切手がアートに変わるとき 【きよみのつぶやき】第22回(「太田三郎-此処にいます」展)

ベテランアート記者・高野清見が、美術にまつわることをさまざまな切り口でつぶやくコラムです。

「太田三郎-此処(ここ)にいます」

2019年9月28日(土)~11月4日(月・休) 岡山県立美術館

※美術館の公式サイトで展覧会図録の通信販売行っています。

小学生の時、趣味でコインを集めたことがある。通っていた学習塾の近くにコインショップがあり、小遣いでも買える安い古銭を買った。中国の「開元通宝」や江戸時代の「寛永通宝」、明治時代の十銭銀貨──。戦時中の物資不足の中で作られた一銭錫貨(すずか)は、小指の先ほどしかない薄っぺらなコインだった。材質やデザインにその時の国力や社会状況が如実に表れるのがコインの面白さだが、周りは切手収集をする子供の方がずっと多く、「コインなんてきたない。切手は小さな絵のように美しい」と言われてくやしい思いをした。

「Date Stamps , 5 July 1985 to 13 July 2019」 96点組 1985-2019年 切手、消印
1-10:公益財団法人 DNP文化振興財団
11-20:田中恒子氏

郵便局に毎日通い、切手に消印を──

切手といえば、岡山県津山市に住む美術家の太田三郎さん(1950年、山形県生まれ)を思い出す。太田さんは1985年7月5日から、郵便局に毎日通って40円切手に一枚ずつ消印を押してもらう行為を始めた。消印には日時と郵便局の場所が記載され、「いつ、どこにいたか」を記録することができる。なるべく切手の図柄を汚さないよう消印を端に押してもらう人もいるが、太田さんは真ん中に押す「満月印」を指定した。「郵趣マニアと思われていました」と笑う。

休日は近所の郵便局も休みになるが、始めた頃は独身だったこともあり、当時住んでいた東京の最寄り駅である京王線つつじヶ丘駅から電車に乗って、わざわざ渋谷などの本局に出かけては消印を押してもらった。家庭を持ってからはさすがに休日の消印を中断したり、やむを得ない理由で郵便局に行けなかったりしたこともある。それでも現在まで34年間、昭和、平成、令和と3つの時代にわたって続けてきた。

元号を数字で表す消印は改元で2度、振り出しの「1」に戻った。はがきの郵送料金だった40円の切手も、料金の値上がりに伴って入手しづらくなり、未使用のシートがあると聞いては切手商に出かけ、原価より高い値段で買い求めてきた。たとえドラマチックな出来事がなくても、人生において判で押したように同じ行為を続けるのは決して簡単なことではない。

消印を押してもらった切手は、再びシートの枠に一枚ずつ戻していく。展覧会場に入ると、そのシートを額に入れた作品が壁に整然と並び、営々とそれらを作り続けてきた時間と労力の集積に圧倒させられる。
「来年8月頃で1万日、(シートにして)100点になる。そうしたら一応完了しようと思っているんです」と太田さん。「最初はこんなことをするのが果たして『アート』として認めてもらえるのかな、とすごく不安だった。だから逆にやめられなくなった。不安を克服するために繰り返してきました」とも語る。

消印が切手の真ん中に押されている

 

時間や場所を切手の中に入れ込む

切手の作品を手がけるようになったのは、銀座のデザイン事務所に勤め、画廊回りで最先端の現代美術に衝撃を受けてから。版画研究所に通って技術を学んだが、なかなか自分の作品が作れなくて行きづまりを覚えていた時、「日常生活の中で意識しなくても自然に生まれてくる版画的行為みたいなものがあるんじゃないか」と気づいた。
「買い物をした時のレシート、電車の切符、キャッシュカードの明細書なんかも一種の版画ではないのか。切手は『紙の宝石』と言われるくらい小さくてきれいなものが多い。この中に時間や場所の要素を入れ込むと、いろいろな作品が作れるような気がしたんです」

こうして太田さんの“切手アート”が始まった。大きな封筒に切手を貼っては旅先から投函することを繰り返したり、1994年に岡山県内に移り住むと県内の郵便局に往復はがきを送って消印を集め、所在地ごとに壁に貼って一枚の「地図」にしたり。ツバキの葉にツバキの図柄の切手を貼り、葉が次第に茶色く変わっていく変化とともに時間の移り変わりを表現した作品もある。

「Stamp-Map of Okayama」 1994年 切手、消印 
妻の故郷である岡山県津山市に居を移した年の作品。県内の主な郵便局の消印をマッピングしている。往復はがきを出し、同じ「1994年6月1日」の消印を押して返送してもらった

 

