セゾン文化を振り返る 【イチローズ・アート・バー】第22回 セゾン現代美術館「オマージュ展 最終章」

東京・ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞事業局・陶山(すやま)伊知郎の美術を巡るコラムです。

 

闘争そしてあるいは叙情 堤清二/辻井喬オマージュ展 最終章

201997日(土)~1125日(月) セゾン現代美術館(長野・軽井沢)

 

  西武百貨店、パルコなどの経営者で、詩人・小説家辻井喬としても知られる堤清二(19272013年)の文化人としての歩みを、美術作品や資料(油彩 44点、彫刻・オブジェ16点、版画7 点、工芸品11 点、展覧会他のポスター26点、 インスタレーション、水彩他、合計124 点と、書籍約140点=辻井喬118点、堤清二8点、堤康次郎3点、堤邦子1点、大伴道子 13点)で振り返る「闘争そしてあるいは叙x情 堤清二/辻井喬オマージュ展 最終章」が、セゾン現代美術館(長野・軽井沢)で開かれている。堤=辻井の七回忌となる1125日まで。

堤清二は、西武鉄道創業者の父・康次郎から西武百貨店を引き継ぎ、1980年代末には流通、不動産、保険事業などにまたがる「生活総合産業」グループに成長させた。この間、第一詩集「不確かな朝」(55年)、初長編「彷徨の季節の中で」(69年)ほかの著作を発表し、文化人としても時代のリーダー的な存在となった。バブル崩壊以降グループ企業の業績は伸び悩み、2000年にグループの不動産会社である西洋環境開発が破たんしたのを機に、堤はグループから身を引いた。

経営者としての「敗北」と退場の後、04年に「父の肖像」で野間文芸賞を受賞。0809年には、読売新聞で長期連載した回顧録「叙情と闘争 辻井喬 堤清二回顧録」で、30代以降の公的な活動を軸としながら、自らの歩みと時代を振り返った。今回の展覧会のタイトル「闘争そしてあるいは叙情 堤清二/辻井喬オマージュ展 最終章」は、この回顧録に由来するものであろう。

「オマージュ展」は14年(「堤清二/辻井喬 オマージュ展」)、15年(「ふたつの目 堤清二/辻井喬 オマージュ展 Vol.2」)に開かれて以来3回目で、今回が「最終章」となる。

セゾン現代美術館は、堤康次郎の書画骨董品のコレクションを元にした高輪美術館を前身として、1981年に軽井沢に開設され、91年にセゾン現代美術館と改称した。建物の設計は菊竹清訓で、庭は彫刻家・若林奮がデザインした

  辻井喬vs堤清二

入り口ホールには、堤と親交の深かった小説家・三島由紀夫が組織した「楯の会」の制服(冬服)が展示されている。三島の依頼で西武百貨店が制作したもの。隣に「テロリストになりたし 朝(あした) 霜崩れる」という堤=辻井の言葉が紹介されている。社会に過激な異議申し立てをする革命家でありたいという夢想と、徹底して現実の利潤を追求する経営者である事実という、極端な乖離の間にいる心境を、夢想家の立場から述べたものであろう。

「『楯の会』の制服は愛知県一宮市のコレクターが収集していたもので、現在は市の博物館が所蔵しています」(セゾン現代美術館学芸員の新海実和子さん)

 堤家の人間模様

堤清二の家庭は複雑だった。父は西武鉄道を創業し、衆院議長も務めた実業家・政治家の堤康次郎。母は康次郎の横暴に翻弄され、耐え続けたと言われる歌人の大伴道子。妹邦子は、西武百貨店のパリ駐在部長やセゾン系各社の取締役を務めるなど、外目には派手なキャリアをもつが、裏返せば日本では相応の活躍の場がないまま、パリで他界した。堤家には「父の母に対する理不尽」と「父と兄妹の間の闘争」があり、「辻井喬」というペンネームに託されたのは、父親に反抗する自己だった。

