翻訳家・鴻巣友季子 ×「ゴッホ展」 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

「スペシャリスト 鑑賞の流儀」は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

翻訳家、文芸評論家の鴻巣友季子さんに、上野の森美術館(東京・上野公園)の「ゴッホ展」を鑑賞していただきました。

鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)

翻訳家、文芸評論家。訳書にエミリー・ブロンテ『嵐が丘』、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(いずれも新潮文庫)など。2018年12月刊行の新著『謎とき「風と共に去りぬ」―矛盾と葛藤にみちた世界文学―』(新潮選書)が話題を集め、2019年1月放送のEテレ「100分 de 名著」の『風と共に去りぬ』全4回にも出演(NHKテキストとして発売中)。2020年1月27日から「毎日小学生新聞」で小説版『ロミオとジュリエット』の連載開始。世紀の恋愛物語の新釈に挑む。

「ゴッホ展」

2019年10月11日(金)~ 2020年1月13日(月・祝) 上野の森美術館(東京・上野公園)
2020年1月25日(土)~ 3月29日(日) 兵庫県立美術館(神戸市)

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~90年)が独自の画風を確立する上で大きな影響を受けたオランダの「ハーグ派」、フランスの「印象派」との関わりに注目したゴッホ展。「糸杉」「タンギー爺(じい)さん」をはじめとするゴッホの作品約40点と、アントン・マウフェをはじめとするハーグ派、セザンヌ、モネ、ルノワール、ピサロなど印象派の作品約30点によって、画家として活動したわずか10年間に劇的な変化を遂げたゴッホの画業を紹介する。

最初の展示室で「これがゴッホ?」

日本では数多くのゴッホ展が開かれていますが、今回の展覧会はゴッホとオランダの「ハーグ派」、フランスの「印象派」との関係に焦点を当てています。
印象派や日本の浮世絵からの影響については、これまでもよく紹介されてきました。最近でも、私も見に行った「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」(2017~18年、東京・京都で開催)ではジャポニスム(日本趣味)が全盛だったフランスでゴッホが浮世絵の構図や色彩に強い影響を受けたことを紹介していました。

他の画家はともかく、ゴッホの作品だけをたくさん見たいと思う人もいるでしょうけど、私はコンテクスト(文脈)がある展覧会が好きです。その時代や地域にパースペクティブ(視点)を広げることで、その画家を深く理解することができますから。

最初の展示室に入って、「これがゴッホの絵なのか」と少しびっくりしました。それほど私のイメージの中にあるゴッホの作品と印象が異なっていたからです。
1880年、27歳で画家になることを決意したゴッホは独学で描き始めます。農村生活を描いたジャン=フランソワ・ミレー(1814~75年)に共感を寄せ、作品を模写したことはよく知られています。やがてオランダのハーグで自然や人々の暮らしを描いていた「ハーグ派」の中心的な画家、アントン・マウフェ(1838~88年)の指導を受け、モデルを使って制作するよう助言されます。その後、ハーグに移り住んで他の画家たちとも交流を深め、画家としての基礎を固めていきました。

ゴッホの親戚でもあったアントン・マウフェの作品。左は「雪の中の羊飼いと羊の群れ」 1887-88年 油彩、カンヴァス ハーグ美術館

 

この時代のゴッホの絵は、初めの内こそ生硬で技術的に未熟なところも感じられますが、わずか1~2年でまったく違ってきます。農民の女性が「ただ突っ立ったまま」という感じでデッサンに描かれていたのとほぼ同時期、炉端のイスに頭を抱えるようにして座る老人を描いた「疲れ果てて」(1881年9-10月)というデッサンを見ると、まさしくゴッホの作品となっています。

フィンセント・ファン・ゴッホ
㊧「永遠の入口にて」 1882年 リトグラフ 個人蔵(クリストフ・ブロッファー博士)
㊨「疲れ果てて」 1881年9-10月、エッテン 鉛筆・ペン・インク・筆・不透明水彩、簀の目紙 P.&N.デ・ブール財団

 

