詩人・平田俊子 ×「ハマスホイとデンマーク絵画」展 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

【スペシャリスト 鑑賞の流儀】は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

今回は詩人の平田俊子さんに、東京都美術館(東京・上野)で開催中の「ハマスホイとデンマーク近代絵画」を鑑賞していただきました。

平田俊子(ひらた・としこ)

詩人。詩集『戯れ言の自由』(紫式部文学賞)、『詩七日』(萩原朔太郎賞)。小説『二人乗り』(野間文芸新人賞)。エッセー集『低反発枕草子』『スバらしきバス』。2015年から読売新聞「こどもの詩」選者を務める。

ハマスホイとデンマーク絵画
  2020年 1月21日(火)~3月26日(木) 東京都美術館(東京・上野公園)
     47日(火)~6月7日(日) 山口県立美術館(山口市)

身近な人物の肖像や風景、静寂さを感じさせる室内の作品で知られるデンマークの画家、ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864-1916年)の作品を、同時代のデンマークの画家たちの絵画とともに紹介する。

ハマスホイは2008年に初めて日本で個展が開催され、それまでほぼ無名だったにもかかわらず、静謐、清澄な室内画で一躍人気を集めた。その画風により「北欧のフェルメール」とも言われる。

再会、そして意外な発見

ハマスホイの作品には、2008年に東京で開かれた回顧展で出会い、強く心に残りました。後ろ姿の女性がたたずむ室内の静けさが印象的でした。今回は日本初公開の作品を含めた約40点のハマスホイの作品と、19世紀にデンマークで活動した画家たちの作品50点が展示されています。デンマーク美術の流れに沿いながら、ハマスホイが独自の静謐な世界を築いたことが感じられました。

意外な発見もありました。これまでのイメージを覆すようなハマスホイの絵が待ち受けていたのです。

ヴィルヘルム・ハマスホイ「室内、ラーベクス・アリ」 1893年 ユーテボリ美術館

 

結婚した2年後に描かれた絵です。18世紀半ばに建てられた邸宅の一室だそうです。家具が少なくてすっきりしているのはハマスホイの他の室内画と同じですが、こんなに明るい色の絵も描いたのかと驚きました。いつもの室温の低そうな部屋ではなく、この絵は春めいてあたたかそうです。

空間が斜めにとらえられていて軽快な印象を受けます。壁に半円や楕円、三角形などいろんな形の装飾が並んでいるのも楽しいですね。

ヴィルヘルム・ハマスホイ「農場の家屋、レスネス」 1900年 デーヴィズ・コレクション The David Collection, Copenhagen

  

室内画の印象が強いハマスホイですが、建物を外から描いた作品もあるんですね。これはシェラン島のレスネスで描かれた絵です。1900年の夏、ハマスホイと妻はこの農場の家に仮住まいをしたそうです。シンプルな構成ですが、細部が豊かですね。左の建物の2カ所の出入り口には影の中に石段があり、窓には景色が細かく映り込んでいます。屋内に人がいるのでしょうか、空に溶け込むように煙がまっすぐ上がっていますね。

開放感のある左の建物に対して、右の建物は出入り口が閉ざされています。壁の色が暗く、地面に伸びた影も大きいので寡黙な存在に見えますね。1枚の作品の中に明と暗を感じます。屋根と屋根が重なることでV字の切り込みが生まれ、のどかな風景に鋭さを加えています。

  デンマークの画家たち

会場の入り口付近には、ほとんど初対面のデンマークの画家たちの作品が並んでいます。穏やかな作品だけでなく、デンマークの自然の厳しさがうかがわれるものもあります。

 

ミケール・アンガ「ボートを漕ぎ出す漁師たち」 1881年 スケーイン美術館

 

海にボートを押し出す救命胴衣の男たちと、不安そうに見守る人たち。遭難した人を助けるために冬の海へ向かうのでしょう。緊迫感あふれる作品ですね。たくましい男たちにまじって女性と子どもの姿もあります。波は荒れているし、水温は低そうだし、助けにいくほうも命がけですね。

アンガはスケーイン派の画家です。漁師町のスケーインでは、冬にはこういう光景も珍しくはなかったのでしょうね。

 

オスカル・ビュルク「遭難信号」 1883年 デンマーク国立美術館(スケーイン美術館に寄託)

 

この絵は、習作の段階では救命胴衣を着た夫が出掛ける姿も描かれていたそうです。完成した本作では、夫を見送る妻と子どもたちの絵になりました。平和な時間が断ち切られ、妻の顔には不安や緊張が浮かんでいます。3人とも厚着で、妻はスカーフを巻いているところを見ると、室内はあまり暖かくないのでしょう。北欧の冬の厳しさが伝わってきます。生命力のかたまりのような幼い子は、食べ物のほうに手をのばしています。この子の表情に救われますね。右に置かれた椅子には、さっきまで夫が座っていたのかもしれません。

