeller)東洋美術」寄付講座のキュレーターも兼務していますので、多忙を極めていますが、今回親切にもこのコラムのために自らの人生、仕事、そして日本とのつながりについて知る機会を与えてくれました。

 

感覚学習

サンダースさんはイギリスに生まれ、コッツウォルズ(Cotswolds) の小さな町で幼少期を過ごしました。

コッツウォルズは子ども向けの絵本に描かれているような丘や家々の風景で、美しく自然豊かなところです。蜜蜂がシナノキの木から花粉を集めて飛びまわり、近くの小川では小さな淡水エビを釣っていたそうです。

当時5歳の敏感で知的な少女はある日東京に住んでいた叔父さんからギフトを受け取りました。箱の中には歌舞役者などで飾られたいくつかの凧が入っていました。これがサンダースさんと日本美術との初めての遭遇でした。

彼女オックスフォード大学を卒業する前年アシュモレアン博物館(Ashmolean Museum of Art and Archeology)の日本美術キュレーターであったオリバー・インピー(Oliver Impey)先生の授業に触発されて、アジア美術の専門家になることを決意したそうです。

サンダースさんが日本に初めて旅行したのは18歳でした。とにかく札幌に「雪まつり」を見に行きたくて、夏の間ずっとアルバイトでお金を貯めたそうです。冬の札幌に到着するとそれまでたくさんの雪を見たことがなかったので、大変感動したのも束の間、寒くて震えあがりました。

 

円山応挙(まるやまおうきょ)「孔雀牡丹図」撮影:John Tsantes and Neil Greentree © Robert Feinberg

 

それから北海道から九州まで電車で旅行し、たくさんの都市に立ち寄るとそのすべてを知りたくなったそうです。これは彼女にとって素晴らしい経験で、特に奈良の寺院に感銘を受け、興味深い美術館も訪れることができました。

お茶の水女子大学に留学して日本語と文化を学びました。指導教官は数学者の藤原正彦先生( 名誉教授)でした。

しかし、サンダースさんは語学が上手くなかったため、詩人の比留間一成先生と彼の妻が教えていた東京 練馬区光が丘の陶芸教室に通い始めました。

彼女はこのクラスに溶け込んでいると感じ、自分の手で物を作ることや文化に触れることは言語をより上達させることだと確信しました。「何かをするにあたっては、物事を通して、体内の細胞で感じとって、注意深く捉えることが必要だと思います」とサンダースさんは言います。

感覚を通して学習するこの方法は、研究を飛躍的に進化させました。彼女が英国に戻ったとき、ロンドンで行われた全国日本語弁論大会の勝者になりました。これまで彼女を助けてくれたすべての人々を思い出して、今でも心から感謝しているそうです。

オックスフォード大学を卒業した後、彼女はヨーロッパ、アメリカ、日本の慶應義塾大学や東京大学など5つの大学の研究機関で研究を続けてきました。

最終的にサンダースさんはハーバード大学で博士号を取得し、ボストン美術館とナショナル・ギャラリー (ワシントン)で働き始めました。

ボストン美術館では「武士階級の鷹狩りと政治力の関係についての展覧会」Pursuits of Power: Falconry and the Samurai, 1600-1900(権力の追求:鷹狩と侍、1600-1900)をキュレーションしました。

また彼女はボストンで、日本以外で最大の「江戸の版本」コレクションを引き継ぎました。同僚と一緒に資金を集めて、それらをカタログ化し、10万点以上もの画像をデジタル化しました。

日本文化との接触が彼女の感受性や人生観にどのような影響を与えたかを尋ねました。サンダースさんが答えました「東京大学では窓の近くに机があり、育徳園の眺めがとても良かった本当に素晴らしかった! それは決まり文句のように聞こえるかもしれませんが、毎日そこに座って、感じたことを終わりのない原稿として書き綴っていて、いつしか庭の小さな変化を記録し始めていました。空間を歩くのではなく、目だけで庭園を鑑賞することを学びました。これは私にとって新しい発見でした。私が受けたイギリスの田舎での教育では、自然の中で物理的に屋外にいることが中心だったので、庭園や自然空間のアイデアを本質的に評価する体験はまったく新鮮でした。日本の高度に都市化された都会に住むほとんどの人は、こうした自然の小さな変化が目に留まらない生活を送っているにも拘わらず、都市化された自然や四季の継続的な移ろいを精神的あるいは瞑想的に体験しているように思えました。人々は現実の自然に触れるのと同じくらい(いや、それ以上!)に感じていることに気づきました。これは江戸時代の絵画、特に花鳥風月の作品にとって重要なことです」と。

 

ハーバード美術館群 撮影: Mary Kocol

 

 

未知との遭遇

日本に住んでいると、旅行に行ってきた時に「おみやげ」をあげたり、もらったりすることは非常に自然なことです。この社会的習慣は、他の文化がどのようなものであるかをお話ししたり、珍しい風味を通して新しい風景を知る良い機会です。

スペイン人の私にとって日本のお土産は奇妙な現象です。ほとんどの場合、日本人が私にカステラをくれるのです。

カステラはポルトガルとスペインのお菓子で、私が生まれたスペインのカスティーリャ地方にルーツがあります。

初めてカステラをもらった時、包装紙には「南蛮」の絵と漢字がデザインされておりました。元々の「南蛮」の意味は、スペインの目、驚きの日本でございます(笑)。

 

作者未詳 「ポルトガル人の商人が日本に到着」Promised gift of Robert S. and Betsy G. Feinberg 撮影: Mary Kocol © President and Fellows of Harvard College.

