詩人・平田俊子 ×「塩田千春展」 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

 

【スペシャリスト 鑑賞の流儀】は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

今回は詩人の平田俊子さんに、森美術館(東京・六本木)で開催中の「塩田千春展:魂がふるえる」を鑑賞していただきました。

平田俊子(ひらた・としこ)

詩人。詩集『戯れ言の自由』(紫式部文学賞)、『詩七日』(萩原朔太郎賞)。小説『二人乗り』(野間文芸新人賞)。エッセー集『低反発枕草子』『スバらしきバス』。2015年から読売新聞「こどもの詩」選者を務める。

塩田千春展:魂がふるえる

2019.6.20(木)~ 10.27(日) ※会期中無休 森美術館(東京・六本木ヒルズ)

記憶や不安、夢などを表現した作品で国際的な評価を得てきたベルリン在住の美術家、塩田千春(1972年、大阪生まれ)の日本における最大規模の個展が実現した。赤や黒の糸を張りめぐらせた空間にドレスやピアノ、イスなどを配した大型インスタレーション(空間展示)を中心に、1992年以降の絵画、パフォーマンス映像、彫刻、写真、ドローイング、舞台美術の仕事を紹介している。展示作品は113点(うち新作は18点)。塩田千春公式サイト

赤い毛糸が奔流する作品「不確かな旅」の中に立つ平田俊子さん。塩田千春さんが2016年に初めて発表し、今回の展覧会に合わせて改めて制作した

「舟」がイメージするもの

最初の大きな展示室で、「不確かな旅」という大型インスタレーションに迎えられました。鉄の枠で表現された六艘の舟(ボート)から赤い毛糸が立ち昇り、天井から四方の壁へと広がって、まるで命がほとばしるような強烈なエネルギーを発する作品です。
私たち一人一人の違いを表わすかのように、舟の形や大きさは一つ一つ違います。目的地に向かうためのオールはなく、命を燃やしながらただそこに存在しているようにも見えますね。
洋画家の三岸節子さんの油絵は赤の強さが印象的ですが、それに通じるものを塩田さんの赤に感じます。激しいけれどあたたかい赤です。

塩田千春さんは2015年の第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で日本館代表に選ばれ、古い木の舟から大量の鍵を赤い糸で吊るした作品を発表しました。舟はその時からよく使うようになったモチーフです。今年2月から東京・銀座にある商業施設「GINZA SIX」の吹き抜け空間に、舟をかたどったオブジェを白い糸で吊るした「6つの船」という作品を展示していて、私も見に行きました(2019年10月27日まで展示予定)。

今回の個展にあたって、塩田さんは記者会見で「舟には、孤独であるけれども宇宙の中にいるようなイメージがいつもある。でも、舟がひっくり返ってしまえば死んでしまう。そういった危機感を持ちながら前に進んでいる」と語ったそうです。

「不確かな旅」の舟は、行き先不明でも、今この瞬間はここに確かに存在している。それは私たちの生に似ている気がします。

展示室の柱に赤・黒の毛糸を巻きつけた「赤と黒」(2019年)

赤い糸、黒い糸

私が塩田さんを知ったのは、2001年に横浜市で開かれた第1回横浜トリエンナーレ(現・ヨコハマトリエンナーレ)でした。塩田さんが高さ13mもある泥で染まった巨大なドレスを5着吊るし、その上に水を注ぎ続ける作品「皮膚からの記憶」で一躍注目された時です。
塩田さんの作品には糸、それも赤い糸・黒い糸がよく使われます。糸を空間全体に張りめぐらせたり、糸でもの同士を結びつけたりしています。

展示室の壁に、糸について作者自身が記した言葉が書かれていました。

《 糸はもつれ、絡まり、切れ、解ける。
それは、まるで人間関係を表すように、私の心をいつも映し出す。》

なぜいつも赤と黒の糸が選ばれるのでしょうね? 塩田さんの作品で、黒は死であり、闇であり、赤はそれに抗ってかがやく生命のようです。あるいは、黒は過去、赤は現在を象徴しているのかもしれません。いろいろな意味をくみ取ることができそうですね。

森美術館が個展の開催を打診した2年前、塩田さんは12年前に見つかった癌が再発して手術を受け、抗がん剤治療の中で展示を準備してきたそうです。記者会見では「ここまで死と寄り添って構想を続けなければいけない個展は今までなかった。自分が死ぬということをすごく考えさせられた」と語ったそうです。

「外在化された身体」は塩田さんが自分の手足をかたどって制作した新作です。
癌の治療について、塩田さんは「ベルトコンベヤーに乗るようにシスティマティックに段取りされ、『私』というものが全く存在していない不条理を感じた。『どうして私は心というものを持っているのだろう。心を持っていなければ、不条理だと考えずにシステムに乗っていけるのに』とよく考えていた」と述べています。自分の体なのに、そうではないような感覚を強いられた体験が、この作品に表現されているのでしょう。

「外在化された身体」 2019年 牛革、ブロンズ

 

展示室の太い柱に赤と黒の糸を巻き付けた「赤と黒」という作品は、黒の上に赤がたくましく這い上がり、苦難に負けまいとする不屈の精神を感じます。「赤と黒」の隣には、「再生と消滅」という作品もあります。臓器を思わせる柔らかそうな物体が、硬質なガラスに包まれています。

「再生と消滅」(2019年)を見つめる平田さん

何かが起きる前、あるいは起きてしまった風景

次の大きな展示室にあるインスタレーション「静けさのなかで」は、塩田さんが子どもの頃に近所の家が火事になり、焼けたピアノを見た記憶が基になっています。

この作品を見るうちに、ジャズピアニストの山下洋輔さんが、消防服を着て燃えるピアノを弾くパフォーマンスを思い出しました。1973年にグラフィックデザイナーの粟津潔さんが作った映像作品「ピアノ炎上」の演奏で、2008年に能登半島の海岸でも再現しています。私は2008年の演奏を動画で見たのですが、バチバチと音を立ててピアノが燃え上がり、弦がどんどん焼き切れて、ついにはいくら鍵盤をたたいても音が出なくなりました。

