松井冬子と谷崎文学の美学【スペイン人の目、驚きの日本】第6回

カロリーナ・セカ 2019年12月 © Carolina Ceca

スペインに生まれ、同国内のサラマンカ大学で美術史を専攻し、美術史研究者、芸術家として日本で活動するカロリーナ・セカさん。日本人が気づかない視点で、日本の美術、文学、建築などで感じたことを語るコラム「スペイン人の目、驚きの日本」をお届けしています。

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予期せぬ贈り物

かなりの高温だった今年の初夏、私が作品作りをしていた時に親切な郵便配達人が荷物を届けてくれました。

それはスペイン・マドリードからの贈り物で、思わず笑みがこぼれました。厚紙に黒インクの香りが漂うエレガントなメッセージカードと谷崎潤一郎の2冊の小説。

今年5月に私が現代アートの講演で訪れたマドリードで、この贈り物を送ってくれた紳士と日本文学についての会話と素敵なランチを楽しんだことを思い出しました。私はかなり昔に『鍵』と『陰翳礼讃』を読んでいたのですが、谷崎文学のことを忘れていました。

受け取った本は2冊ともまだ読んでいない作品で、ありがたいことにスペイン語の翻訳版でした。キター!新しい文学時機の到来です。

『少将滋幹の母』は読後の余韻が素晴らしく、心からこの長編小説を楽しめました。最初は面白い話に笑わされましたが、次第に作家のペースに引き込まれて夢中になりました。

とある物語のシーンが私の頭の中に突然浮かび上がりました。谷崎の小説と松井冬子さんの独特な日本画作品のイメージが重なり合いました。 なんと予想外のリンクなのでしょう。

 

ルーツにさかのぼる

ところで松井冬子さんをご存じですよね? 彼女は高度なテクニックをもつ卓越した日本画家の一人です。犬、女性や幽霊が登場する作品がつとに有名です。

 

松井冬子さん © FUYUKO MATSUI

 

展覧会で松井冬子さんの作品を観た時に思ったのは、作品が全体的に複雑で非常に興味深いものだったことです。見た目、彼女は背が高く美しい人で、会うたびに感じるのは大変社交的でオープンマインドな話しやすい人だということです。

1月20日大寒、彼女は東京の文京区に生まれました。待望の女の子の誕生に喜んだ両親と兄弟が愛情いっぱいにお祝いしました。

彼女が3歳になると家族は静岡県森町に引っ越しました。子ども時代にあちこち走り回って自然を楽しんだ日々は、本当に幸せな経験だったと私に言いました。

5年くらい経つと戸外で運動するのは楽しかったが、家の中で絵を描き始めると両親を怒らせるほど寝食を忘れて没頭するようになっていたそうです。

少女は毎朝通学する静岡県森町立森小学校の玄関に飾られていたレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の複製画に魅了されていました。 8歳から10歳頃、松井さんは「こんな芸術家になりたい」と心に誓ったのです。

幼い子どもの頃に描いたいくつかの自画像が残されています。彼女が絵をプレゼントするのが好きだったので、町の先生がたぶん取っておいてくれた絵が何枚か残っているのだそうです。

松井さんは18歳で上京して女子美術大学短期大学造形科絵画専攻に入学し、最初に西洋絵画を学びました。その後東京藝術大学の入試に6回挑戦して日本画専攻に入学しました。彼女が深い意味合いをもつ作品を作り始めた時、西洋絵画から日本画文化の中心に向かって逆行する思索の旅をしていたようです。

 

「浄相の持続」2004 年 © FUYUKO MATSUI

 

大人になって日本のアイデンティティ研究に没頭していても、彼女は子どもの時から心酔するレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖学研究から直接の影響を受けています。 松井冬子さんの作品テーマの中に解剖学的なレイヤーがよく見られ、解剖学自体が重要な構成の一部になっているのです。

このことを彼女に話すと、解剖学自体が彼女の目標ではないと明言していました、自分が見つめているものへの深い知識に最も興味があり、もっともっと知りたいと洞察探求しているようです。

松井さんの作品を熟考したときにいつも私が感じることは、自分の愛する人へ真実全てを示そうとして、愛の行為の無音の叫びのような深い表現をしているのだと思います。

 

 幽玄美の美学

さて再び谷崎の本に戻りましょう。

小説の中では少将滋幹の父親である老人が登場します。 この老人は非常に若い妻(少将滋幹の母親)と暮らしており、自宅で酒に酔った夜に妻を彼の客人に贈り物としてプレゼントしてしまいました。

その不条理な夜の後、何日も何週間も妻が彼の隣にいたときに感じていた感覚を取り戻したい哀れな老人は、彼女への愛と彼女の肉体の温かさを徐々に理想化しながら忘れていく方法を必死に探します。

少将滋幹の父であるこの80代の男は、狂気の中でアルコール中毒になり、後に仏教を通して妻なしでも生きていけるように新しい道を模索していきます。

老人は月明かりを頼りに曖昧な夜道を旅して「不浄観(ふじょうかん)」という典型的な仏教修行を行うために亡くなった女性の遺体を探します。腐って白骨化していく哀れな状態にある女性の体を観想すれば、自らを悲しみから解放できると考えています。

「應声は体を去らない」2011 年 © FUYUKO MATSUI

 

しかしながらこのような苦行を繰り返しても苦しみからの解脱はえられません。

老人の小さな息子、少将滋幹は美しかった母親の綺麗な記憶の炎を絶やしたくない一心で、理由が分からない父親の奇行が母親との記憶を汚す行動に思えて、耐えがたい葛藤に苛まれていました。

小説では次に何が起こるか?これ以上ネタバレはしませんが、作家自身の人生と非常に多くの類似点がある興味が尽きないこの作品を読むことをお勧めいたします。

谷崎は小説の中で「不浄観」の行為を肉眼で見ているような視覚的な表現をしていると感じました。同時に松井さんの絵画のイメージが重なり合うように浮かんできました。

『九相図(くそうず)』シリーズ中に位置づけられているこの作品は絹地に美しく描かれています。

この谷崎の本を手に取ってみると、松井さんが描いた女性があの老人に話し掛けてきましたが…絵画の空間と執筆の時間軸の間にあるガラスの壁に隔てられていて、その声は老人に届かなかったようです。

 

「転換を繋ぎ合わせる」2011 年 © FUYUKO MATSUI

 

人は外見の美しい女性たちの内面を見ようとはしないと、だいぶ前にスペインで聞いたことがあります。

ガラスの壁が谷崎と松井さんを分離しているようですが、そのガラスが鏡に変わったらスゴイことですね!?

 

在スペイン日本国大使館 公使 清水享さん、書籍をありがとうございました。

 


松井冬子さんの作品が出展されている展覧会と、今後の予定は下記の通りです。

 

1 「ジャパン・スーパーナチュラル展」

会期: 2019年11月2日~2020年3月8日

会場: ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館/オーストラリア・シドニー

 

2「東京:アートとフォトグラフィー」

会期: 2020年6月16日~2020年11月8日

会場: アシュモレアン博物館/イギリス・オックスフォード

 

3「ハンスベルメール後のドローイング」

会期: 2020年9月~11月

会場: ドローイングルーム/イギリス・ロンドン

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