生態系の表現者・鴻池朋子【スペイン人の目、驚きの日本】第3回

鴻池スタジオにて 緊張するカロリーナ(左)鴻池朋子(右)2019年  © Carolina Ceca

 スペインに生まれ、同国内のサラマンカ大学で美術史を専攻し、美術史研究者、芸術家として日本で活動するカロリーナ・セカさん。日本人が気づかない視点で、日本の美術、文学、建築などで感じたことを語るコラム「スペイン人の目、驚きの日本」をお届けしています。

 

 ◇

 

「海を扉で遮らないで!」

私が4歳のときに2人の姉と一緒に乾燥したスペインのマンチェガ高原で、退屈な夏休みの最後の夜を過ごしていました。

隣には、最近引っ越してきた新築の家がありました。 その日、2番目の姉は、殺風景な隣の家の壁に絵を描いたらすてきになるだろうと企んで、彼女が用意した黒い絵の具で、私たちは、数メートルの絵を描き上げました。

壁画制作の後、私たちは家に戻り、入浴し、静かに夕食をとり、天使のように穏やかに眠りました。 翌朝、誰かが家のドアを激しくノックしました。隣人でした。

母は、私たちの目を真っ直ぐ見つめて、お説教しようとした途端、2番目の姉が母のシビアな目にシッカリと答えるように声をあげました。「海にドアを置かないで!」と。 これは、スペインの有名な諺(ことわざ)で、姉が言いたかったのは、自由な大海原(無限の創造力)にオトナの制限を設定しないで、私は自由にしたい、でした。母は、叱りませんでした。隣の人も幼い子どもがやったことだからと許してくれて、母と隣人の息子さんたちとで、何時間もかけて、明るい色を塗り重ねていました。

現在、2番目の姉は、スペイン・マドリードで、ブライダル・イベントとファッション誌の会社を経営していて、たとえばサーカスや100年前のパリといったテーマをブライダルに取入れたり、これまでの常識にとらわれないブライダルスタイルを生み出して大成功しています。

 

鴻池朋子さんの作品を見ると、私たちが子どものときに感じていた自由な着想や創造的な宇宙観を感じます。

今年のある日の昼下がり、鴻池さんのスタジオに車で向かっているとき、ワイパーを動かしたり、止めたりする程度の小雨が降っていて、春霞に煙る山々を背景に大きな建物が聳(そび)えていました。まるで映画の始まりのようなシーンでした。 正直なところ、彼女に近づいていくことに、私は、かなり神経質になって、一種の恐怖さえありましたが、好奇心が勝って抵抗できませんでした。

私は、建物から現れた彼女を見つけて、若々しい姿を確認しました。すべてがミステリアスです。 彼女に会ったのは、その時が初めてで、その後さまざまな理由で何度か会いました。私は、いつも彼女の人柄に惹かれています。

 

「狼頭巾」2015年 ©鴻池朋子

 

スタジオに入ったとき、作品がほとんどないことに気付きました。 その理由は、このスタジオで、制作した作品を米国サンフランシスコのウェンディノリス・ギャラリーやスペイン・マドリードのソフィア王妃芸術センターなど国際的な展覧会に次々に出展しているためでした。

彼女は、私を独特の空間に招き入れてくれました。 皮革の香りが遍在し、匂いは非常に動物的であると同時に人間的でした。 棚には、作品図録、筆、オブジェ、骨がいっぱい置いてありました。 その部屋は、狼の巣のような感じで、暖かい場所ではあるが、しかし私の肉体は、常に警戒していました。

鴻池さんの作品の中に、彼女の生家がある秋田がどれだけあるのか、そして彼女が自分一人で作品作りをしているときに秋田弁で話しかけているのか、彼女の土地の歌を口ずさむのかについて考えてみました。

彼女が私に語ったところによると、上京して東京に暮らし、東京芸術大学の日本画科を卒業した頃には、長い間秋田の記憶が眠っていたようでしたが、ある日彼女が故郷に戻って、そこに住む人々の典型的な言葉を聞いたとき、彼女の中に何かが起きたそうです。

 

人間と野生

鴻池芸術には、膨大な作品があり、かつ複雑であり、大きな宇宙を構成しています。作品を見ると、鴻池さんが作ったものであるとすぐにわかります。独特のテーマと強い個性的なスタイルを持っています。 彼女は、優れたテクニックを組み合わせて、既存のカテゴリーに収まりきれずに、芸術的分野を飛び越えてしまいます。 最も洗練されたものから全く予期しないものまで、たくさんのオブジェクトが新しい作品に生命を吹き込むのに役立っています。

 

「皮緞帳」2015年 ©鴻池朋子

 

たとえば、襖や動物の皮革さえもキャンバス代わりに使用し、ニンゲンの脚が合体したオオカミやアゲハチョウのハイブリッドの動物を描いたり、白い粘土を巧みに使って、変な顔のような形をすばやく作ります。『世界には、狼に育てられた子どもの話がたくさんあって、不思議です。狼は、人間と動物の間を往還する生き物かもしれない』と。