「馬車乗り場、ハーグ」(1881-83年)という油彩画も、ハーグ派の影響を受けた暗い色遣いはあるものの、横顔を見せて立つ少女の表現にモダンさを感じさせます。その場ではすぐに分からなくても、順を追って展示を見ていくうちに「あれはやはりゴッホだ」と、他の画家たちとの違いに後で気づくのです。

フィンセント・ファン・ゴッホ
㊧「馬車乗り場、ハーグ」 1881-83年、ハーグ 油彩、板の上にカンヴァス ベルン美術館(イェグリ=ハーンローザー財団寄託)
㊨「雨」 1882年頃 水彩、ボール紙の上に紙 ハーグ美術館

 

「雨」(1882年頃)は傘を差して遠ざかる人々を描いた水彩画ですが、彼らが道から浮き上がっているように見える不思議な一枚です。雨に滲(にじ)んだカメラのファインダーをのぞくような感じで、どこかモダンな印象を受けます。アメリカの写真家ソール・ライター(1923~2013年)が雨の日にニューヨークの路上で撮った「ストリート写真」を思い出しました(東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで2020 年1月9 日~3月8日、「永遠のソール・ライター」展を開催)。

ゴッホとハーグ派   “先取りの剽窃関係”

次のコーナーでは、ハーグ派の画家たちを紹介しています。日本でハーグ派がまとまった形で紹介されるのは珍しいそうですが、一瞬、「あ、ここにゴッホがいる」と思いました。実際にはゴッホの方がハーグ派から影響を受けたのに、逆であるかのように感じてしまうのです。
文学も美術も大体において、もともとあった物語の語り直し、模倣から始まります。しかし影響を受けた人間が、与えた側よりも有名な存在になると、こうした「先取りの剽窃(ひょうせつ)」関係が生じてくる。だからハーグ派の画家たちの絵を見ても無意識に「ゴッホ探し」を始めてしまうんですね。

ハーグ派の巨匠ヨゼフ・イスラエルスはミレーの影響を受けて貧しい農漁村の暮らしを描き、ゴッホもそれを称賛したという
㊥「貧しい人々の暮らし」 1903年頃  
㊨「縫い物をする若い女」 1880年頃
いずれも油彩、カンヴァス ハーグ美術館

 

たとえばオランダ風景画の伝統を受け継ぎ、海景を描くのを得意としたヤン・ヘンドリック・ウェイセンブルフ(1824~1903年)という画家の「黄褐色の帆の船」(1875年頃)の場合は、雲と空の質感に「ゴッホ」を感じました。

ゴッホは1883年、オランダのニューネンに移り住んだ両親と暮らし始めると、1884年後半から翌年にかけて初めて油彩画の大作「ジャガイモ(馬鈴薯)を食べる人々」(不出品。ファン・ゴッホ美術館)を描きます。今回の展覧会には、完成作を元にゴッホがみずから制作したリトグラフとともに、準備段階で多数描いた農民の女性頭部の絵がいくつか並んでいます。

このニューネン時代に描いた静物画の一枚、「鳥の巣のある静物」(1885年10月)はゴッホが愛読した歴史家ジュール・ミシュレの著書「鳥」に触発されたものだそうです。ミシュレは映画「哀しみのベラドンナ」の原作となった「魔女」を書いた歴史家で、当時は一世を風靡していました。

パリに出て、色彩が一気に明るく

1886年、ゴッホは弟テオが画廊勤めをしていたパリに突然やって来て住み始めます。この頃に描いた「パリの屋根」(1886年春)は空の割合が不自然に大きく、雲の量も多くて、パリの空が海に見えてしまいます。白っぽくて、決して暗くはない空なのに、なぜか圧迫感を覚えます。

フィンセント・ファン・ゴッホ「パリの屋根」 1886年春、パリ 油彩、カンヴァス アイルランド・ナショナル・ギャラリー

 

