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「英雄」のレガシー 【イチローズ・アート・バー】第20回 「ギルガメシュと古代オリエントの英雄たち」展

東京・ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞事業局・陶山(すやま)伊知郎の美術を巡るコラムです。

ギルガメシュと古代オリエントの英雄たち

2019年713日(土)〜923日(月・祝)

古代オリエント博物館 (東京・東池袋 池袋サンシャインシティ文化会館ビル7階)

会場入り口の写真パネル「ギルガメシュ像浮彫」(左)と「エンキドゥ像浮彫」(右)  いずれも原品はルーヴル美術館の所蔵品(前8世紀末)

 

最古の文学

古代メソポタミア(現在のイラクの一部)の英雄を描いた「ギルガメシュ叙事詩」は「人類最古の文学」とされる。ギルガメシュは、紀元前2600年頃に古代メソポタミアの都市国家ウルクを治めた王として知られ、さまざまな物語が語り継がれてきた。それを元に、紀元前1800年ころ編まれたのが、ギルガメシュ叙事詩。19世紀以来、粘土板文書が断続的にイラクの遺跡から発掘された。その断片が継ぎ合わされ、読み解かれたことで、物語の輪郭が明らかになった。

 

「粘土板文書断片」 アナトリア ヒッタイト帝国 前15~13世紀 藤沢市教育委員会  日本で確認されている唯一の「ギルガメシュ叙事詩」の断片。

 

物語のあらすじは、次のようなものだ。

神々は、ウルクの王ギルガメシュの暴君ぶりを聞き、ギルガメシュを懲らしめるために野人エンギドゥを差し向けた。しかし神の意に反して二人は闘いを通して親友、同志となってしまった。二人が力を合わせて活躍すると、神々はエンギドゥの命を奪ってしまう。命さえ惜しまない勇者だったギルガメシュだったが、友を喪うと、死への恐れを抱くようになり、永遠の生命をさがす旅に出る。賢人をさがしあて、秘草を手に入れるが、わずかな隙をつかれて蛇にとられてしまった。叙事詩は最後、ギルガメシュがウルクの街を見事に建設したことをたたえて締めくくられる。

 

「英雄と有翼雄牛形容器」 イラン 前7~6世紀 MIHO MUSEUM  ギルガメシュ以来の「猛獣を倒す英雄」をモチーフにした儀礼用酒器

 

単純化や飛躍の多い筋立てではあるが、友情、生と死、信仰などを交えたこの神話世界のドラマは、人間の根源的な感情に訴え、生き方を考えさせ、人々の憧れや共感を呼び、言語を超え、時代や場所、登場人物を変えながら、書き継がれて、新たな叙事詩、物語を生んだようだ。

英雄像と最古の都市の実像に迫る

「ギルガメシュと古代オリエントの英雄たち」展は、考古資料、美術品、再現模型などにより、ギルガメシュをはじめとする古代の英雄像に迫る企画だ。ギルガメシュが拠点とした「世界最古」かつ「古代世界最大」の都市ウルクの実像も紹介されるほか、現代の画家がギルガメシュ叙事詩をモチーフに描いた作品も展示されている。

「モザイク・コーン神殿 1/87模型」 南メソポタミア ウルク期 紀元前3400年頃  ウルクの街の再現模型。壁にモザイク模様が施されている

 

「壁モザイク用釘」 南メソポタミア ウルク期 紀元前3200年頃 古代オリエント博物館  色違いの釘頭をもつ円錐形の釘で、これを壁面に突き刺して模様を描き出した

 

壁モザイク用釘により装飾されたウルクの神殿の壁 (提供 メソポタミア考古学教育研究所・小泉龍人)

 

「ウルクの都市模型 1/4000」南メソポタミア、初期王朝時代、紀元前2500年頃

 

 

「ラピスラズリ版 ギルガメシュ王の物語」(画・司修、訳・月本昭男)の挿絵原画の一部

 

若者の熱いまなざし

ところでギルガメシュは、現代の日本では歴史・文学上の人物としてよりも、ゲームの登場人物(ゲームでは「ギルガメッシュ」)として知られているようだ。今年に入ってからも「ギルガメッシュ」が登場する舞台公演や展覧会が開かれ、秋にはテレビアニメも始まるという。