 堤家のコレクション

展覧会は、堤家のコレクションの紹介で始まる。

康次郎が収集した日本画の巨匠・小林古径の屏風絵「羅浮仙」などの書画骨董品、邦子が所蔵したフランス現代美術の巨匠バルテュスの夫人・節子さん(画家名SETSUKO)の静物画、歌人だった母・操(筆名・大伴道子)の歌集などが、それぞれの多様なテイストを示している。 

小林古径「羅浮仙」 大正9年(1920年)頃  大伴道子の歌集「羅浮仙」も合わせて展示されている

 

SETSUKO(節子バルテュス)「赤いテーブルの上のアザレアと果物」 1989年 手前の書籍:堤邦子著「流浪の人」1957年

 

富本憲吉旧蔵の「九品曼荼羅図」(鎌倉時代) 富本の没後、長男壮吉と中学から大学まで同窓だった堤清二の手にわたった

  「セゾン文化」の歩み

堤=辻井は、西武美術館(後のセゾン美術館)、西武劇場、パルコ劇場、スタジオ200、銀座セゾン劇場、八ヶ岳高原音楽祭、現代音楽祭「今日の音楽」(武満徹監督)、シネセゾン渋谷などで次々に文化事業を展開した。1970~80年代に一世を風靡(ふうび)したセゾングループの文化活動は、文化によって大衆の関心を引き、本業に資する「文化戦略」として、もてはやされた。

 1階会場では、時代を画した展覧会などのポスターや、堤=辻井の意を反映する形でセゾングループが収集した美術品とともに、堤=辻井の自宅机や書籍が展示され、セゾン文化の熱気をはらんだ展開を伝える。

西武美術館開館記念のポスター(右端)、セゾン美術館開館記念展のポスターなどが並ぶ

 

堤=辻井の自宅から「お出まし願った」机などで、書斎の一部を再現

  

自宅書斎の机は、2014年の「オマージュ展」第1弾でも展示された。この時は没後1年足らずで、堤=辻井の残影が呼び起こされるような感覚があったが、今回は歴史のひとコマのように静かにたたずんで見えた。「過去になった」のは、5年の間に、見る側の私が堤=辻井の不在を消化した結果だろう。

 

パフォーミング・アーツ(舞台芸術)でも堤=辻井は最前線の活動を後押しした。「カルメンの悲劇」(1987年、銀座セゾン劇場)ほかのポスター

 

セゾン文化の歩みを振り返る展示品が並ぶ。正面の壁の黒い作品はスーラ―ジュの「絵画、1983年1月7日」。パリのスーラ―ジュのアトリエで堤=辻井と当時西武美術館学芸員だった難波英夫さんが選んだ

コレクション

堤=辻井の美術へのまなざしを、難波英夫・セゾン現代美術館名誉館長は「芸術家の目だった」と評する。美術館の購入も、堤=辻井の意を反映するものだったに違いない。戦後の国内外の前衛芸術の作品は、どれも高いクオリティ(質)を保っている。 

池袋サンシャインビル48階の堤清二の会長室に飾られていたフォンタナの作品「空間概念」(1962年:左)も展示されている

 

スロープには堤=辻井の著作がずらりと並ぶ

 

突き当りの中二階の壁には、ロスコの「No.7」(1960年)。柔らかな自然光を生かして展示されている。外光と照明を織り交ぜた展示は、所蔵品だからこそ可能なこと。稀有な機会だ。

左がロスコ「No.7」。奥の部屋には、20世紀半ばに「アクション・ペインティング」の旗手として活躍したジャクソン・ポロックの作品や、落書きのようなスタイルで知られるサイ・トゥオンブリーの作品(右端)が並ぶ

 

