内省を誘う「ふつう」の木彫たち 【イチローズ・アート・バー】第21回 「バルケンホール展」

東京・ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞事業局・陶山(すやま)伊知郎の美術を巡るコラムです。
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シュテファン・バルケンホール展
小山登美夫ギャラリー(東京・六本木)
2019年9月7日(土)~10月5日(土)
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ドイツ、フランスを拠点に世界的に活躍する美術家、シュテファン・バルケンホール(1957年生まれ)の個展が、東京・六本木の小山登美夫ギャラリーで開かれている。展示されているのは、人物を主題にした近作ばかり、大小とりまぜた木彫6点、浮彫10点、ブロンズ1点、素描3点。
独特の、ノミ跡を残し、木の素材感を生かした立像やレリーフが並んでいる。小さな立像は、直方体の台座に乗せられているように見えるが、日本流に言えば、台座ごと一本の丸太から彫りだした「一木づくり」。ホワイトキューブの空間に、寡黙にたたずみ、かすかにユーモアを感じさせつつ、内省を誘う。

バルケンホールは1980年代にヨーロッパで注目を集め、続いて90年代以降は、アメリカやカナダ、さらに南米、アジアでも紹介されてきた。日本では2005年に東京オペラシティギャラリーと大阪・国立国際美術館で展覧会が開かれ、小山登美夫ギャラリーでは、2007年(東京)と2011年(京都)に続く3回目のバルケンホール展となる。
「ハイジ」
バルケンホールの作品を愛蔵する一人に、女優の鈴木京香さんがいる。数年前の芸術系雑誌で紹介されていた。赤い衣装を身につけた女性像「woman in red uniform(赤い制服を着た女性)」を2007年に買い求め、「ハイジ」と名付けたという。写真で見る「ハイジ」は、緩やかで、静かな包容力を感じさせる。見る側の微妙な感情の変化を受け止め、そっと投げ返す。ずっと見ていてもおそらく飽きることはない。この懐の広い魅力はどこから来るのだろうか。
来日したバルケンホールに、自身の制作についての考えや芸術観などを聞いた。
白い男
トレードマークともいえる、白いシャツ、黒いズボンの男たち。年齢も職業も関係なくだれでも身につけるものだから選んだ、という。像はすべての人の分身でありうる。「芸術作品」と鑑賞者の境界線が消える感覚がある。




消える物語
20世紀になると、彫刻は「偉人」や「偉業」の記念碑から、純粋に造形の対象となり、意味や物語は棚上げされた。バルケンホールが独ハンブルク造形芸術大学で学んだ1970年代後半~80年代初頭は、ミニマリズムなど抽象的、概念的な表現が関心を集めていた時代だ。「当時、前衛芸術の先生は、色なら色、空間なら空間に絞って制作することを求めたが、自分には合わなかった。社会的な意味の表現だけでも、造形的探求だけでもない、その中間地帯にいたいと考えた」と振り返る。その先にバルケンホールが取り上げることになったのが、動物やふつうの人々だったようである。
中空を見つめるような人物像は、何かを語り始めるように見えて、その物語は空気のように姿を現さない。バルケンホール自身、「人物像を、ストーリーテラー、つまり物語の説明役にはしたくないから、語りきることはしない」という。
作品を見た人は、表情の寡黙さと樹皮の手触り感覚の中に、未知への不安を感じるかもしれず、大地とつながっている安らぎを感じるかもしれない。このしなやかな包容力が、作品と向かい合うひとりひとりの中に、自分との対話を生んでいるのだろう。

木の作家
バルケンホールはブロンズも作るが、主力は木彫である。 理由を訊ねた。
「石は彫るのに時間がかかりすぎ、粘土は逆にすぐに出来てしまう。木がちょうどいい」という。削って、手を止めて、見て、考えて、また作業を続ける。そのペースが自分には合っている、というのだ。速足でも、牛歩でもなく、自然体で歩く感覚、と言い換えられるだろうか。作品を見たときに感じる、熱情とも冷めた緊張感とも異なる、常温感覚の落ち着きは、この制作のスピード感から来るのかもしれない。
続けて「石は、何か永遠的なものを感じさせる。古く、深いものがある。ブロンズには高級感がある」と言い、「木は紙と同じで、自然にあり、特別高貴な感じもない」と続けた。特別なものに、特別な感情、メッセージを込めるのではなく、ふつうの素材を選び、ふつうの人を彫りだし、しかも語り切らない。作品は、淡々と開かれた存在としてあり、見る者と作品との対話が、バルケンホールの語り始めた物語の続きとなる。
スマホはもちろん使っているが、「今でもタイプライターを使っている」という。制作に使うハンマーは10年来の相棒で、車もマニュアル車だ。デジタル文化と関わりつつも、同化はせず、手の感触を確認しながら一歩一歩進むのが、この作家の性(さが)なのだろう。

木を彫り、タイプライターを打つ。思考と行動が少しずつ時差を伴い、熟成を生む。そのテンポは、作品に微妙なズレによって生まれるニュアンス、つまり「タメ」を与えているように見える。この「タメ」が見る人の想像力を引き出し、それぞれの世界を描かせるのかもしれない。
小山さんがバルケンホールの作品と出会ったのは、1993年。独フランクフルト現代美術館でペンギンの群れの作品「57 Penguins」を見て、物言わぬペンギン同士のさまざまな関係性、物語を想像して、引き込まれた。

その後、米ワシントンDCのハーシュホーン美術館で開かれた個展(1995年)などを見て、関心は確たるものとなり、今回を含めて3度、バルケンホールの展覧会を手掛けることになった。
バルケンホールの展覧会は、2020年以降も、ドイツ、デンマーク、そしてハイジの国、スイスなどで予定されている。
バルケンホールの「ふつう」の営みは、これからも見る人を自分との対話に誘い、それぞれの物語を紡がせ続けるのだろう。
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展覧会プレイバック
スミソニアン・ハーシュホーン美術館所蔵
西洋近代彫刻の巨匠展
1995年7月1日~8月6日 滋賀県立近代美術館
1995年8月9日~27日 東京・小田急美術館
1995年9月23日~11月5日 いわき市美術館
1995年11月10日~12月10日 高松市美術館
米ワシントンDCのハーシュホーン美術館・彫刻庭園が所蔵するアーキペンコ、ジャコメッティ、ムーアら8人の作品70点により、具象と抽象の間でさまざまな展開をみせた近代彫刻の人体表現を振り返った企画。ジャコメッティのエキスパートで同美術館のキュレーターだったヴァレリー・フレッチャーさんと組み立てた展覧会でした。当時私が拠点としていたニューヨークから、何度となくワシントンへ打合せに出かけたのですが、ある時、フレッチャーさんのオフィスで打ち合わせをしていたところに、同美術館チーフキュレーターだったニール・ベネズラさん(現サンフランシスコ近代美術館館長)が顔を出しました。「今、この作家の展覧会の準備をしているんだ」と見せてくれたのが、「バルケンホール」のポートフォリオ。「ジャコメッティにおける実存主義!?」などと硬くなりかけていた私の脳と目が、知らず知らず溶けてしまうような柔らかい開放感があり、一方、「ただ和ませるだけではないこの魅力はどこから来るのだろう」という問いが残りました。
今回、ご本人の話をうかがい、わずかとはいえ、自分なりの答えに近づけた気がしています。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)