山口啓介さんのメタモルフォーゼ(変容) (【きよみのつぶやき】第20回(「山口啓介 後ろむきに前に歩く」】

ベテランアート記者・高野清見が、美術にまつわることをさまざまな切り口でつぶやくコラムです。

「山口啓介 後ろむきに前に歩く」  広島市現代美術館(広島市)

会期:2019年6月8日(土)~ 9月4日(水)

会場入り口のボード。東日本大震災後から書き続けている「震災後ノート」の拡大写真が使われている

「夏のヒロシマ」で見た個展

私の実家がある広島市では、原爆が投下された「8月6日」を中心に数多くの人が原爆ドームや原爆資料館(広島平和記念資料館)を訪れる。1年の内で特別なこの季節、広島市現代美術館でも戦争や原爆と関わりのあるテーマの展覧会や、同市が美術分野で人類の平和に貢献した作家を顕彰する「ヒロシマ賞」の受賞記念展が開かれてきた。

文化部の美術担当だった時は、帰省した折にヒロシマ賞受賞記念「オノ・ヨーコ展」(2011年)、同「シリン・ネシャット展」(2005年)などを取材し、文化面に記事を書いてきた。昨年はこのコラムの第4回「広島で『原爆の図』を見る」で、9月に入ってから開かれた「丸木位里・俊 ―《原爆の図》をよむ」展を紹介している。

今年の夏に開かれたのは、私が個人的に待ちかねていた山口啓介さんの個展だ。しかし7月中旬に見た展覧会の余韻に浸っている間に、会期が残すところわずかになってしまった。今からでは会場に足を運べない方のために、展示内容をくわしくご紹介したい。

山口さんは1962年生まれ。1980年代後半に発表した大型の銅版画で一躍注目された。私は鮮烈なデビューをリアルタイムで見ていないが、今でも山口さんと言えば大型版画、そして大型版画と言えば山口さんの名前が上がるほどだから、当時の美術関係者に与えたインパクトが想像できる。

山口さん本人も「僕は90年(1990年)に個展を開いてこの世界にデビューして、たまたまなんですけれど、それで食べられるようになった。今から考えれば90年はバブルの時代ですね」と、今年1月21日に東京・神保町の文房堂(ぶんぽうどう)ギャラリーで開かれた版画のグループ展「版画のコア core 2」のシンポジウムで語ったほどだ。

山口啓介さんが20代に発表し、話題を集めた銅版画の数々。左から「王の墓」(1989年)、「水路─王の方舟」(1990年)=宮崎県立美術館。右の「炭素の船」(1990年 福岡県立美術館)のサイズは140×312cm

過去と現在を結ぶ「方舟」

今回の個展は、新作の大型絵画3点を含む約120点の作品で構成されている。
会場で最初に迎えられたのは、1980年代後半~90年代に制作された銅版画。「王の墓」「方舟」などの謎めいたタイトルと、ドローイングのようにスピード感のある自在な線、黒いインクの質感──。いつ見ても魅力的な作品だと思う。

方舟(はこぶね)の表現には、1970年代に流行した「ノストラダムスの大予言」などの終末イメージから受けた影響もあるらしい。山口さんより4つ歳下の私も当時の空気を記憶しており、どこへ向かうとも知れない「方舟」に仮託した思いはよく分かる気がする。

見覚えのある大型版画の中に、これまで目にしたことのなかった「Calder Hall Ship – ENOLA GAY」という横幅4m近い作品があった。1995年に広島市現代美術館で開かれた被爆50周年記念展「ヒロシマ以後─現代美術からのメッセージ」に出品されたもので、作品タイトルにはイギリスで1956年に運転を開始した世界初の商業炉「コールダーホール原発」と、広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」の名前が組み合わされている。

原発は冷却塔を煙突に見立てた船影で表現され、今にも巨大な渦に吸い込まれそうだ。デビュー以来の「方舟」のイメージを反復し、過去の歴史である広島の原爆と、今日も人類の課題であり続けている原子力の平和利用、核廃棄物処理を結びつけた作品として印象に残った。

右:「Calder Hall Ship – ENOLA GAY」  1994年   240×390cm  エッチング・紙   西宮市大谷記念美術館
左:「象の檻(赤)」  1995年  210×271cm   膠(にかわ)、樹脂、顔料・紙 作家蔵(以下、所蔵者の記載がないものは作家本人が所蔵)

 

原発を船に見立てたイメージは立体作品としても制作された
「Calder Hall Ship Project」 1994年 銅、水、顔料、ガラスシリンダー、チューブ、アクリル、鉄

花弁、種子、器官 ── 変容する主題

山口さんは武蔵野美術大学で油彩画を学び、1987年に卒業。同大学の版画研究室に2年間の期限付きで勤めることになって初めて銅版画を学んだという。「版画を手段にして絵を描いていたにすぎません」と展覧会図録のインタビューで語っている通り、デビュー後は油彩画や立体作品も発表し、銅版画から遠ざかっていた時期もあった。

私が山口さんを知ったのは、先輩記者が2001年に文化面で始まった「古典に学ぶ21世紀」という寄稿記事の挿絵を山口さんに依頼し、私が担当となった時。当時の山口さんはゲーテの思想に触発され、花や種子、人体などをモチーフにした作品を制作していた。約3年にわたって読売新聞に掲載された作品も、「ヒト花/原植物の花=葉」「眼球と球根」「原植物の花弁」といったタイトルからも分かるように、以前の大型版画とかなり作風が異なっていた。

