ノートルダム大聖堂、修復にむけて【パリ発!展覧会プロデューサー・今津京子のアート・サイド・ストーリー】第7回

「オルセー美術館展」(2014年)、「モネ展」(2015年)、「プラド美術館展」(2018年)などこれまでに日本国内で数十の大型展覧会を手がけたパリ在住の展覧会プロデューサー、今津京子氏によるコラムです。
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4月15日夕刻、ノートルダム寺院から出火。その約2時間後の20時ごろ、皆が息を飲んで見守る中、尖塔が崩れ落ちた。一連の映像が世界中に衝撃を与えたのは記憶に新しい。
火災は焼け落ちた尖塔の下部の、足場のはしごのあたりから出火したと言われている。ちょうどこの尖塔を洗掃している最中だった。エレベーターの電気系統の故障だとか、作業者のタバコの不始末とか色々な噂が流れたが、6月の時点で検察は未だ原因不明と発表している。
今回の火災の象徴とも言えるこの尖塔は、荒廃していた大聖堂を19世紀半ばに大規模に修復したヴィオレ・ル・デュクという建築家によって復元されたもの。燃え広がった屋根の構造部分は石ではなく木材でできており、木の量は総計約1300本分だとか。ゆえに屋根は「森」という愛称で呼ばれていた。
ルーヴルなど国立のいくつかの美術館は絵画と彫刻、家具などの工芸品を寄託していたが、鎮火後それらが迅速に搬出された。幸いいかなる被害も免れたという。この時、内部に入った人からは、ぽっかりと空いた天井から差し込んでくる朝の光が神々しかったと伝えてきた。
言うまでもないことだが、ノートルダム大聖堂はフランスで最も多く人が訪れる建築物だ。年間約2000のミサが開かれ、訪問者は1200万人を超える。パリ市の起点であり、14の国道の出発点でもある。世界遺産として宗教上、歴史上重要であるだけでない。昔は犯罪者でもそこに逃げ込めば助けてもらえる、全ての市民に開かれた治外法権的な場所であったという。パリのシンボルであるだけでなく、フランス国民の誇りであり精神的な拠り所であると、長年パリに住んでいて実感する。
7月17日、国民議会でノートルダム大聖堂改修と保全法案が採択された。その過程で激しい議論の応酬があった。「200年かけて建立した大聖堂だが、マクロン大統領が目標とする5年での改修は急ぎすぎではないのか」「災害前と同じに復元するのか」「十分にお金は集まるのか」等々。火災から1週間後に、大手企業が次々と寄付を申し出て、現時点で約9億ユーロ(約1080億円)が集まると見込まれている。
今後、注目されるのは、どのように修復するのか、ということだ。実はフランス国内で大聖堂の屋根の修復はこれまでに何回か行われている。シャルトルは1836年に火災に遭い(その絵画作品が残っているのだが驚くほど今回と様相が似ている)、ランスは1914年、ドイツ軍の砲撃や空襲で被災。直近では1972年、ナントの大聖堂が火災で屋根とステンドグラスが焼け落ちた。それぞれ修復の方法は異なるが、部分的に金属を使うなど、その時代の新しい素材、技術を取り入れている。チタンやガラスが使われるのか、外観は変化するのか。そして修復費の総額がいくらになるのか。
現場は毎日のように70人近い作業員が働いている。まずは建物の構造が暴風雨で壊されないことと今後の作業のための安全確保の工事から行なっている。天井は覆われ、外側の支持アーチであるアークブタンはすでに新しい木で補強された。
ところが8月に入って、環境団体によって警告されていた鉛汚染が確認された。屋根に使用されていた数百トンの鉛が溶けて、実際、場所によっては基準値よりも非常に高い数値が検出された。空間が閉じられているのか開かれているのか、などによって基準は異なるが、周辺のエリアが汚染されていることは確かなようだ。3週間、工事は中断、作業員の除染の方法を確実にして再開した。9月、パリの学校では教室が汚染されていないかを確認して新学期が始まった。
フランスのマスコミは定期的に大聖堂をめぐる状況を報道しているが、進行過程にあるがゆえに、こうして記事を書いている最中にも新しいニュースが出てくる。今後、想定外のことも起きるのだろうが、その対処によってフランス政府の真価が問われる。世界中の人々が見守っていることだけは間違いない。
(展覧会プロデューサー 今津京子)