戦争や火事の時など、ピアノは運び出せずに焼けてしまうことが多いでしょうね。ここに展示されているピアノも、もう音を出すことはないのでしょう。鳴らなくなったピアノは音のかわりに沈黙を奏でています。俳人の渡邊白泉(1913~69年)の「行春やピアノに似たる霊柩車」という句をふと思い出しました。

「静けさのなかで」。2002年に初めてドイツで発表した作品

 

「小さな記憶をつなげて」は塩田さんがベルリンのアトリエに集めたミニチュアの家具や玩具、小瓶などを並べた作品です。楽しくてずっと眺めていたくなります。たくさんの物があふれ、豊かで幸せな暮らしを思わせますが、どこかに連れ去られたように人間は一人もいません。持ち主が消え、愛用していた物だけが残ったのかもしれないと思った途端、寂しくなりました。

塩田さんは「不在のなかの存在」を表現する美術家だと言われます。空間を使ったインスタレーションの作品には、事件や事故で人がいなくなってしまった寂寥(せきりょう)、あるいはこれから何かが起きそうな不穏な空気を感じます。作品の背景には、塩田さんがベルリンで向き合ったヨーロッパの歴史もあるのでしょうね。先の作品「静けさのなかで」は、焼けたピアノと客席のイスが戦禍を思わせます。客席にいた人たちやピアニストも、ピアノとともに焼かれてしまったかのようです。

「小さな記憶をつなげて」(2019年)  ミニチュアのイスなどが赤い糸で結びつけられている
「小さな記憶をつなげて」のアップ

「集積」が生むエネルギー

展覧会場の中ほどに進むと、塩田さんが旧東ベルリンで集めたという窓を円筒状に積み上げた作品「内と外」があります。なぜこんなにたくさん積み上げなければならないの? と思わせるほど大量の窓が危うくバランスを保っています。今にも崩れ落ちそうでどきどきしますね。

窓は私たちを一応は守ってくれるし、外の様子を窺うこともできますが、外から覗かれ、監視されることもあります。味方にもなれば敵にもなるものなんですね。外側からも内側からも容易に割れ、割れたガラスは凶器になります。私たちはこんなに脆く、危険なものに囲まれて暮らしているんだなあとあらためて実感する作品です。

旧東ベルリンで集めた古い木製の窓を積み上げた作品「内と外」(2008/2019年)

 

私はベルリンに二度行ったことがあります。一度目は1989年にベルリンの壁が崩壊して間もない時期。二度目は2001年の「9.11」米同時テロの前日に着いたので、よく覚えています。ベルリンは演劇が盛んで、小さな劇場でやっている芝居やパントマイムなどが面白かった。今回の展覧会では、塩田さんが手がけた舞台美術の仕事も紹介していますね。

「集積-目的地を求めて」(2014/2019年)

 

「集積-目的地を求めて」という作品は、使い古された440個ものスーツケースが赤いロープで天井から吊るされ、モーターでゆらゆらと不安定に揺れています。戦時中、ナチス・ドイツによって収容所に送られるユダヤ人たちが手にしていたスーツケースを、どうしても連想してしまいます。ここにあるすべてのスーツケースに持ち主がいたはずなのに、みんなどこに行ったのでしょう。「目的地を求めて」いるのはスーツケースなのか、持ち主なのか。眺めているうちに、スーツケースが罪なく殺された人たちに見えてきました。「吊る」って恐ろしい行為ですね。
スーツケースは階段状に配置され、観客はその下の空間を歩くことができます。スーツケースが上がっていくにつれ、自分の体が小さくなっていくように錯覚します。ここにあるスーツケースはすべて天国に向かって昇っているのでしょうか。

スーツケースは一つ一つ違うものですが、離れて眺めると同じように見えます。窓を集めた作品「内と外」もそうでしたが、集積すると多数の中に埋没してしまう。私たちが思っている「かけがえのないたった一人の自分」も、「大勢の中の一人」に過ぎないように見えてきて、個人と全体との関係を意識させます。

天井に向かって上昇していくスーツケースの群れ

生をめぐる問いを突きつける

塩田さんの作品は、作者自身の体験と分かちがたいものがあります。
1990年代のパフォーマンスでは頭から泥をかぶったり、地面に掘った穴に体を埋めたり、自分を痛めつけるような行為が見られます。当時は自分を否定したい気持ちがいくらかあったのかもしれません。5歳の時に描いた「蝶のとまっているひまわり」という題の水彩画が展示されていますが、明るくてのびやかな絵です。その後、たくさんの葛藤があったのでしょうね。誰も5歳の時のままではいられません。

ありふれた言い方になってしまいますが、塩田さんの作品は個人の思いや存在を超えて、普遍的なものに達している気がします。日本から遠く離れたベルリンに長く住み、自分のペースで創作できることとも関係しているのでしょうね。
作品に使われている舟もトランクも移動のためのものですが、安住の地への移動のようには思えません。今日はここにいるけれど、明日はトランクを残していなくなるかもしれない。舟とともに海に沈むかもしれない。そんな不安が漂っています。「自分はいったいどこに向かっているのか?」と、生をめぐる問いを突きつけられるようです。

この美術展のタイトルは「魂がふるえる」ですが、会場を歩くうちにこちらの感情や足場が揺さぶられるのを感じました。

(聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

塩田千春さん=6月19日のプレス内覧会で

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