パリに出てきた当初はオランダの写実主義の影響がまだ残っていたと解説に書かれていますが、印象派の絵画に出会うと色彩が見違えるように明るくなり、筆触の跡を残した素早い筆づかいに変わります。たとえば「アニエールのヴォワイエ・ダルジャンソン公園の入口」(1887年)も、森や地面が激しいタッチで描かれています。でも、私には先ほどの「パリの屋根」の空と同じく、どうしても海に見えてしまいました。

フィンセント・ファン・ゴッホ
㊧「パイプと麦藁帽子の自画像」 1887年9-10月、パリ 油彩、カンヴァス ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
㊨「アニエールのヴォワイエ・ダルジャンソン公園の入口」 1887年、パリ 油彩、カンヴァス イスラエル博物館

 

パリからアルル時代のコーナーに進むと、数多く描いた麦畑の絵(「麦畑」「麦畑とポピー」)や、「男の肖像」「ぼさぼさ頭の娘」など、いかにもゴッホらしい明るい色彩と素早いタッチの作品が並んでいます。ハーグ派、印象派、日本の浮世絵などの影響を経て、ゴッホが急速に独自の画風を確立していったことが実感できます。

フィンセント・ファン・ゴッホ「男の肖像」 1888年10月末-12月中旬、アルル 油彩、カンヴァス クレラー=ミュラー美術館

他の画家との対比から見えるもの

パリやアルル時代のゴッホ作品の手前に、印象派の画家たちの作品が並んでいました。その中でクロード・モネ(1840~1926年)の「花咲く林檎(りんご)の樹」(1873年以前?)を「ゴッホ最晩年の絵に似ているな」と思っていたら、一番最後の展示室でゴッホの「サン=レミの療養院の庭」(1889年5月)に出会いました。

どちらの絵も、手前から斜めに伸びていく小道が途中で消えてしまいます。また、画面の左手前は荒っぽく描いているのに対し、右上をびっしりと細かく描き込んでいる点も似ています。

クロード・モネの作品(モナコ王宮コレクション)
㊧「花咲く林檎の樹」 1873年以前(?) 油彩、カンヴァス 
㊨「クールブヴォワのセーヌ河岸」 1878年 油彩、カンヴァス

 

ゴッホの作品だけを見ていては分からないけど、別の画家の作品と一緒に見ることで視線の往還が生まれ、気づかなかったものが見えてくる。それが今回のようにある文脈で構成した展覧会ならではの面白さだと思いました。

フィンセント・ファン・ゴッホ
㊨「サン=レミの療養院の庭」 1889年5月、サン=レミ 
㊧「曇り空の下の積み藁(わら)」 1889年10月、サン=レミ
いずれも油彩、カンヴァス クレラー=ミュラー美術館

過剰なまでのパッション

「サン=レミの療養院の庭」はなんとも変わった絵です。画面の中でパースペクティブが消失し、観者(観客)もどこを見たらいいのか分からなくなってしまう。ゴッホは1888年にアルルの「黄色い家」でゴーギャンと共同生活を始めてすぐに決裂し、翌89年にはサン=レミの精神療養院にみずから入院します。この絵は入院中に描いたもので、不自然さは精神的な失調も理由かもしれません。

フィンセント・ファン・ゴッホ「糸杉」 1889年6月、サン=レミ 油彩、カンヴァス メトロポリタン美術館

 

有名な「糸杉」(1889年6月)の絵は、まるで燃え立つ緑の火柱のようでした。ゴッホは弟テオへの手紙で「その輪郭や比率などはエジプトのオベリスクのように美しい」と糸杉を賛美していますが、ヨーロッパでは墓地によく植えられている木で、英文学の作品にも「暗くなったから糸杉の横を通って帰るのはイヤだわ」といった会話が出てきます。

糸杉も空も、地面の草も、すべてうねるような激しいタッチで描かれています。でも、空が桃色を帯びているのはなぜでしょう。大きな三日月にも、何か特別な意味があるのでしょうか。画面からあふれる過剰なまでのパッションに、ただ圧倒される思いがしました。

(聞き手 読売新聞東京本社編集局文化部 編集委員 高野清見)

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