フランスの松方コレクション保管に尽力した日本人【パリ発!展覧会プロデューサー・今津京子のアート・サイド・ストーリー】第6回 

松方コレクション展(国立西洋美術館)の展示風景(撮影=清水敏明)

「オルセー美術館展」(2014年)、「モネ展」(2015年)、「プラド美術館展」(2018年)などこれまでに日本国内で数十の大型展覧会を手がけたパリ在住の展覧会プロデューサー、今津京子氏によるコラムです。

 

A one hundred year of Odyssey – 100年の流転。東京・上野の国立西洋美術館で開催中の松方コレクション展の英サブタイトルだ。この展覧会では、美術館開館60周年を記念して、美術館誕生のきっかけとなった松方コレクションの歴史とその内容を改めて紹介している。オデュッセイアというギリシャの叙事詩に由来する副題の言葉は、コレクションだけでなく、コレクションに関わった登場人物それぞれのドラマチックな人生をも表すにふさわしい。

 

 

昨年春のある日、国立西洋美術館長の馬渕明子氏から連絡をいただいた。 松方幸次郎の秘書を務めた日置釭三郎という人物が、第2次大戦中、松方がフランスに残した300点を超える作品を疎開させ保管していたといい、馬渕館長は日置の家と、その家があるアボンダンという町を見に行かれるという。20183月、私は馬渕館長、主任研究員で展覧会の監修者である陳岡めぐみ氏、情報資料室長の川口雅子氏に同行した。

 

アボンダンはパリの西約80キロに位置する。2015年の時点で人口は2,300人、目抜き通りが一筋という小さな村だ。周囲は平坦で見渡すかぎり農地が続く。

 

アボンダンの風景

 

 

日置釭三郎は元軍人で航空技師としてヨーロッパに渡ったが、フランス人の女性と結婚し、やがてアボンダンに家を買った。角地にあるその家は、屋根が高い納屋のような母屋と細長い平屋の建物が繋がっていて、壁や屋根も少し曲がっているような簡素なものだ。日置の後、持主が何回か代わっていて、日置が住んでいた当時の家の配置がどのようなものであったか、そのどこに箱に入れた作品を保管していたのかはわからない。屋根裏にしても台所にしても、この小さな農家に高価な作品群が隠されていたとは驚くべきことだし、作品が地上階に置かれていたとするならば、湿気で傷んだとしても不思議はない環境だった。

 

日置は最初の妻を亡くし、この頃ジェルメーヌ・ルースレという女性と一緒に住んでいた。結婚はしていなかったが、彼女は料理が得意で、落胆していた日置を元気づけたとされる。隣人によれば日置は彼女を「家政婦さん」と呼んでいたという。大戦後、日置、ジェルメーヌそれぞれ別な人と結婚する。後にジェルメーヌに会った人の証言によると、連合軍のノルマンディー上陸直後、追われたドイツの退却部隊がアボンダン近辺に残り、射撃の音、逃亡する慌ただしい軍靴の音などで、今にもドイツ兵に踏み込まれるのではないかと夜昼なく警戒して大変だったと彼女は語っていたそうだ(1)。日本人にとっては敵国となるフランスに残った日置が、この片田舎で息をひそめるように生活していたであろうことは想像に難くない。

 

 

ところで、今回の展覧会で話題となっている、モネの作品「睡蓮、柳の反映」も、このアボンダンの家に保管されていた。2年前にルーヴル美術館の所蔵庫で巻かれたまま発見されたこの睡蓮の作品は、 オランジュリー美術館の設置に関連づけられる大装飾画というカテゴリーのものだ。モネは大装飾画を売ることを想定していなかったが、松方の直接の訪問で購入が決定された。モネの生存中にジヴェルニーのアトリエから搬出された唯一の大装飾画であり、唯一、署名された作品であるという(2)。画布は約50パーセントしか残っていなくても署名が残っているのはまさに貴重で奇跡的なことだ。

 

クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》 1916年 油彩、カンヴァス 国立西洋美術館(松方幸次郎氏御遺族より寄贈)

 

 

さて話を日置に戻そう。戦後、作品群がフランス政府に接収されてしまってから彼の生活は困窮したようだ。日置を知る人は彼を「変わった人」と表現しているが、贅沢もせずに、長年コレクション保管のために尽くし、何とか日本側に留めたいと心を砕いたことは誰もが認めるところだし、日置自身もそう主張していた。松方コレクションのフランス政府からの返還にともない、給付金が日本政府から日置に支払われることになった。

 

日置はパリの病院で19541228日に亡くなった。彼の墓の所在そして家族の消息など全く不明であったが、調査の結果、日置はパリ市営パンタンの墓地に埋葬されたことがわかった。パリ市の外れにあるこの大きな墓地は、大木が生い茂り、鳥のさえずりだけが響く、のどかで静かな墓地だった。30年供養であった彼の墓は、墓地の最も奥まった区画にあった。残念ながら1990年に整理され、彼の墓石は跡形も残っていなかったけれど、私は思わずその前で手を合わせた。貴方のご尽力のおかげで、国立西洋美術館に多くの見学者が訪れて松方コレクションを享受していますよと伝えずにはいられなかった。

 

パンタンの墓地 日置が埋葬された区画

 

 (展覧会プロデューサー 今津京子)

 


 

(1) 垂木祐三『国立西洋美術館設置の状況』(国立西洋美術館協力会、昭和63年)「第1章 在仏松方コレクション管理人関係者の話」「第1節 井川克一氏、大崎正二氏に聞く」(1987年3月3日)

 

(2) Marianne Mathieu, The Grande Décorations from Claude to Michel Monet (1914-1966), « Monet : The Late Years »の展覧会カタログ、 Kimbell Art Museum 。1922年1月週刊誌American Art Newsが松方にインタヴューし、その記事のタイトルは「モネがあるカンバス作品を85000ドルで売る」。そのカンバス作品というのがこの「睡蓮、柳の反映」であり、モネの作品として最高値であったとこの論文に書かれている。

 

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