左:「花の心臓/空から降る木、ボッティチェリへ」
右:「花の心臓/蘭化」 2点とも2002年 顔料、樹脂・カンヴァス

 

2002年、山口さんは公立美術館における最初の個展を西宮市大谷記念美術館(兵庫県)で開き、その後も各地の公立美術館から開催を依頼されるようになる。この頃から豊かな色彩が目立つようになった。絵画だけでなく、カセットテープの透明ケースに植物の葉や花を封入し、積み上げた立体作品「カセットプラント」もカラフルな標本のようだ。

さまざまな植物をケースに封じ込めた「カセットプラント」
「光の樹/粒子と稜線」 2005年 植物、樹脂、カセットケース、木、アクリル
右の絵画は「天秤座の翼 山水の構造4」 2015年 アクリル、顔料・ガンヴァス
「光の樹/粒子と稜線」 (部分)

メタモルフォーゼ(変容)

会場でデビュー以来の作品を追っていくと、山口さんの表現は時とともに変化しながらも、決して突然変異を起こしていたわけではないことに気づかされる。頭に浮かんだのは「メタモルフォーゼ」(変容、変態)という言葉だ。花や植物などのモチーフが繰り返し現れ、より重層化していった過程が見えてくる。

2008年に母校の武蔵野美術大学にある学内ギャラリー「gFAL」で開かれた個展で、女性の裸体を描いた「女性水浴図」という絵画4点を見たことがある。当時はそれまでにない官能的な表現に驚くだけだったが、今回の個展に展示されたその1点を改めて眺めると、女性と植物細胞を組み合わせた描写の中に、原初の生命や植物への関心が通底していることが確かめられる。

左:「雛菊の子宮」 2007年 顔料、樹脂、アクリル・カンヴァス
中央:「女性水浴図1/浮遊、房水プール」 2008年 ミクストメディア(石膏下地キャンバス)

震災以降 ─「後ろむきに前に歩く」

2011年の東日本大震災を受け、山口さんの作品は大きく変貌する。デビュー当時から描いてきた「方舟」や「原発」のモチーフが、巨大な津波に流される家屋や原発事故によっていわば現前化してしまったのだから、さぞショックだったことだろう。

震災発生の3日後から現在に至るまで、山口さんは「震災後ノート」と名づけた日記を書き続けているという。東京電力福島第一原発の事故や原子力発電に関する新聞記事を中心に書き写し、それに原発施設などを描いた絵を添える。

最後の展示室では、絵日記のような「震災後ノート」が展示ケースの中に広げられ、そこに描かれた絵と関連づけることのできるドローイングや絵画が周囲の壁に展示されている。たとえば、原子炉の構造図に山口さんが今まで描いてきた心臓や子宮のイメージが重ねられ、さらに自然の風景(山水)とも一体化した「炉心臓/翼のゆくえ 山水の構造1」(2015年)、「炉の睡眠Ⅰ 山水の構造」(2017年)などの絵画が生まれたことがうかがえる。

「震災後ノート」(手前)に描かれた炉心部が、それまでの作品に現れた心臓や子宮のイメージと重なる。上は「ミミの心臓」(2007年 顔料、樹脂、アクリル・カンヴァス)

「異形の顔」の出現

しかし、まだ何と受け止めていいのか分からない作品もある。2017年頃から繰り返し描かれるようになった「共存する2つの顔、世界」と題する絵画には、合体した二つの顔に三つの目が描かれ、聞き耳を立てるように片手が添えられている。世の中で起きている事象に目をこらし、耳を澄ませている姿だろうか?

山口さんは展覧会図録のインタビューで、この作品について「いまは世界が分裂しようとしていますが、そうではなくて交わっている、そういう意識も自分の中にあるんだと思います」と語っている。異形と見える顔には、他者との共生への願いも託されているのだろう。

半円形の展示室に並んだ「共存する2つの顔、世界」などの大作

 

この顔から思い出されるのは、2005年に発表した「DU Child」という木版画だ。笑っているようにも、不安におびえているようにも見える子供の顔は、イラク戦争などで使われた劣化ウラン弾(DU)が子供に与える影響の有無について取りざたされていた時期に制作された。人体の一部を描いても、顔を描くことはなかった山口さんにとって例外的な作品であり、発表当時も話題になった作品だ。震災以降、異形の姿として再び顔が描かれるようになったところに、作者の差し迫った思いが感じられる。

左:「DU Child」 2005年 木版拓刷り、モノタイプ・杉原紙
右:「原-聞きとり 海を渡る星図1」 2014-2015年 アクリル・紙

美術家の「覚悟」

展覧会のタイトルにある「後ろむきに前に歩く」という不思議な言葉に、私は社会の出来事や天変地異を前にした一人の美術家の覚悟のようなものを感じる。

美術家は、政治家でも社会運動家でもない。たとえ人から半歩遅れになろうとも、自分なりの小さな気づきや、胸に引っかかる事柄を置き去りにせず、やがて表現という形で世の中に提示していくこと。それこそが私たちのような凡百の人間の手に届かない、表現者だけが有する役割であり、特権だと思うからだ。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

展覧会の公式図録『山口啓介 後ろむきに前に歩く』(発行:BlueSheep) ※美術館で通信販売も行っている

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