それを反映してか、確かに会場には、若者の姿が多い。憧れのヒーローの世界に迫ろうとするかのように、熱心に解説を読む姿があちこちに見られる。

 

「円筒印章」(左ケース中央)、「楔形文字銘入り斧」(左ケース手前)や「楔形文字円筒碑文」(右ケース手前)などに見入る来場者

 

会場では、ライオンのキャラクターによる小さな解説パネルが各所に置かれている。獰猛なライオンもギルガメシュの前では猫のようにおとなしかった、という想定で、猫のような「ニャー語」で語っている。

 

 

朗読CDに反響

ゲームやアニメで「ギルガメッシュ」の声優を務める関智一さんの朗読によるCD「朗読 ギルガメシュ叙事詩ー深淵を覗き見たひと」が、展覧会に合わせて同博物館で発売され、静かな反響を呼んでいる。長大な叙事詩の抜粋を、約70分にわたって、時には重々しく、時にはドラマチックに読み上げている。アプリ版はアプリ「Pokke」から。

 

ギルガメシュ叙事詩の衝撃

「ギルガメシュ叙事詩」の粘土板は19世紀半ばにイラク・ニネヴェの古代図書館跡から大量に見つかった粘土板(断片も入れると2万枚以上)の中から発見された。

解読に取り組んだイギリスの研究者G・スミスは、目を疑うような箇所に行き当たった。聞き覚えがあった。というよりも幼い時からなじんでいた聖書の物語をほうふつとさせる場面があったのだ。

そこには、神々が増えすぎた人間を懲らしめるために地上に洪水を起こし、ある賢人だけが予告を受けて箱舟を造り、動物とともに難を逃れた、とある。旧約聖書「創世記」の洪水物語の「ノアの箱舟」のくだりと筋立てはほとんど同じではないか。洪水の後、箱舟から何度か鳥を放って、ついに帰ってこなくなったのを見て、洪水が終わったことを知る、というくだりは細部まで似ている。

メソポタミアの洪水伝説は紀元前20世紀頃から流布していたといい、ギルガメシュ叙事詩に出てくる洪水伝説はその早い作例で、イスラエルでは旧約聖書で「ノアの洪水」として語られた。

1872年にスミスが研究成果を発表すると、巷間に衝撃が走ったという。聖書の物語のいわば〝ご先祖さま”が現れてしまったのだ。1858年に発表されたダーウィンの進化論に続き、キリスト教界には「驚天動地」ともいえる発見だった。その後、ニネヴェや他の遺跡で、ギルガメシュ叙事詩の断片が次々に見つかった。

 

伝播する強者のイメージ

ギルガメシュ叙事詩にも出てくる、英雄がライオンや牛などの野獣を倒すというテーマは、人々に好まれ、古代メソポタミアの円筒印章の図柄としても多く登場した。

ライオンはさらに、バビロン、ヒッタイト、アッシリア等、後の古代オリエントの王朝で守護神としてレリーフなどに刻まれたが、ギリシャ神話では英雄ヘラクレスの物語の中で、再び「敵役」として登場している。ライオンを倒し、その皮をかぶるヘラクレスの姿は、壺絵や彫刻の主題として好まれた。

 

「黒像式両手壺」(アンフォラ) ギリシア 前540年頃 個人蔵  剣も矢も通用しないネメアのライオンを素手でつかまえ、首を絞めつけるヘラクレス(中央)。右は見守る守護女神アテナ

 

「ヘラクレス像」ギリシア 前4~3世紀 MIHO MUSEUM  ヘラクレスはライオンの頭部の皮を被っている

 

英雄の図像も創造と拡散を繰り返す。英雄は英雄を模倣するものらしく、紀元前4世紀に現れたアレキサンダー大王は、自らをヘラクレスになぞらえ、ライオンの皮をかぶった大王の像の銀貨を作らせたりした。

「アレクサンドロス大王型銀貨」マケドニア ヘレニズム時代 前4世紀末 古代オリエント博物館 大王はヘラクレスの末裔を名乗り、自らヘラクレスのようにライオンの頭を被った姿で銀貨をつくらせた