 

1972年ニューヨークのメトロポリタン美術館を訪れた若い米国人カップルも驚いた顔で、南蛮屏風展のポスターを見たのではないでしょうか。彼らはそのポスターを2ドルで買いました。

ロバート&ベッツィー・ファインバーグ夫妻は、16世紀にヨーロッパ人が日本に遥々やってきたことを想像できず、日本人がヨーロッパ人に対して持っていた「南蛮」イメージにも非常にインパクトを受けました。

48年前のその日、彼らが日本美術への情熱に目覚めてから、米国で非常に重要な日本美術のプライベートコレクションのオーナーになりました。今やそのコレクションは18世紀後半の日本の美術作品の大部分を有しています。

彼らが最も印象に残っているコレクションの中の作品の1つは、夫妻が1982年に京都への最初の旅行で6歳の娘と一緒に買った江戸後期の絵師、鈴木其一によるこの絵です。この作品からは現代にも通じる都会的なセンスを感じます。

 

鈴木其一(すずききいつ) 「群鶴図屏風」(ぐんかくずびょうぶ) Promised gift of Robert S. and Betsy G. Feinberg 撮影: Katya Kallsen; © President and Fellows of Harvard College.

 

ロバート・ファインバーグさんはハーバード大学の元学生で有機化学の博士です妻のベッツィー・ファインバーグさんは視覚障害者の教師として貴重な経験を持っています。ロバートさんの科学的精神とベッツィーさんの繊細さを合わせて素晴らしいチームを作っています。

この数十年間、彼らは日本の美術に関する研究、観察や読書、さらにさまざまな国の専門家への質問を続けています。南蛮展ポスターを買ってから10年ぶりに旅行して以来、複数回の日本への旅行で、優秀な作品がコレクションに加わりました。

ファインバーグ夫妻は日本美術への深い愛情に加えて、真に寛大な人たちで、学生、教師や研究者が作品を「生」で観察・研究できるように絶えず自宅を開放しているそうです。ステレオタイプの日本のイメージではなく、科学的な方法で本当の日本を発見しようとしています。

2013年、ファインバーグ夫妻はハーバード美術館群への自分のコレクションの贈呈を正式に約束しました。ロバート・ファインバーグさんにとって、それは頭の中にあった唯一の選択肢でした、彼はいつも彼の大学を心に抱いているからです。

214日バレンタインデーにハーバード美術館群で「江戸の絵画ーファインバーグ・コレクションの日本美術」展が開催されました。

この展覧会は、ファインバーグ・コレクションから120点以上の日本の美術作品を特集したもとで、これまでの数年でハーバード美術館群が催した最大規模の展覧会です。南画、浮世絵、琳派などさまざまな流派や様式の作品が公開されています。

キュレーター2人がファインバーグ夫妻の家に招待されたそうです。20年前に初めて訪れたサンダースさんと、30年前に初めて訪れたリピット・ユキオさん(ハーバード大学美術建築史教授)がこのコレクションを観察しました。2017年にハーバード大学で行われた江戸に関するセミナー講師の2人の専門家が一緒にこの展覧会の作業を開始しました。

 

 

マラソンのように

ハーバード美術館群 撮影: Mary Kocol

 

私はサンダースさんにこれまで彼女がこのキュレーションから学んだことを尋ねました。彼女は「キュレーターが持つべき主な資産の一つは持久力だと思います。展覧会プロジェクトは長期のビジョンを必要とするマラソンです。予想外の問題を解決するために繰り返される守旧派の抵抗や飽くなき闘い、制作期限への忍耐力のどれが欠けてもなしえません。この仕事は非常に協調的な作業であり、チームが目標を達成するために最善を尽くすことが不可欠です。」と答えてくれました。

サンダースさんはハーバード美術館群の日本美術コレクションの責任者として、可能な限り多くの作品を展示することを目指しています。またヨーロッパの美術史家が自然にやっているようにさまざまな時代や様式の日本の美術作品を時代に沿って美術史に位置付けようと考えています。

こうした長年のキャリアをもつ彼女の次なる目標は、日本の美術の露出度を継続的に高めることです。具体的には特に異なる時代のアーティストブックとか、彫刻の展示とか、そして他のいろいろな専門家たちとコラボして印象派、近代および現代美術に如何に近づけるかを目指します。

彼女の次の大規模な展覧会プロジェクトでは「絵巻」を導入することで以前の展覧会をさらに深く掘り下げて、教育にも時間を割きたいと考えています。

サンダースさんが日本に戻ってきたら。「おかえりなさい」と言って、芸術の話をじっくりしたいす。

 

ハーバード美術館群 広報マネージャー Aubinさんにお世話になりました。

 


【ハーバード美術館群からのお知らせ】

現在、新型コロナウイルス肺炎感染拡大の影響で、ハーバード美術館群が閉鎖されております。

再開日時は未定ですので、下記のハーバード美術館群のホームページで、最新のお知らせをご欄ください。

 

Painting Edo: Japanese Art from the Feinberg Collection

「江戸を描くファインバーグ・コレクションの日本美術」

会期:2020214日(日)~726日(日)

会場:ハーバード美術館群

32 Quincy Street
Cambridge, MA 02138

電話 1 (617) 495-9400

https://www.harvardartmuseums.org