真実の舞踏家・鉾久奈緒美【スペイン人の目、驚きの日本】第7回

麿赤兒さんと鉾久奈緒美さん  壺中天にて(撮影:カロリーナ・セカ)2019年9月20日

スペインに生まれ、同国内のサラマンカ大学で美術史を専攻し、美術史研究者、芸術家として日本で活動するカロリーナ・セカさん。日本人が気づかない視点で、日本の美術、文学、建築などで感じたことを語るコラム「スペイン人の目、驚きの日本」をお届けしています。

 

 

私は幼いころスペイン・カスティーリャ=ラ・マンチャ州トレド県タラベラ・デ・ラ・レイナ(Talavera de la Reina)のクラシックバレエ教室に通っていました。   

ピンクのトウシューズに白いレオタードと黒いキャミソールを着て行うリハーサルを愛しく思っていました。つま先で歩くのをとても気に入っていたので、レッスンを始めて以来いつも家の中では、つま先を伸ばして歩いていました。

バレエ教師は長身の細いロシア人女性で、皺だらけの顔にお団子ヘアが印象的でした。謎に満ちた若い時のロシアでの暮らしがいつも噂になっていました。   

彼女の指導は厳しいと評判でしたが、実際には私に対する態度は優しくて、彼女にとても親しみを感じていました。     

「踊りが光り輝いていれば、その人が舞台のどこにいるかは関係ありません。なぜならば誰もがその人間が放つ光を見たいと思うからです」と先生がアドバイスしてくれたのを覚えています。

 

課外授業が無い日の午後は、とてもきれいな公共の公園で他の子どもたちと一緒に学校の制服のまま遊んだり、おやつを食べたりしていました。

同い年のロマの子どもたちは学校に通わなくなる人も多く、「ジプシー」とも呼ばれる子どもたちは突然歌ったり踊ったり、時にはかなりワイルドな悪戯をしていました。      

ある日公園に二人の子どもがやって来ました。女の子はおそらく3歳で、パルマ(フラメンコの独特の手拍子)を叩きながらお尻でたくさんのリズムを取っていました。5歳ぐらいの兄がまるで80歳の老人のような老熟した趣のある歌声でフラメンコを歌いだしました。

この兄妹が踊ったり歌ったりした時に特別な光を放ち、私たちは茫然と見とれていました。当時彼らは生活の中で歌や踊りを見聞きしながら体得していました。あの子たちも歌やダンスを学校で勉強したことはなく、自然に自分自身をフラメンコで表現していたのだと思います。

フラメンコを歌ったり、踊ったり、弾いたりするのは、朝の目覚め、呼吸や食事と同じくらい自然なことです。 

あの子どもたちを見て本物だ「真実」だと感じたことを今書きながら理解できます。

 

 

明らかにされた天職 

鉾久奈緒美(むく・なおみ)さんは、古都奈良に生まれ、幼稚園児のときからクラシックバレエを学び始め、ピアノ教室にも通っていました。

奈良市は、1972年にスペインの古都トレドと姉妹都市になっています。

 

鉾久奈緒美さん  世田谷パブリックシアターにて(撮影:カロリーナ・セカ)2019年11月24日

 

東京・吉祥寺にある舞踏集団『大駱駝艦』のオフィスに鉾久さんを訪ねて、ダンサーとしてスタートした幼いころの話を聞いている時に、私は彼女のスリムな体と可愛い顔を見ながら、白いチュチュに身を包んだ小さな我が娘がフランスのダンスを華麗に踊る様を若い父親が夢見ているシーンを想像していました。

バレエを学んでいた幼少期と思春期に、鉾久さんは「まさか自分がダンサーになるとは思ってもみなかった」そうです。

 

10代の頃、彼女は教育の専門家を目指しお茶の水女子大学に受験し合格しました。文教育学部の授業でクラシックからモダンやコンテンポラリーなど多様なダンスにチャレンジして、フラメンコも勉強したそうです。大学卒業後は奈良に戻って、ダンスのインストラクターになることを目標に据えていたそうです。

鉾久さんは自然が大好きで、子どもの頃から親しんでいた奈良公園がある奈良から離れたくないと強く思っていました。

       

