現代アートのフロンティア ~ダムタイプとキュレーターたち~ 【イチローズ・アート・バー】第24回

東京・ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞事業局・陶山(すやま)伊知郎の美術を巡るコラムです。
国際的に評価された表現者集団
美術、映像、建築、デザイン、音楽、演劇、ダンスなど多分野にわたる制作者の集団、ダムタイプ(1984年結成)の日本初の本格的な個展(「ダムタイプ|アクション+リフレクション」2019年11月16日~2020年2月16日 東京都現代美術館)が実現した。国際的な評価を確立した1980-90年代のもはや「古典」的ともいえる作品から、2020年2月に公開されたばかりの最新作まで、知性と感性、テクノロジーの融合による洗練されたリズム感が息づいている。
ダムタイプは、結成時の中心人物、古橋悌二(1960-1995年)が没した後も、高谷史郎や池田亮司ら創立以来のメンバーに次世代の制作者がプロジェクトごとに顔ぶれを変えて加わり、活動を続けている。今回は東京都現代美術館の参事を務める長谷川祐子さんの企画で、2018年に長谷川さんがキュレーターとなって開かれた仏ポンピドゥーセンター・メッス分館での個展を元に構成された。
「LOVERS」から最新作へ
前期展示(2020年1月18日まで)では、古橋の遺作となった映像インスタレーション作品「LOVERS」(1994年)が、ダムタイプ結成以来の美意識を象徴的に示した。裸体の男女が歩み、走る。直立した男(古橋)の広げた両手はやがてむなしく空を抱き、体は倒れるように下界へ落ちていく。他者を求めつつ、孤独に朽ちていく人間の姿をとらえたものだろう。古橋は90年代に猛威を振るったエイズ禍の犠牲者のひとり。残された時間の短さを知りつつ、この作品に取り組んだという。
後期展示では、同じ場所で「LOVERS」に替わって最新作「TRACE/REACT II」が披露されている。

過去の作品(「S/N」「Voyage」など)に用いられた言葉に、現在のメンバーにより新たな語彙が加えられた。無数の英単語が「相互の関係性によって位置が決定されている」(会場のキャプション)。現れた言葉は、浮遊し、次第に加速し、交錯を繰り返しながら、最後には動力を失ったかのように漂い、落ちていく。「LOVERS」との共鳴を感じさせつつ、「ABILITY(能力)」「ADVANTAGES(長所、利点)」「INCENTIVES(誘因)」など単数形と複数形を織り交ぜた単語の群れに、21世紀の世相や感性の反映がある。
進化を続ける作品
隣室では旧作をリメイクした「Playback」が展示されている。無機的な空間に黒い骨組みの展示台。その上に置かれた透明なレコード盤は寡黙に回転を続ける。時に針がひとりでに動き、盤に落ちる。街の音や挨拶らしき言葉が聞こえてくる。プログラムされた照明が、レコード盤を照らし出す。コンピューター・テクノロジーですべては統御され、ひとつのユニットが音や言葉を発すると、他のユニットがそれに続くように変奏を奏でる。すべてがプログラムされた管理社会を象徴するようでもあり、テクノロジーと感性のハーモニーが、他者を求める人の心を映し出すかのようでもある。


今回の展示では、80年代の音源、すなわち初期ダムタイプの山中透、古橋悌二による音楽、英語教材の声、1977年のNASAによる惑星探査機ボイジャーに搭載したレコードに記録された55種類の言語の挨拶に、新たにレコーディングした素材を加えて再生している。ポンピドゥーセンター・メッス分館での展示では12台だったが、東京では16台に。担当学芸員の森山朋絵さんは「音に包まれる感覚が増した」と語る。
アーカイブブック ~制作現場の息吹を伝える~
展覧会の組み立てにあたって、長谷川さんが「ダムタイプの歩みを振り返りたい」と問いかけると、高谷史郎さんなどダムタイプのメンバーは、あらたに作ったり書いたりするのではなく、過去のメモや資料をそのまま見せることを提案。その結果、800頁をこえる「ダムタイプ・アーカイブ・ブック(文書・資料集)」が編まれた。

分厚い「大著」には、メモやスケジュール表やスクラップなどが散りばめられている。ダムタイプのミーティングは、視覚資料によるコミュニケーションが主となることが多い(高谷さん)といい、「ブック」はまさにその過程を如実に示す。読み込めば、ダムタイプの生のプロセスが浮かび上がってくるだろう。
ダムタイプの歩みを振り返る
過去の3作品「OR」「Voyage」「memoranndum」を織り交ぜた新展示の部屋を通り抜けた通路には、過去の上演に関わる作品と、年表も。舞台で使われた懐中電灯から上映フィルムなど、リアルタイムでダムタイプを見ていた人々には懐かしい記憶の覚醒があり、初めて見る人には地層を切り拓く新鮮な感覚があるだろう。