2階の展示ギャラリーは、本展のメイン会場ともいえる賑やかな空間だ。堤清二著「変革の透視図」(1979年)、「消費社会批判」(1996年)を手掛かりに、大量生産、大量消費の時代の美術をとらえる。自動車の部品やスクラップ、モーターなど廃品を使った“動く彫刻”で知られるティンゲリーやイヴ・クラインら「ヌーボ・レアリスム」の作家たち、大衆消費社会のイメージを題材としたポップアートのスター、リキテンスタインやウォーホル等の作品が、壁面や空間を自在に利用して展示されている。

ウォーホル「毛沢東」はティンゲリーの作品「地獄の首都 No.1」(壁際の金属部品の集合体:1984年)の背後から顔をのぞかせる。
堤=辻井と親交の深かった宇佐美圭司や荒川修作らの作品が並ぶ2階ロビー

 

文化と文化戦略

西武美術館=セゾン美術館は、前衛芸術を世に問う旗手のような存在だった。その文化活動は西武、セゾンの文化戦略として称揚されることが多かったが、美術も音楽も芝居も、企業成長のための道具だったのだろうか。おそらくそうではない。辻井喬の中には、経営者・堤清二とは異質な叫びがあり、それは矛盾しつつもピュアなものだっただろう。その葛藤が、冒頭にあげた「テロリストになりたし 朝(あした) 霜崩れる」という言葉に現れたのにちがいない。

画家・宇佐美圭司が2012年に亡くなり、その「偲ぶ会」に既に病魔に侵されていた堤=辻井は出席できず、難波さん(当時セゾン現代美術館館長)に別れの言葉を託した。その時、宇佐美に冠したのは「戦友」という言葉だった。経営者・堤清二と戦う文化人・辻井の言葉だったかもしれない。その言葉を託された難波さんも、辻井にとってもう一人の「戦友」であり、最期の数か月、難波さんを毎週のように病院に呼び、長く語り合ったという。「文化戦略」という概念は、堤=辻井の頭の脳裏からはとうに消えていただろう。

セゾン文化も堤=辻井も、歴史の中で語られる時代になった。もう「霜」が崩れるおそれはない。経営者という半身も「文化戦略」という口実も捨てさり、文化的レガシー(遺産)だけを見て、堤=辻井を問い直す時が来ているのかもしれない。その終わりと始まりのメッセージが、展覧会の「最終章」というタイトルに込められているのではないか。そのように想像した。

 

展覧会プレイバック

ワイエス展ーヘルガ

1990年1月2日~2月25日  セゾン美術館、7月20日~9月4日  高輪美術館(現セゾン現代美術館)ほか

「ワイエス展-ヘルガ」の図録表紙

  

アンドリュー・ワイエスが「秘かに知人女性を描いていた」とジャーナリスティックに騒がれた「ヘルガ・シリーズ」の展覧会。セゾン現代美術館(当時は高輪美術館)での展示作業中に、なりゆきでスロープ下の外光が漏れ入るスペースに水彩画を仮置きした瞬間がありました。ふと目を向けると青やピンクなど淡くほどこされた色が生き生きと輝きを放っています。画家が求めた色はこれか、と息をのみました。

因みにこの展覧会はアメリカの所蔵者から作品を一括借用して開いたのですが、その所蔵者の日本側エージェントを務めた事務所のスタッフとして各会場に来ていたのが、前回この欄で取り上げた「バルケンホール展」の企画者、小山登美夫さんでした。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

ワイエス展ーヘルガ

1990年1月2日~2月25日  セゾン美術館(東京・池袋)

3月2日~3月25日  つかしんホール(兵庫・尼崎)

4月1日~5月10日  福島県立美術館(福島)

5月16日~6月17日 福岡市美術館

6月23日~7月15日 石川県立美術館(金沢)

7月20日~9月4日  高輪美術館(現セゾン現代美術館:長野・軽井沢)

9月12日~10月21日 北海道立近代美術館(札幌)

10月27日~12月16日 埼玉県立近代美術館(浦和)

 

 

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