鴻池さんは、冬に生まれたので、家の周りは、深く雪が降り積もっていたことでしょう。雪で身動きができない野生の犬の温かな毛で遊ぶのが好きな女の子だったそうです。『動物なので、コミットメントも約束もできないけれど、なぜか次の日もその次の日も偶然に出会った』と。そのときは、快適に感じていたが、いま思うと犬が突然、彼女に噛みつく可能性もありました。

また、非常に驚くべき逸話も語ってくれました。

ある日、夢中になって片手で絵を描いている間、もう片方の手でサンドイッチを食べていました。手が空いてもそれに気付かずに、強く噛みついてしまい、突然襲ってきた痛みを感じ、血がしたたり落ちる指にビックリしたそうです! 原始的な人間の暴力を深く、しかも身近に認識した瞬間だったそうです。

 

 

幼少期からの豊かな創造力と世界観

先週の日曜日はちょっとした風でしたが、秋の発表のようでした。

台風一過の暑い午後、鴻池さんに再び会いました。 東京・代官山でのランチは、あるトピックから別のトピックに次々に会話がジャンプして、終わりがありません。幼いころの朋子さんに会いたいと思いました。

鴻池さんは、頭が大きいプロポーションに足が少し太い着せ替え人形、アメリカからやってきた「タミーちゃん人形」に幼児の頃からハマっていたそうです。 ある日、彼女は巨大な箱を見つけて、それを用いてドールハウス作りに熱中していたそうです。

小さな女の子からティーンエイジャーへの成長過程で、彼女は、遊びを続ける言い訳を探していたので、子どもの時間を盗まれないように幼児の世話をするふりをしていたようです。

誰もが子どもの頃は、感受性が豊かで、ちょっとしたことにも衝撃を受けたり、思いついた法則が支配する時代に生きています。 鴻池さんの作品を見ると、彼女の幼年期のラインが今も続いていると感じます。

スペインの巨匠、ピカソの言葉です。子どもは、みんな芸術家だ。問題は、オトナになっても芸術家でいられるかどうかだ。

 

「シラ 谷の者 野の者」2009年 ©鴻池朋子

 

たぶん、大学卒業後、彼女が玩具や家具などのデザイナーとして約13年間働いたのも理由だと思いますが、現在も新しいフォルムを創造し続けているのです。

デザイナーとしての経験を積み重ねた頃、ある日、彼女が美術展を訪れたときに、アート作品は、もっと簡単によいものが制作できると確信して、アーティストへの転向という成功に満ちた冒険を開始しました。

彼女が良い決断をしたことは、明らかです。アートのコンセプトと作品制作について、私は、彼女と一緒に話す機会が何度かありましたが、彼女は、いつも同じ言葉で、コメントしています。

鴻池さんにとっては、デザイナーとか、アーティストとかといったラベルは、どうでもよくて、重要なことはその中の真実であり、感情の表現なのです。

 

鴻池芸術の生態系

鴻池さんの作品開発プロセスは、スタジオだけで行われるものではないようです。

作品を作る前に、必ず最初に作品が公開される場所を訪れます。 とにかく歩き回って、そのスペース、ロケーションや歴史を熟考し、香りを嗅ぎ、そこの空気にどっぷりと浸かってから彼女は、作品を制作します。 展覧会が始まってから作品は、成長し続けます。

例を挙げましょう。

数ヶ月間、瀬戸内国際芸術祭2019の大島会場で、屋外に「皮トビ」という作品を展示しています。 制作前に彼女は、島を訪れ、自然に浸って、海で泳ぎました。

 

「皮トンビ」2019年 ©鴻池朋子

 

作品の周りに空気、太陽、雲、そして昆虫たちのライフサイクルが存在しています。 カラフルな絵がいっぱい描かれた皮革は、壁やドアなどの制限が無い環境に息づいています。

先日、台風が島を通過して、強い風と雨がこの作品に忌々しき傷跡を残しました。ほかのアーティストにとっては、悲しいニュースであるはずのこの出来事は、鴻池さんにとっては、人生では、当たり前に起こることであり、自然がもたらした傷跡も作品の一部と考えているようです。一枚の絵に完結するものではなく、小さなころから感じていた野生への感性、ダイナミックに生態系宇宙全体を表現することが鴻池芸術の真骨頂だと思いました。

(原文日本語)

 

 

鴻池朋子さんの作品は、以下のイベントでご覧いただけます。

 

1 「瀬戸内国際芸術祭2019

会期:2019年9月28日〜11月4日

会場:香川県高松市大島

 

2    「表現の生態系 世界との関係をつくりかえる

会期:2019年10月12日〜2020年1月13日

会場:アーツ前橋

 

3  「古典×現代2020―時空を超える日本のアート

会期:2020年3月11日(水)~6月1日(月)

会場:国立新美術館

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