キュレーターたちの目
長谷川さんも森山さんも1980年代以来、ダムタイプに注目してきた。長谷川さんは、1992年には当時在籍していた水戸芸術館で手掛けた「アナザー・ワールド展」でダムタイプの作品をとりあげている。1990年代にはNYホイットニー美術館で客員キュレーターを務めた時期もあり、ニューヨークは馴染みの町。長谷川さんは古橋悌二のニューヨークでの活動や評価も時差なく熟視していたことだろう。
2013年までニューヨーク近代美術館(MoMA)でビデオ・アートのキュレーターを務めたバーバラ・ロンドンさんも、80年代半ばからダムタイプ、中でも古橋悌二に注目していた。調査のために日本を訪れた1984年、京都で初めて古橋と会ったという。当時、国際的に注目を集めた日本の現代美術家といえば、「LED」を用いた宮島達男や、突然変異をモチーフにした彫刻家、椿昇らだった。ロンドンさんは、古橋に「日本の新たな相貌」を感じ取った。1985年にはゲスト・キュレーターを務めたMoMAの「New Video Japan」展にダムタイプのビデオ作品を含め、その作品はMoMAのコレクションに入った。1995年にはMoMAの映画・ビデオ部門のアソシエイト・キュレーターとして組織した「Video Spaces:Eight Installations]展に「LOVERS」を含め、やはりMoMA の収蔵品に加えた。
ダムタイプはその後、ヨーロッパを含め世界的に評価され、古橋らの名は歴史に刻まれている。作家の評価は、アーティストを見守り、批評するキューレーターという他者の共感、情熱があってこそ築かれ、歴史化されていくのだろう。それを実感させられた企画でもあった。
(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

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2019年11月16日(土)~2020年2月16日(日)
東京都現代美術館(江東区木場公園)
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展覧会プレイバック
ジョン・ケージのローリーホーリーオーバー・サーカス
1994年11月3日~1995年2月26日 水戸芸術館
アメリカの前衛作曲家ジョン・ケージ(1912~92年)は、東洋思想に基づいた「偶然性の音楽」や演奏者が音を発しない作品「4分33秒」などで知られています。「ローリーホーリーオーバー・サーカス」展は、ケージが自身のアイディア、コンセプトに基づいて、ロサンゼルス現代美術館(MoCA)のキュレーターとともに企画にあたった展覧会です。デュシャン、ラウシェンバーグらケージが敬愛するアーティストの作品や東洋の書画などを集め、展示する作品や位置はチャンスオペレーションと呼ばれる偶然性を生かした選択によって日替わりで決める、というジョン・ケージならではの大胆な構想でした。タイトルにある「ローリーホーリーオーバー」は常に変容することを示しています。1993年にロサンゼルスで開催された後、ニューヨークのグッゲンハイム美術館(当時あったソーホー分館)に続いて日本の水戸芸術館に巡回しました。
当時、読売新聞のニューヨーク支局を拠点に日本向けの企画を考え、探していた私は、米国のさまざまな美術館にアプローチし、連携できる企画はないか、可能性をさぐっていました。MoCAが取り組んでいたこの企画は、異色ながら日本で開くにふさわしい企画。ケージが日本での開催に強い関心を示していたこともあり、MoCAとの話し合いは順調に進み、日本国内の開催美術館探しへ。奇想天外ともいえる発想と経費の大きさが障害になりはしないかと心配しましたが、幸い、水戸芸術館の美術監督だった清水敏男さん(現・学習院女子大教授)、キュレーターの森司さん(現・アーツカウンシル東京事業推進室事業調整課長)が、同館館長だった音楽評論家の吉田秀和さんの賛意を得て、開催を決断。日本巡回が実現しました。
グッゲンハイム美術館で開かれたMoCAとグッゲンハイム美術館の会議に参加した時のこと。「毎日チャンスオペレーションで展示替え」という説明に、ケージらしい発想とは思いながら、作品管理の点でも経費の点でも現実的な案とは思えず、最初は自分の聞き間違えだろうと思いました。これが実現したのはケージの意向を尊重するという作家への共感が、美術館の中で浸透していたからだろうと思います。アメリカの修復家には融通の利かない厳密、頑固な方も少なくなかったので、とりわけ印象的な出来事でした。
企画途中の1992年8月に、ケージは急逝。私は支局の同僚から通信社電の速報でケージの他界を知り、すぐにMoCAの担当キュレーター、ジュリー・ラザールさんに電話をかけました。彼女は言葉が続きません。その時、私は彼女に「この企画はやらねばならない」と言ったそうです。後に日本展が開幕する頃にその話を聞かされ、ずいぶん偉そうなことを言ったものだと気恥ずかしい思いでしたが、同時に、ラザールさんに「あれで励まされた」と言われて、心のつかえがとれました。日本展は水戸芸術館が主導し、私の所属する読売新聞社は後援という立場に一歩下がり、実務ではほとんど貢献できなかったことが、負い目になっていたのです。ラザールさんのひと言に私の方が励まされました。展覧会は、企画ごとに相手が変わり、その度に信頼関係を築く必要がありますが、仕事相手との絆という意味で、この展覧会は思い出深い企画のひとつとなっています。