しかし大学2年目のある日、山海塾や大野一雄の暗黒舞踏のビデオを見て「ウワッ!こういう表現方法もあるのか」と衝撃を受けたそうです。      

鉾久さんはダンスを観に行った時に受け取った大駱駝艦のワークショップのチラシを見て、その長野県北安曇郡白馬村の合宿に参加しました。

当時、自分自身がトップレスで金粉に覆われた体で踊るなんて想像もできなかったそうです。

 

ワークショップ合宿のある日、麿赤兒(まろ・あかじ)さんが山と川に囲まれた自然に浸りながら一人で踊り、鉾久さんは目の前で初めて見る自然な舞踏に感動しました。その瞬間、彼女の中に舞踏をやりたいとの啓示を感じたそうです。

以前クラシックを踊っていたときには、踊っている最中でもイメージについて細かいことが気になって心配でしたが、舞踏を始めてからは舞踏が本当に沸騰しているように感じているのです。 舞踏運動の創始者である土方巽が踊っている時に感じた、地面から沸き上がってくる大地のエネルギーや重力の表現について私に説明してくれました。

       

鉾久さんのダンスとの最初の接触はヨーロッパ起源のクラシックバレエであったため、動きが音楽にフィットすることが重要であり、それが自然なことでした。クラシックバレエと正反対の舞踏を始めた時に麿赤兒さんは彼女の舞踏を評して、『バレエっぽく踊っていた』と指摘していました。

 

彼女が自ら運命を変えて、大駱駝艦の舞踏集団の一員になってから15年が経ちました。

 

鉾久さんの卒業式には麿赤兒さんが父親であるかのように来てくれたそうです。その場にいた大学の先生たちの顔はとても面白かったに違いありません。偉大な表現者の麿さんが近くにいることは人生を豊かにし、幸運に違いないと思います。

ステージに立つ鉾久さんを私が初めて見た時、子どもの頃に習っていたロシア人のバレエ教師の言葉を思い出しました。ステージの上で自分自身の輝きを持ち、観衆はその光源に魅了されます。鉾久奈緒美さんの『阿修羅』を観た時にも、あの日の午後の子どもたちが歌い踊るフラメンコに遭遇した時にも感じた「本当の真実だ!」という感覚。

 

舞踏作品『阿修羅』 奈良市ならまちセンター 2019年1月 © Inoue Yoshikazu

 

運命の糸

鉾久さんが奈良に住んでいたときは興福寺の近辺を歩くのが日課で、世界遺産の特別な風景も彼女にとっては日常の当たり前すぎる景色で、よく景色を見ていなかったそうです。      

もちろん東京に住む彼女の知人たちは奈良の寺院を鑑賞し称賛しました。彼女が奈良の世界遺産の重要性を意識するようになったのは、実際に東京に移住してからでした。

 

ある日、大駱駝艦の夏期合宿を追ったドキュメンタリー映画『裸の夏』の表紙写真を撮った写真家が興福寺の阿修羅像を撮っていて、鉾久さんが阿修羅によく似ていると気づいたそうです。その言葉を聞いてから鉾久さんは阿修羅を研究し始めました。

       

大駱駝艦は創造的に作品を製作するシステムを用意しているところが素晴らしいのです。麿さんは世田谷パブリックシアターや世界中のさまざまな場所で大作を発表しています。他方で個々の鋳態(舞踏ダンサーのこと)も振付家として個人的な作品の創作を行っていて、若手のオリジナル作品を壺中天(東京・吉祥寺にある大駱駝艦のスタジオ)で見ることができます。

鉾久さんは阿修羅をテーマに自分の作品・振付を創作したいと思い、興福寺の貫首宛てに舞踏作品『阿修羅』製作の許可を求める手紙を書きました。 

すぐに肯定的な反応が興福寺の僧侶から返ってきました。興福寺の仏教の考え方を勉強してほしいと関連本が数冊同封されていました。  

その僧侶は東京・新宿で文化講習を行っていて、彼女は唯識仏教の考え方を理解するために毎月通いました。

 

