エッセイスト・岸本葉子 ×「正倉院の世界」展 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

【スペシャリスト 鑑賞の流儀】は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。
今回はエッセイストの岸本葉子さんに、東京国立博物館(東京・上野公園)で開催中の「正倉院の世界」展を鑑賞していただきました。
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岸本葉子(きしもと・ようこ)
エッセイスト。1961年、鎌倉市生まれ。東京大学教養学部卒業。暮らしや旅を題材にエッセイを数多く発表。俳句にも親しんでいる。近著に『NHK俳句 岸本葉子の「俳句の学び方」』(NHK出版)、『二人の親を見送って』(中公文庫)、『ひとり老後、賢く楽しむ』(文響社)、『「捨てなきゃ」と言いながら買っている』(双葉社)、『人生の夕凪 古民家再生ツアー』(双葉文庫)、 『50代の暮らしって、こんなふう。』(だいわ文庫)。公式サイト
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2019年10月14日(月・祝)~11月24日(日) 東京国立博物館
*前期11月4日まで。後期11月6日~24日
天皇陛下の御即位を記念し、奈良・天平時代(8世紀)の国際色豊かな造形文化を伝える奈良・正倉院の宝物計43件と、明治時代に法隆寺が皇室に献納し、現在は東京国立博物館が所蔵する飛鳥・奈良時代(7~8世紀)の法隆寺献納宝物計16件を含む約110件を公開(前・後期で全面的な展示替えあり)。正倉院の宝物は、およそ1260年にわたり守り継がれてきた世界的にも比類のない文化財で、古代の東西交流の有り様を伝える。
特別な機会
御即位記念というので、特別な文物が出品されるのでは、という期待をもって参りました。教科書に取り上げられるような宝物を鑑賞できるだけでなく、現在は東京にある法隆寺献納宝物からも関連のある宝物が展示されるとのこと。宝と宝を見比べることのできる、この展覧会ならではの稀有なチャンスですね。
聖武天皇と光明皇后 夫婦の絆
正倉院の宝物は、奈良時代の光明皇后が、東大寺に納めた亡夫・聖武天皇の遺愛品が起源。歴史的な遺物とばかり思っていましたが、光明皇后の愛と信仰が背景にあるのですね。東大寺献物帳には六百数十点の宝物が記載されていますが、光明皇后はこれを見る度に涙したといいます。女性としては胸にささるものがありました。



コスモポリタン的な彩り
「平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)」は唐時代の中国のもの。見てキレイで圧倒されます。花は「宝相華(ほうそうげ)」という仏様のいる世界に咲くという想像上の花とか。夜光貝(やこうがい)や琥珀(こはく)の薄い板を貼り付けて、花文を中心に花、葉、鳥などの文様が表されています。材料はトルコ石やアフガニスタンのラピスラズリにまで及んでおり国際色が豊かです。これひとつでも奈良時代の国際色がうかがえ、奈良・正倉院が「シルクロードの終着駅」と呼ばれるのが誇張ではないことが分かります。最初は夜光貝や琥珀などに目を奪われそうですが、刻み込まれた細かい図柄や、すき間に散りばめられたトルコ石やラピスラズリにもぜひ注目を。虫眼鏡で見たいくらいです。後期には縁の形が異なる「平螺鈿背八角鏡」が出品されます。

中国文化の受容と変容
「海磯鏡(かいききょう)」は中国文化を日本人がどのように受け止めたかを示して面白い例でしょう。中国では川として描いたものを、日本側では海と受けとめて「海磯」という名をつけたらしいのです。中国では黄河や長江(揚子江)のように幅が10キロメートルを超えるような大河が川の象徴ですが、日本では想像も及ばないことで、大きな水のうねりを海ととらえたのは無理もありません。自然環境の違いの中で文化が変容していくさまが感じ取られて興味深いですね。

歴史との対面
「墨画仏像」はおおらかな筆致で、思わず微笑ましくなりましたが、ここで使われている麻布が、中学校で習った古代の税制「租庸調(そようちょう)」で納められた布らしい、と聞いて驚きました。歴史が蘇ったよう。まさか実物を見ようとは思いもしませんでした。まさに正倉院でなければありえない歴史的な展示物ですね。

正倉院ならではの宝物 ~古代の染織品~
古代の遺物は概ね出土品、つまり一度は土に埋められたものです。土器などを例外として多くは地中で朽ち果ててしまうもので、繊維は真っ先に消えてしまうはずです。正倉院は、倉で宝物を保管したため、染織品が現代にいたるまで保管されてきました。奇跡的といってよいと思います。染織はどちらかというと地味で、展示されていても普通なら通り過ぎてしまいがちですが、ここはたっぷり味わって欲しいですね。

「鳥毛帖成文書屏風(とりげじょうせいぶんしょのびょうぶ)」は、かつては唐からの輸入品と考えられていましたが、研究の結果、キジ、ヤマドリなど日本の鳥の毛が使われていることが分かり、国産らしいことが判明しました。文字のデザインのために鳥の毛そのものを「貼る」という技法が面白いですね。書かれている言葉は、正直や親思いを説くもののようで、今でも言われそうな儒教的な教えで親しみがわきます。
「花氈」はフェルト製の花模様のある敷物です。羊毛を巻いて転がして圧縮したフェルトに、遊牧民の子どもが唐時代に流行したというポロ(ホッケーの一種)をしている図が表されています。梳いた羊毛を糸状にしたものをほぐした羊毛を用いて描かれたのでしょう。スティックの前には打つ直前と思われるボールまであり、異文化を生き生きと伝えています。写真では伝わらない質感があります。