 

ピーザ・スィヴェリーン・クロイア 「漁網を繕うクリストファ」1886年 スケーイン美術館

 

屋内でパイプをくわえながら網を繕う漁師。冬なのでしょうか。海辺で網を繕う漁師さんを日本で見かけたことがありますが、寒さの厳しい時期には屋内で網を繕うのですね。

がっしりした体格がいかにも海の男という感じです。指の力も強そうです。スカーフの赤と窓辺の緑がアクセントになっていますね。たゆたう煙とぼさぼさの髪、男の手元が窓から入る光に照らされています。

  

ヒュゲ(くつろいだ、心地よい雰囲気)の意味

ヴィゴ・ヨハンスン「きよしこの夜」 1891年 ヒアシュプロング・コレクション

  何とも幸福感あふれる作品ですね。天井まで届く大きなクリスマスツリー。まぶしい光とたくさんのオーナメント。ツリーを囲み、手をつないで歌う子どもたち。大切なものをみんなで囲んでいるようです。飾り付けもみんなでしたのでしょうね。子どもたちの顔が輝いています。裸足の子や半袖の子もいますね。室内が暖かいのでしょう。左奥にやや年配の女性がいます。子どもたちのおばあさんかな。腕を組んでちょっと怖そうですね。この人だけ、違う思いにひたっているようです。

「ボートを漕ぎ出す漁師たち」や「遭難信号」とは対照的な光景ですが、この家族もいつ不幸に見舞われるかわかりません。だからこそ今このときの幸福感が貴重なものに思えます。くつろぎを大切にするデンマークの「ヒュゲ」という価値観は、たとえばこの絵に感じるようなものでしょうか。いつまでも眺めていたくなる作品です。

 

ハマスホイの世界

ヴィルヘルム・ハマスホイ「自画像」 1890年 デンマーク国立美術館

 

自画像は、正面を向いているものが多い気がします。ゴッホや岸田劉生の自画像を見ると、彼らと目が合います。からだを斜めにして、人と目を合わさないようにしているこの自画像は意外でした。ハマスホイは内向的で寡黙な人だったのでしょうか。明より暗、暑さより寒さ、喧騒より静謐を好んだ人のような気がします。

ヴィルヘルム・ハマスホイ「画家と妻の肖像、パリ」 1892年 デーヴィズ・コレクション The David Collection, Copenhagen

 二人とも寂しそうで口数も少なそうですが、穏やかな愛情を感じます。似たもの夫婦に見えますね。身長も同じぐらいで、画面に占める割合もちょうど半々。この絵は新婚旅行先のパリで描かれたそうです。新婚旅行とは思えない落ち着いた雰囲気がハマスホイらしいですね。

 室内

他のデンマーク画家と違い、ハマスホイの室内画は断捨離をしすぎたように家具や調度品が少なめです。それだけに描かれたもの一つ一つに見入ってしまうし、静かな世界に引き込まれそうになります。

ヴィルヘルム・ハマスホイ「背を向けた若い女性のいる室内」 1903-04年 ラナス美術館 ©Photo: Randers Kunstmuseum

 

ハマスホイの代表作とされる1枚です。青みを帯びた壁の色が美しいですね。首と上半身を傾けた妻のイーダ。斜めに伸びた左腕とトレーの縁の光が存在感を放っています。壁にかかる絵の線や面。でこぼこしたパンチボウル。その下にある蓋を閉じたピアノ。磁器、金属、木、布など質感の違うものが集まっているのにまとまりがありますね。

縦に伸びる女性のからだと、横に伸びるピアノ。重量感のあるものが交差しているところが面白いです。ピアノの端ぎりぎりに置かれたパンチボウルが、今にも滑り落ちそうでひやひやします。静かな作品なのに危うさを感じます。

ヴィルヘルム・ハマスホイ「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」 1910年 国立西洋美術館 ※東京展のみ出品

 

今度はトレーがテーブルの端に置かれていますね。イーダはなぜここにトレーをほっぽり出してピアノを弾きに行ったのでしょう。先の絵の印象が強いので、パンチボウルの不在も気になります。床やテーブルが光っていますね。左側にある窓が、描かれていないのに浮かび上がります。

手前のテーブルとトレー、奥のピアノとイーダ、どちらも同じぐらい存在をアピールしています。イーダはピアノが得意だったそうですが、この絵を見る限りではぽつりぽつりとキーを叩いている雰囲気ですね。寂しい空間を孤独な音が満たしているようです。