舞踏作品『阿修羅』 奈良市ならまちセンター 2019年1月 © Inoue Yoshikazu

 

鉾久さんの舞踏作品『阿修羅』のアイデアはイメージとしてもたらされましたが、また仏教の教えの研究したすべてを動員しながら振付の動きを彼女が創造した世界にどのように組み込むかを考えます。

阿修羅像の3つの顔は正面が「懺悔」左が「怒り」右が「悲しみ」の表情だとも言われていますが諸説あるようです。興福寺に阿修羅像を観に行った時に鉾久さんに笑いかけてくれて、また左右の2つの顔もそれを教えるようにずっと笑ってくれている感じがして、心が浄化されていく気持ちになったそうです。

『阿修羅』ではシーン毎に表情が変わっていきます。無垢→逡巡→愛情→悲しみ→嘆き→怒りへ遷移して、やがて「笑い女」に出会って修羅場を乗り越えて、平和への希望の光を見出していくのです。

 

『阿修羅』は2015年東京を始め、2017年フランス・パリ公演も大喝采を浴びています。

 

鉾久さんの家族は彼女の裸を見ることを好きではありませんでした。しかし『阿修羅』作品を発表した時、彼らは作品を見るために奈良から東京に駆けつけました。家族は彼女が一生懸命表現している作品を見て理解し、また昨年1月に彼女が奈良で『阿修羅』公演をやった時にも応援してくれました。

奈良で暮らす人の中には、奈良の世界遺産文化財に特別な注意を払っていない人も少なくありません。なぜならそれは日常的な暮らしの中に当たり前に存在するからです。鉾久さんがことさら奈良で『阿修羅』の公演をしたかったのは、彼らの感情を動かしたかったことも理由の一つでした。 

 

もちろん奈良の観客の中にも『阿修羅』に感動した人たちがいましたが、この現代的な舞踏表現を理解できない観客もいました。

彼女は日常生活の中で美術館に行き、特に鴻池朋子さんの作品を楽しんでいるそうです。また俳句を学んでおり、いま頭の中では舞踏と薪能を統合した新しい振付の最初のイメージ画像が浮かんでいるそうです。鉾久奈緒美さんが思索している新たな作品が楽しみにしています。

 

 

喋ることができなくなった日

あなたにも同じことが起こりますか?      

 私は劇場に行くと、灯りが消えるたびにわずか数秒にも拘わらず暗闇に少し緊張します。  

 暗闇の中では常に不確実性の不安を感じ、その瞬間からアーティストたちにすべての感覚を委ねてしまいます。それが終わった時、私は私の日常の世界に戻るために数分を必要とします。

ある日、世田谷パブリックシアターで麿赤兒さんの公演を観に行った時に何かが起こりました。公演が終了してライトが点灯したのにも拘わらず私は喋ることもできず、身体が完全にロック状態になってしまったのです。

       

同伴者が私にこの舞台についてどう思ったか不思議そうな顔でコメントを求めてきたのですが、心一杯に頭一杯に充満したイメージのショックで何も答えることができませんでした。

芸術作品は素晴らしく、鋳態(舞踏家)たちの肉体と精神力は信じられないほど強靭で、作品世界に異様なドゥエンデ魔力がありました。私はこれらすべての感情を宝物として私の記憶に留めており、私の作品に大きな影響を与えています。

 

カロリーナの作品 「仮面舞踏会」 © Carolina Ceca

 

  


 

大駱駝艦の今後の予定は下記の通りです。

大駱駝艦・壺中天公演 松田篤史振付・演出「まだら」

3月2日(月)~8日(日)壺中天 (東京・吉祥寺)

お問合せ:大駱駝艦 TEL: 0422-21-4984 http://www.dairakudakan.com

直前の記事

松井冬子と谷崎文学の美学【スペイン人の目、驚きの日本】第6回

スペインに生まれ、同国内のサラマンカ大学で美術史を専攻し、美術史研究者、芸術家として日本で活動するカロリーナ・セカさん。日本人が気づかない視点で、日本の美術、文学、建築などで感じたことを語るコラム「スペイン人の目、驚きの

続きを読む
新着情報一覧へ戻る