エッセイスト・岸本葉子×「コートールド美術館展 魅惑の印象派」【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

【スペシャリスト 鑑賞の流儀】は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

今回はエッセイストの岸本葉子さんに、東京都美術館(東京・上野公園)で開催中の「コートールド美術館展 魅惑の印象派」を鑑賞していただきました

岸本葉子(きしもと・ようこ)

エッセイスト。1961年、鎌倉市生まれ。東京大学教養学部卒業。暮らしや旅を題材にエッセイを数多く発表。俳句にも親しんでいる。近著に『NHK俳句 岸本葉子の「俳句の学び方」』NHK出版)、『二人の親を見送って』(中公文庫)、『ひとり老後、賢く楽しむ』(文響社)、『「捨てなきゃ」と言いながら買っている』(双葉社)、『人生の夕凪 古民家再生ツアー』(双葉文庫) 。公式サイト

コートールド美術館展 魅惑の印象派

2019年9月10日(火)~12月15日(日) 東京都美術館

2020年1月3日(金)~3月15日(日)  愛知県美術館

2020年3月28日(土)~6月21日(日) 神戸市立博物館

ロンドンにあるコートールド美術館は、英国の実業家サミュエル・コートールド(1876~1947年)の名画コレクションをもとに、1932年に創設された。印象派、ポスト印象派の名画を所蔵することで名高い。美術館の改修工事を機に、コレクションの名品を紹介する世界巡回展が組織された。まず今年2~6月にパリのルイ・ヴィトン美術館で開催され、続いて東京展が始まった。コレクションから選りすぐられた約60点を、画家の言葉、時代背景、素材・技法などを切り口にした3章と、セザンヌ、ルノワール、ゴーガンに焦点をあてた3つの「収集家の眼」のコーナーに分けて展示している。

 

 

「日本の風景画のようだ」

日本の浮世絵版画に熱中したゴッホは、見たこともない日本を想像し、あこがれを抱いていたと言います。南仏アルルで、桃の花咲く平野とその向こうに連なる山々を見て、「庭、畑、庭、木々、山々でさえまるで日本の風景画のようだ」と記しました。そこで描かれたのが出品作の「花咲く桃の木々」。右奥の雪をかぶった山は富士山を思って描いたのでしょうか。ゴッホの言葉に誘われるように、日本の山や平野が目に浮かびました。

「中央本線から見える山梨県石和(いさわ)の風景を思い出しました」

   

近代化 ~画家の目、コレクターの思い~

印象派の画家たちが活躍した19世紀後半は、産業化が進み、生活環境も人々の行動もずいぶん変わったようです。たとえば鉄道が敷かれ、人々が遠出をするようになりました。

セザンヌの「大きな松のあるサント=ヴィクトワール山」は、最初はただ「名作」と思ってみていたのですが、そのうちに、陸橋があり、汽車が走っているのが見えてきました。何気ない風景に見えながらも、しっかり時代を反映しているんですね。

 

 マネの「アルジャントゥイユのセーヌ河岸」では、手前に行楽に来たと思われる母子らしき二人が描かれ、向こう岸には洗濯船、工場の煙突が見えます。鉄道が通ったことで、郊外に行楽に出かけられるようになったとのこと。レジャーという新しい文化と工業化を支える労働という対比も、印象派の時代の新しい現実だったのでしょう。

「向こう岸にあるのが洗濯船でしょうか」

 

 さらにセザンヌ「カード遊びをする人々」では労働者が主役です。保守的な人からは「描く価値があるのか?」という批判の目が注がれていたかもしれません。

ポール・セザンヌ《カード遊びをする人々》1892-96年頃 油彩、カンヴァス 60×73cm コートールド美術館 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

 

 新しい時代の景観や暮らしに目を向けた画家たちの試みを、社会はすぐには受け入れなかったのでしょう。評価はなかなか上がりません。特に保守的なイギリスの人々は冷淡で、20世紀にはいってもしばらくは、ロンドンの美術館で印象派やポスト印象派の作品を見ることは出来なかったそうです。そうした時に、積極的に絵を買い集めたコートールドさん。進取の気性に富んだ人柄が窺われますね。

「カード遊びをする人々」が掛けられたコートールド邸の一室の写真を見上げる岸本さん

  

社交場と近代

ルノワールの「桟敷席」や、ロートレックの「個室の中(ラ・モール)にて)」など、劇場やカフェ・レストランを描いた作品にも、画家とコレクターの、時代の先を行くセンスを感じました。  

ピエール=オーギュスト・ルノワール《桟敷席》1874年 油彩、カンヴァス 80×63.5cm コートールド美術館 © Courtauld Gallery (The Samuel Courtauld Trust)

  