「Postmarked Camellia Leaf」 1987~2019年 椿の葉、切手、消印、紙にレーザープリント、シャーレ

戦争体験に向き合う

買ってきた切手だけではなく、切手の形を借りて自分がデザインした作品も制作している。中でもよく知られるのが1994年から発表している《Post War》のシリーズ。たとえば戦死者や中国残留日本人孤児の顔写真を、遺族や撮影者の了解を得て作品に使った。「Post War 60  被爆者」(2005年)は自分で撮影した被爆者の写真に、被爆時の状況など聞き取った事柄を小さく印刷している。自分が住む津山市や周辺の町にも被爆者が多く住んでいると知り、断られながらも13人から協力を得たという。
太田さんの作品は、購読している新聞の告知欄やニュースが制作のきっかけとなったものも多い。会場には、戦死者の遺族が肉親の最期に関する情報を求め、顔写真とともに投稿した新聞紙面のコピーも展示されている。40円切手に消印を押してもらうのと同じく、これらも日常的な営為の中から生まれてきた作品と言える。
現代美術の作品で、戦死者の写真や遺品を使った例は他にもある。最近の若い美術家が戦争などの歴史的事実を作品にすると、遺影や遺物の見せ方にともするとサンプル収集やリサーチ結果の発表のようなクールさを感じることがある。それに対し、太田さんの作品は死者や被害者の尊厳に対する配慮が伝わってくる。記念切手の偉人などの肖像写真をイメージさせることも理由の一つだろう。

「Post War 46-47 兵士の肖像」 7点組 1994年 紙にコピー 和歌山県立近代美術館
「Post War 50 私は誰ですか」 40点組   1995年 紙にレーザープリント 和歌山県立近代美術館
中国残留日本人孤児の顔写真を作品にした

自然災害や生命を見つめる

今回は太田さんが住む岡山県内で初めて開かれた大規模な個展。「切手と消印」「戦争」「大災害」「生命」の4章構成でこれまでの作品を紹介するとともに、近作と新作を展示している。
第3章「大災害」に展示された「Papers」と題する作品は、2011年の1年間、新聞の第1面を1日ずつ粉砕してドロドロに溶かし、はがき大に漉(す)いたもの。休刊日を除いて計355枚に達したが、どれも見た目は似たような灰色で、3月11日に発生した東日本大震災も見分けがつかない。
どんなに大きな災害や事件が起きても、衝撃や記憶は次第に薄れゆくものであることを教えているようだ。「可部のおにぎり」という作品は2014年に広島市で起きた土砂災害の被災地を訪れ、農家から譲り受けた泥だらけの稲穂を細かく砕き、広島特有の真砂土を混ぜたもの。災害時の炊き出しをイメージさせると同時に、再生への願いを託しているように見える。

「可部のおにぎり」 2014年 稲籾、土

 

第4章「生命」の章では、ダウン症の子どもと保護者をカラーで撮影した切手の作品「あひるの家族(子ども)(親)」(2009-2014年)と、保護者からの虐待で亡くなった子どもたちの名前と年齢、亡くなった年号を記した紙を小さな箱に貼り、祭壇のように壁に並べた作品「石の小箱」(2007-2019年)が対照的だ。我が子がダウン症と知って苦悩しながらも現実を受け入れ、困難を乗り越えてきた保護者の顔と、明るくほほ笑む子どもの笑顔。「撮影する時はキャーキャー言って喜んで、とても楽しかった。今は社会人になって働いている人もたくさんいます」という。
一方では、生まれてきた我が子に愛情を込めて命名しながら、虐待で死なせてしまった保護者たちがいる事実。「こんなに一生懸命考えて名前を付けたのになぜ・・」と考えさせられる。亡くなった子どもたちの名前は、主に新聞記事から選んだという。

ジャーナリスティックな視点

「生命」に続いて近作、新作が最後に紹介される。

「Mountain」(2018-2019年)は使用済みの500円切手を大量に集め、100枚ずつ結束してピラミッドのように積み上げた作品。「未使用切手なら原価は果たしていくら・・」と計算したくなるが、作品となればさらに別の価値が付与され、価格も異なってくるはずだ。
海外の美術オークションで現代美術の作品が高額落札されると、「あんなフィギュアみたいな作品に〇〇億円!」と興味本位の話題を呼ぶが、そもそも美術作品の値段とは何なのかを問いかけてくるようだ。

「Mountain」 2018-2019年 使用済み切手67,500枚、糸 伐折羅大将、マツ、タンチョウヅルの3点

 

「Bird Net」 2014/2019年 農業用防鳥ネット、切手ほか

 

美術館のラウンジには、新作「Bird  Net」が展示されている。鳥や植物、昆虫の切手を貼り付けた農業用の赤い防鳥ネットが、もともとその場所に置いてあるイスやテーブルに絡みついている。アジアで発生した鳥インフルエンザが世界を不安に巻き込んだ2004年に発表した作品をベースに、太田さんが展示場所に合わせて新たに制作した。見えない感染を可視化した赤い糸は通信網のようで、地球上に住む私たちが否応なくつながっていることを意識させる。

この20年近く、太田さんの新作を東京の画廊で開かれる個展で見てきた。しかし回顧展の意味合いも強い今回の個展で、思っていた以上にジャーナリスティックな視点を持つ美術家なのだと感じた。それもテレビやネットの情報ではなく、日常の中で目にした新聞記事が作品を生み出すきっかけになったり、新聞紙そのものが作品の素材として使われたりしている。新聞社に所属する人間として、そこにひそかな喜びを覚えたことも告白したい。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

太田三郎さん