類いまれな芸術環境の日本【スペイン人の目、驚きの日本】第1回

カロリーナ・セカ「驚き」2017年 写真

スペインに生まれ、同国内のサラマンカ大学で美術史を専攻し、美術史研究者、芸術家として日本で活動するカロリーナ・セカさん。日本人が気づかない視点で、日本の美術、文学、建築などで感じたことを語るコラム「スペイン人の目、驚きの日本」をお届けします。お楽しみください。

 ◇

 驚きの日本

私は、スペイン中部のカスティーリャ ラ マンチャ州のトレド県タラベラ・デ・ラ・レイナで生まれました。トレドの最大の古代都市ですが、ラ・マンチャの女は、頑固な性格で有名です。

3歳の時に母は、毎日、車で私を幼稚園に送り迎えしてくれました。でも、幼稚園に行くよりもためになると、ピカソの友人がやっている大人の絵のアトリエにたびたび連れていかれて、そこで大人たちが絵を描いているのを何時間も見つめていました。その頃の夢は、オペラ歌手、ストリッパーでした。そして11歳になったときに、芸術家になろうと決心しました。芸術家になるには、現存する世界で最も古い3つの大学の1つ、サラマンカ大学で、勉強したいと思い、美術史と美術を専攻しました。博士課程のときに、日本のデジタルアートを研究するための奨学金を獲得して、横浜のフェリス女学院大学に留学しました。

日本に初めて来たとき、日本の人たちが私を見て、いつもニコニコしていたのには驚きました。その微笑がどういう意味なのかまったく理解できず、とても戸惑ったのを覚えています。あまりに日本人の考え方がミステリアスだったので、清少納言、川端康成、安部公房など日本文学を読み漁りました。それで、日本人の心性が、少し理解できるようになったかも知れません。

横浜から帰国した後、スペイン政府から2つの奨学金を獲得して、モロッコ・テトゥアンとイタリア・サルディニアに芸術家派遣されました。その後、再び東京に戻り、在日スペイン大使館やインスティトゥト・セルバンテス東京で、個展を開きました。日本に魅せられ、現在は東京に移住して、作品制作、芸術家たちと美術史の研究や講演活動を行っています。

 

スペイン芸術の黄金期

私の故郷、スペインでは、16世紀後半から17世紀半ばにかけて美術の黄金時代を迎えました。『ドン・キホーテ』を書いたセルバンテス(Miguel de Cervantes、15471616)と、『ラス・メニーナス』を描いたベラスケス(Diego Velázquez15991660)、さらにムリーリョ(Murillo161882)、リベラ(Ribera15911652)など、たくさんの芸術家がいました。

それから何百年も経った、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ガウディ、ピカソ、ロルカ、ミロ、ダリ、ブニュエルなど世界的に名の知られたクリエイターが生まれました。

このうちダリとブニュエルは、ピカソ、ミロら、さまざまなバックグラウンドを持つ多くの芸術家と共に、パリで同じ時間を過ごしていました。ご存じの通り、多くの著名作品を世に送り出しました。

 

女性がけん引した日本芸術

日本はどうでしょう。私は、ここ日本のアトリエで、この文章を書いていますが、この国の平安時代は、特に文化的に輝かしい「黄金時代」として、世界的に知られています。しかも、この「黄金時代」に溢れる才能を発揮したのは、著名な女性芸術家たちで、他の国と異なる際立った独自性が認められています。

スペインのサラマンカ大学の美術史の学生だった私は、日本文化研究者が授業で、「セルバンテスが『ドン・キホーテ』を書いた、その六百年以上も前に、日本では、女性作家の紫式部によって『源氏物語』が書かれた」と語ったのを覚えています。私の顔があまりの驚きと不信を示していたのをみてとった彼は、念を押すようにその言葉を繰り返していました。授業が終わると、すぐに私は、そんな昔に日本に強力なすごい創作者がいたのか、本当かどうかを確かめるためにいろいろな文献を読み漁りました。

それは事実でした。

 