ロートレック「個室の中(「ラ・モール」にて)」の前で、東京都美術館の担当学芸員・大橋菜都子さんと

どちらも華やかさと退廃の兆しが同居しているようで、ゴシップ記事のタネになりそうですよね。画家たちがこうした情景に目を向けたのも興味深いのですが、必ずしも好意的には見られなかったはずの画題を、コートールドさんが敢えて評価したところも面白いと思います。

 

 マネの「フォリー=ベルジェールのバー」は名作ぞろいのこの展覧会でも注目の一作ですね。電灯による照明が行われた劇場は、パリではここが最初だったそうです。これだけ大きなサイズの鏡も、当時としては新しい技術だったことでしょう。ところどころ靄のような青白い曇りがあるのは、当時の技術では高い透明度がつくりだせなかったため、と伺いました。風俗とともに、当時の科学技術が反映されているようですね。

「球体の図像が散りばめられていますね」

 細かく丁寧に描かれた瓶や果物と、緩やかに描かれた背景が混在していますね。マネは印象派には加わらずサロンを舞台に活躍しながら、印象派に大きな影響を与えたとのこと。晩年の境地が表されているのかもしれません。

 

 制作の過程に迫る

ドーミエの「ドン・キホーテとサンチョ・パンサ」は未完成なのに堂々と展示されていて、少し驚きました。素早い筆遣いで線を重ねるように描いているようなのですが、完成には至らなかったようです。そもそもドーミエは油彩を完成させることはめったになかった、とうかがいました。完成されていなくても、逆に何かが強く伝わってきますね。 

「展覧会で未完成作品を見る、というのは新鮮な体験です」

 

スーラの「クールブヴォワの橋」は感嘆するしかないほど精緻な作品ですね。作品を見た後、解説パネルを読んで、あらためて作品に見入りました。

スーラは小さな色の点の並置によって新しい視覚体験を生み出した、点描技法の巨匠。色彩理論、光学理論の発展が背景にあったそうです。印象派が筆致の粗さのために失いかけた形態を、明るい色を失わずに、取り戻そうとしたのですね。

「色彩理論や点描技法の秘密が解説されていて、作品の理解がずっと深まりました」

 

ゴーガンの「ネヴァーモア」も見逃せません。「二度とない」という意味のタイトルですが、背景の二人の人物が何者なのかも分からず、謎めいていますね。科学分析で下に異なる絵が描かれていることが分かっているそうです。ますます意味深長に思われました。

 

 コートールドの思い

コートールド邸の屋敷内の写真が会場内に何か所かあしらわれていました。高精度の写真が残されていて、コートールドさんと同じ気持ちで作品に接することができた気がします。愛着のある作品を自邸でこころゆくまで鑑賞していた様子がうかがえます。

コートールド邸の室内写真に写ったルノワール「桟敷席」を見る岸本さん

 

並べられた作品には、共通する空気のようなものを感じました。コートールドさんが本当に気に入った作品を集めていて、その好み、テイストが伝わってきたのだと思います。

この点、前回の「鑑賞の流儀」で訪れた「松方コレクション展」の収集家、松方幸次郎は、日本に美術館をつくるためにまとめ買いも辞さなかったということで、同じ名画の収集家でも、少し作品との接し方が違うような気もしました。

  

フランスの血統の誇り?

イギリスの保守層の間では、印象派もポスト印象派も低い評価しかされていなかった時代に、なぜ、コートールドさんがフランス近代美術の名品を見分け、精力的に購入したのでしょう。単にこれらの絵が気に入っただけではなく、フランスへの愛着がどこかにあったのではないでしょうか。

コートールド家は17世紀に、宗教上の理由で、フランスからイギリスにわたり、実業の世界で成功をおさめたそうです。自らは成功を収めたイギリスで、祖先の国の近代美術がおろそかにされていることに、残念な思いがあったのではないでしょうか。フランス近代美術の優れた部分を、イギリスの人々にも知ってもらいたいという気持ちがあったのではないか、と想像しています。遠い祖国フランスへの密かな思いが潜んでいたと思います。

コートールド夫妻の肖像写真の前で。コートールド家に養女入り!?

 

「贅沢な時間でした」

よくもまあこれだけ、と思えるほどの名画を目にすることが出来ました。近代絵画の歩みの中で、大衆の存在感が大きくなっていく様子も感じました。画家が目を向け、少し遅れて先駆的なコレクターが評価し、収集していったのですね。また、芸術が精神的なものであるとしても、技術的な裏付けや発展が大きな力を持つことも実感しました。

そうした時代の流れを、セザンヌ、モネ、ルノワール、ゴーギャンなど巨匠の名作で、知り、感じ取ることが出来て、密度の高い、贅沢な時間でした。

「全体の構成もわかりやすく、要所要所に丁寧な解説パネルがあり、理解を深めることが出来ました。大橋さん、ありがとうございました!」

      (聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

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