宝の中の宝
かつて正倉院の代名詞的存在といえば「黄熟香(おうじゅくこう)」だったそうです。東南アジアで産出した香木で、香道が成立した室町時代に「東」「大」「寺」の文字を組み込んだ「蘭奢待(らんじゃたい)」と雅名が付けられ、足利義政や織田信長らが切り取って香を楽しんだといいます。明治天皇も芳香を体験されました。それぞれ切り取ったところに記録が記されています。権力者が一片でも、と熱いまなざしを送ったに違いません。
代々語り継がれたあこがれの的。今でも近寄ればほのかに香りが感じられるそうです。

教科書にも出てくる「螺鈿紫檀五絃琵琶」。正倉院の宝物の象徴と言えばこの琵琶でしょう。まず細工に目を奪われます。さらに両面展示してくれています。螺鈿や海亀のべっ甲を用いた華麗な装飾が目を引き、西域を旅しているかのようなふたこぶラクダは異国情緒を誘います。


実は、この琵琶は部品ごとにばらばらに保管されており、明治時代になってようやく修理され、往時の姿を取り戻したそうです。楽器としてのよみがえらせるために、正倉院が8年がかりでつくった復元模造品も展示されています。この絃には上皇后さまが育てられた日本純粋種の蚕「小石丸」の繭の糸が使われているそうです。正倉院以来の歴史に、上皇后さまが現在進行形として加わられたことに、深い感慨が湧きます。
この模造琵琶は演奏可能で、会場ではその音が流れています。共に展示されている唐の時代の琵琶に、あらためて生命が宿るようですね。
法隆寺献納宝物との比較に見る、古代日本の技術
「伎楽面 酔胡王」は正倉院宝物とその復元模造、法隆寺献納宝物の3面が揃って並べられ、賑やかさを添えています。面をかぶって音楽に合わせて演じる伎楽は、中国由来の仮面劇で、日本では聖徳太子に時代に普及し、奈良時代には東大寺大仏開眼会でも演じられたものです。酔胡王はペルシャの王で、鼻が高く、日本人とはかけ離れています。復元模造では酔った赤ら顔が一層鮮やかです。


法隆寺献納宝物の伎楽面と見比べると、正倉院宝物の方が造形的にメリハリが効いている感じが分かります。法隆寺献納宝物は、飛鳥時代から奈良時代にかけてのものと考えられ、50年以上後に正倉院宝物は制作されたことになります。この間に異文化を消化して、独自の表現を生んだことが見てとれます。
この展覧会でしか出来ない歴史的な比較体験ですね。

強き王のイメージ
「ガラス皿」は西アジアで5世紀以前に製作されたものと考えられています。これは正倉院宝物とは異なり、古墳から出土しました。濃い紺色は、光にかざすと神秘的な色合いを見せたでしょう。後期に出品される正倉院宝物「白瑠璃碗」をはじめ、聖武天皇はこうしたガラス製品を身近なところに置いて暮らしたと思われます。

歴史で習った聖武天皇は、疫病や天災などに翻弄された苦難の人、という印象でしたが、このようにぜいたくな舶来品に囲まれていたとすると、実は豪勢な強い王だったのかもしれません。このコーナーで以前訪れた「トルコ至宝展」で、オスマン・トルコのスルタンが緑色の大きなエメラルドを玉座の上に吊るしていて、「どうしてここまでするのか」と不思議に思いましたが、意外に、聖武天皇にも共通点があるかもしれません。
正倉院は生きている
「甘竹簫(かんちくしょう)」は竹管を並べた吹奏楽器で、聖武天皇遺愛の品の一つ。ばらばらに保管されていたものを、明治時代の修理で12管の楽器として復元されていたのですが、後の発見で18管だったことが判明し、あらたに18管の模造品がつくられました。
さらに、明治時代に復元した12管を接着しているニカワを剥がす技術が開発され、現在は、宝物を18管で天平時代の姿を復元する作業が進められています。現在形で変わりつつある宝物を見せてくれるのが見どころです。
また「塵芥(じんかい)」まで保管され、今回、展示されています。倉で保管されたとはいえ、当然朽ちたものもあったのですね。正倉院では損傷が進んだ塵芥をひとつ残らず保管し、整理を進めているとのこと。糸を選り分けるような緻密な作業が、大正時代以来100年以上続けられているそうです。関わる方も代替わりを繰り返しています。正倉院の遺物は今も見守る人々とともに生きている、と感じました。

正倉院は過去のものを保存している、というイメージを持っていましたが、守るだけではなく、格闘している場でもありました。
勅封の威厳
会場の最後には、正倉院南倉の一部が原寸大で復元されています。倉の高さ、大きさを体感できるほか、勅封の厳重な保管の様子もうかがい知ることが出来ました。神聖な気持ちでの保管を実感していただけるのではないでしょうか。

倉で保管されてきたものならではの宝物の数々を堪能できました。染織は土に埋められたら真先に消えてしまいますが、正倉院では色も鮮やかに残っていました。唐の時代の国際色豊かな文化が、奈良まで到達していたことも実感でき、さらに数十年ほど早い法隆寺献納宝物と見比べられることにより、その間の変化をうかがい知ることもできました。点数は決して多くはないのですが、見ごたえ満点の、深みのある内容でした。
今回、御即位への祝意に満ちたメモリアルとしてこの展覧会が開催できるのは、生前退位があったからこそでしょう。幸せな時間でした。月末に出かける予定の奈良の正倉院展もますます楽しみになりました。
(聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)
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2019年10月14日(月・祝)~11月24日(日) 東京国立博物館
*前期11月4日まで。後期11月6日~24日
2019年10月26日(土)~11月14日(木) 奈良国立博物館