先ほどの絵と同時期の作品に見えますが、こちらが描かれたのは6,7年あとです。この絵を描く前年に転居したので別の部屋なんですね。そういえば壁の色や、壁にかかった絵が違いますね。どちらも歴史を感じさせるようなどっしりした建物です。そういう建物が持っている魅力もハマスホイの絵に感じます。

 

ヴィルヘルム・ハマスホイ「廊下に面した室内、ストランゲーゼ30番地」 1903年 デーヴィズ・コレクション

 

ハマスホイは「モティーフを選ぶときに私が重視するのは、その線」だと書いています。この作品も水平と垂直の線が主体です。向こう側の窓の枠や桟も描き込まれていて少しうるさい感じがしますが、ハマスホイは影のような線を描きたかったのかもしれませんね。

床の大きな箱と窓辺の小さな箱がアクセントになっています。何が入っているんでしょう。右側の窓は左側の半分の面積だから光量が少なくて壁が薄暗い。光と影の境い目もハマスホイは描こうとしたのでしょうか。

 ハマスホイはオランダ室内画の伝統を引き継いでいると言われています。とはいえ、人物や室内の空気に静けさや孤独感をにじませる描き方はハマスホイ独自のものではないでしょうか。

ヴィルヘルム・ハマスホイ「室内―陽光習作、ストランゲーゼ30番地」 1906年 デーヴィズ・コレクション

 先ほどの絵と似ていますが、こちらは3年後に描かれています。床をあたためる陽だまりが目を引きます。たくさんの線と面で構成されています。陽だまりには窓の桟が影として描かれています。右にあるのは開けることのできない扉でしょうか。心を閉ざしているようで、光を通す窓とは対照的です。

 

関係性の不在

ヴィルヘルム・ハマスホイ「三人の若い女性」 1895年 リーベ美術館 Photo: ©Ribe Kunstmuseum

  

ハマスホイの妹、妻、妻の義姉が描かれています。親戚同士ですが、喧嘩をしたあとみたいに険悪な雰囲気ですね。中央にいるのは妻のイーダ。左の女性はイーダの義姉インゲボー。本を読んでいる右の女性はハマスホイの妹アナです。インゲボーはなぜこんなに恐い顔をしているんでしょう。関係性が感じられなくて、それぞれ部屋に一人でいるようです。イーダの黒い服を見慣れた目には、インゲボーの服の明るさが新鮮です。イーダの左手の位置と長いエプロンが目を引きますね。

  

作品への視線が完成させる世界

ヴィルヘルム・ハマスホイ「室内、蝋燭の明かり」 1909年 デンマーク国立美術館

 

  ハマスホイが没した直後に、王立美術アカデミーの教授ヴィゴ・ヨハンスンは「鋭い審美眼と繊細な感性を持つハマスホイが、心からくつろぐことができたのは」「古い時代の簡素で洗練されたものに囲まれた場所だけだった」と述べています。実際、ハマスホイは古い時代のアパートに年季の入った家具を置いて暮らし、その空間を主な題材として作品を描き続けました。ハマスホイの作品には何かが欠けているような、欠けることで満たされているような雰囲気があります。ハマスホイの絵を観る人は、自分の視線や存在で欠落を埋めているのかもしれません。

いつもの陽光ではなく、ささやかな蝋燭の火に照らされた室内。二本の蝋燭が寄り添うように立っています。ハマスホイと妻のイメージなのでしょうか。

光の及ぶ範囲が楕円形に描かれていて、洞窟のようにも見えます。薄暗くて居心地がよさそうなこの場所に入っていきたくなります。ハマスホイは人の気配のない静かな部屋にヒュゲを感じていたのではないでしょうか。

  21世紀の日本人とハマスホイ

没後、前衛美術の勢いの前に忘れ去られたというハマスホイは、1990年代以降、世界的に注目され、日本でも人気が高くなりました。何が私たちをひきつけるのでしょう。

前向きであること。健康的であること。人に迷惑をかけないこと。たくさんの制約や無言の圧力に私たちは息苦しさを感じながら暮らしています。疲れ果てている人も多いのではないでしょうか。

ハマスホイの室内画を前にすると、いろいろな圧力から解放されて呼吸が楽になるのを感じます。窓やドアの絵を見てほっとするなんておかしな話ですが、古めかしい建物のがらんとした空間にひたるうちに傷を負った感情が修復されていくようです。

ハマスホイの絵に描かれた人たちは、無理に誰かと会話することも目を合わせることもしません。背中を向けてさえいるし、部屋と同化するようにひっそりしています。そこに私は親しみや安らぎを覚えます。

濃い闇は恐ろしいですが、うっすらとした闇は人を落ち着かせます。ハマスホイが描く室内は人を匿い、治癒してくれるシェルターのようです。ハマスホイの絵もまた一種のヒュゲに似たものを与えてくれるのではないでしょうか。

 (聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

 

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