日本のアーティストたちとの出会い

そして、私は数年前に日本に来た時も驚きの体験をしました。その時の出来事をお話します。

ロンドンで飛行機を乗り継いで、成田の東京国際空港に到着しました。空港で、荷物がベルトコンベアから出てくるのを待っているとき、私の目の前に小柄な女性がやってきました、草間彌生でした。彼女は、私が作品を入れた大きな黒いポートフォリオを持っていることに気づきました。彼女は、私の目を見ています。そのとき彼女の眼差しは、「きみは、アーティストの卵でしょ!?」と仲間のように見てくれました。

わずか数秒だったかも知れませんが、私にとって本当に幸運な時間でした。

同じ週に私の作品の展覧会の打合せのために、その黒いポートフォリオを持って、道を急いでおりました。目の前にいる人が、現代芸術家の会田誠だと気づいたのは、東京メトロの市ヶ谷駅の入口でした。そのときもとてもビックリしたのですが、今度は、勇敢にも彼に近づいて「こんにちは、私は、スペイン人アーティストのカロリーナと申します」と自己紹介ができました。そして彼も一瞬驚きましたが、ポーカーフェイスで、親切に応対してくれました。

さらにその一週間後、私は、若者に人気の吉祥寺(東京・武蔵野市)の街にいました。暗黒舞踏『大駱駝艦』の代表で、コンテンポラリーダンスに革命を起こした麿赤児(まろ あかじ)にそこで出会ったのです。おそらく彼は、若手ダンサーとの稽古にやってきたのでしょう、革のジャケットを羽織って、コミカルとシリアスを混ぜこぜにした顔で、歩いていました。

そのとき、自分が自己崇拝的で、ナルシスティックな芸術家であると自覚していた私は、こう思いました。

「なんていうことでしょう!私は、選ばれたニンゲンです。すごいコトです。たくさんの重要な芸術家に出会っています。これは、間違いなく神様の思し召しです」(笑)

 

世界類いまれな芸術の環境

日本には、すごい芸術家があふれているのです。

草間彌生、鴻池朋子、児玉幸子、やなぎみわ、松井冬子らの並外れた才能を持つ女性芸術家の作品を、私たちは観ることができます。たぶんあなたが毎日作品を観ることのできるこの状況は、世界の美術史上でも、普通のことではないということを保証します。

そして日本の芸術家たちは、特定の芸術運動や流行に従っているのではなく、自らのオリジナルの個性やスタイルを持っています。多くの場合は、非常に現代的なテーマで、日本の伝統的な素材、画材や技法を用いた高度な作品を制作しています。実際、彼女たちの作品は、世界に現代日本の文化的アイデンティティを発露しているのです。

今年5月中旬にスペインで、国際交流基金マドリード日本文化センターが『現代日本のアートと女性』と題した講演を開催しました。私が講師を務め、日本の女性芸術家たちが明るい新時代を創っている旨の講義に、当日参加したスペイン人を中心に、イギリス人、レバノン人、日本人を含む、聴衆80人が熱心に聴いてくれて、鳴りやまぬ拍手をいただきました。

鴻池朋子さん、児玉幸子さん、松井冬子さんに事前に日本で、個々にインタビューした人生観、芸術観にも関心が集まっていました。例えば、児玉幸子さんは、三島由紀夫を引用しながら、日本の文化は、伝統的に女性的だと言っていたのが、特にスペイン人には、印象的だったようです。

 

現代の日本のアートシーンでは、同時に活躍する芸術家が多数存在し、最高品質の作品を生み出しています。歴史を振り返ると、瞬間的に華麗な時代もありましたが、平安から千年経ったいま、再び才能溢れる女性の芸術家たちが活動し、世界的に見ても特別なことが起きているのです。

講義に来てくれた受講者の多くが、サラマンカ大学で、平安時代の日本女性芸術家の創造力について初めて知ったときの私と同じビックリの顔をしていました。

日本に居るあなたは、世界的に見て日本の芸術状況が、スゴいということに気づいていますか?

(原文日本語)

国際交流基金マドリッド主催の講演 カロリーナ・セカ 2019年5月16日      © Carolina Ceca

 

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