東へ

英雄とライオンの図像の「旅」はさらに続き、アジアへも拡散する。

アレキサンダー大王は故郷マケドニアから東に向かって征服地を広げ、一時はインドにまで達する。いわゆる東方遠征である。その後、バグダッドに拠点を置き、そこで32歳の生涯を終えるが、西アジアに作られた植民都市には、古代ギリシャの文化が持ち込まれた。紀元23世紀頃には、現パキスタンのガンダーラ地方でヘラクレス像と仏像が出会い、融合が起こる。

「ギルガメシュと古代オリエントの英雄たち展」はアレクサンドロス大王の時代までで終わるが、続く常設展で、ヘラクレス像を含むガンダーラの浮彫が展示されている。出家した釈迦が悟りを得るために苦行者の草庵を訪ね、教えを乞う場面だが、右端にヘラクレスが姿を見せている。ギリシャ・ローマ風の顔立ち、筋肉質の肉体、濃いひげという古代ギリシャの英雄のいでたちだが、右手に、こん棒の代わりに金剛杵(こんごうしょ)と呼ばれるインド由来の仏教上の武器を持ち、釈迦を案内する執金剛神(しゅうこんごうじん)として登場している。古代ギリシャ美術と仏教の出会いを示す像だ。

 

仏伝図浮彫(苦行者訪問) ガンダーラ 1-3世紀 古代オリエント博物館 AOM226  出家した釈迦が悟りを得るために苦行者の草庵を訪ね、教えを請う場面。右側がヘラクレス=執金剛神

 

ヘラクレス像は、さらにシルクロードを通じてアジアへ伝わり、金剛力士の祖となったといわれる。金剛力士像は、中国西域で作られ、黄河の支流に臨む洛陽の郊外にある龍門石窟にも刻まれ、山西省大同の雲崗石窟にも残っている。朝鮮半島でも、慶州の石窟には8世紀頃の金剛力士像があるという。

日本

日本では、この系統の古い像として、711年の作といわれる奈良・法隆寺中門の金剛力士像が知られる。ヘラクレス像は、2-3世紀にガンダーラ周辺で仏教と出会ってこん棒を金剛杵に持ち替え、守護神となり、日本までやってきていたのだ。

一方、ライオンも獅子と名を変え、次第に形を変えながら、はるばる日本にやってきた。奈良時代の仏画にその姿が認められ、その後に生まれた狛犬も唐獅子もライオンを祖としている。生きたライオンが日本に来たのは、幕末ないし明治時代である。日本の獅子像は古いものほどライオンらしい姿をしているといわれるのも無理はない。

阿修羅をはじめとする、仏法を守護する異教の諸神「八部衆」の中で、「乾闥婆(けんだつば)」は、興福寺の像も法隆寺五重塔の像も、獅子冠を被った姿で彫られている。ライオンの皮をかぶるヘラクレスの流れを汲んでいるようにも見える。

前々回のこのコラム「『仏都会津』への道」で取り上げた興福寺の四天王像「多聞天」(福島県立博物館「興福寺と会津」展で公開)も、獣面の兜をかぶっていた=写真=。

また、武将像には、腕の付け根部分に獅子の顔を持つ飾り、獅噛(しかみ)をもつものも少なくない。

古代の芸術には無数の継承者がおり、さまざまな改変や創造が加えられ、後世にそのレガシー(遺産)を残してきた。日本の仏像にも、古代メソポタミアに由来するギルガメシュの英雄像の名残りが、かすかとはいえ潜んでいるかもしれない。

「ギルガメシュと古代オリエントの英雄たち」展をギルガメシュと我々との遥かな縁を夢想しながら見るのも一興だろう。

 

展覧会プレイバック

アレクサンドロス大王と東西文明の交流展

2003年85日~105日 東京国立博物館

2003年1018日~1221日 兵庫県立美術館

 

アレクサンドロス大王の東征を起点にしたヘレニズム文化の伝播を、ギリシャ国内の博物館やルーヴル美術館、大英博物館などの美術品約170点で追った壮大な企画でした。ギリシャ神話の北風の神ボアレスが、中央アジアに伝えられ、その風をはらんだマント姿が、中国を経て日本にも達し、俵屋宗達らによる日本の風神となる展開はとりわけ印象的でした。

 

「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展」の図録表紙

(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

 

 

 

 

 

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