作家・大岡玲 ×「メスキータ」展 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

「スペシャリスト 鑑賞の流儀」は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

作家の大岡玲さんに、東京ステーションギャラリー(東京駅)の「メスキータ」展(8月18日まで。以後、千葉・佐倉、兵庫・西宮、宇都宮、福島・いわきに巡回)を鑑賞していただきました。

大岡玲(おおおか・あきら)

作家。東京経済大学教授。1958年、東京生まれ。東京外国語大学修士課程修了。1990年、「表層生活」で第102回芥川賞。他の作品に「ブラック・マジック」「ヒ・ノ・マ・ル」「黄昏のストーム・シーディング」(第2回三島由紀夫賞)など。2019年1月に刊行された『開高健短篇選』(岩波文庫)の編者を務め、巻末の解説も担当した。父は詩人の故・大岡信さん。

サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ(1868-1944年)は、オランダの画家、版画家、グラフィックデザイナー。20年以上にわたり美術教師も務め、教え子にはだまし絵で知られるM.C.エッシャーらがいる。ポルトガル系ユダヤ人の家系だったため、第二次世界大戦中の1944年に、妻と息子とともにナチスに強制収容所に送られ殺害された。没後、一時忘れられかけたが、エッシャーらが作品を守り、展覧会を開くなどしてメスキータの存在を世界に伝えた。  

「メスキータ」展はドイツの個人コレクターの所蔵品から選ばれた約240点による日本初の個展。人物、動植物などをモチーフに造形性、装飾性を探求した木版画と、湧き出てくるイメージを描き連ねたという素描類が展示の核となっている。

 

造形性の探求

「二頭のガゼル」は好んで描いた動物作品のひとつ。写実的に描いた習作に対して、木版画のガゼルは胴体がふっくらしてまるで羊のようです。(ウシ科の動物のガゼルの)の現実を写し取ることよりも、造形的な興味、装飾的な関心が優っていた、というわけですね。少し(造形的な面白さを追い求めた)葛飾北斎的ではありませんか。形を変えてでも目を引く効果を追求したように見えます。  

「二頭のガゼル」の習作(上)と木版(下)の前で、東京ステーションギャラリーの冨田章館長(左)と語る大岡さん

 

「二頭のガゼル」1926年 木版

 

フラ  ~不思議な存在感〜

逆に、シマウマは見たままを写しても作品になりそうです。美術学校の生徒に題材として勧めなかったとのことですが、それは形を「いじる」余地があまりなかったからなのですね。 とはいえ、作品にはしばらく見ていたい魅力があります。落語の世界では、そこにいるだけで笑いを生んでしまうような、理屈では説明できない天性の不思議な存在感を持つ噺家のことを「フラ」がある、といいます。メスキータの作品にはまさにフラがあると思います。  

 

「シマウマ」1918年頃 木版 個人蔵 Photo: Martin Wissen Photography, Borken, Germany

 

エッシャーまであとわずか

「パイナップル」も写実性より装飾性を追求した作品ですね。

「パイナップル」1928年 木版 個人蔵 Photo: Martin Wissen Photography, Borken, Germany

 

だまし絵的ともいえるでしょう。近くで見ると、パイナップルの表面に、まず黒い蝶が見えます。しかし、ちょっと離れると、白い部分が浮き上がってきます。「なぜこうなっているんだろう」と思う一方、すべてがあるべきところにあるようにも見えます。このトロンプルイユ(だまし絵)的な感覚は「エッシャーまであとちょっと」と思わせます。エッシャーはずっとメスキータを慕っていたようですから、エッシャーはこういう作品を見ていたはずです。

 

「ワシミミズク」1915年、木版、個人蔵 Photo: J&M Zweerts  「見ていると2羽のワシミミズクが向かい合っているようにも見えます」

 

ファンタジー

ここまで見てきた木版画では、余分なものをそぎ落として必要なものだけが詰まった印象がありました。それが「空想」という章のドローイングや水彩作品では、思いつくままイメージを膨らませ、どんどん描いているようです。

 

「ファンタジー:微笑む男たち」1904年頃 鉛筆、水彩、紙 個人蔵 Photo: J&M Zweerts

 

「ファンタジー:さまざまな人々(赤毛の女)」1919年 ペン、水彩、紙

 

「ファンタジー:さまざまな人々(黒い背景)」1921年 ペン、水彩、紙

 

なかば無意識の状態で思いつくまま描いたとすると、1920年代に始まった芸術運動、シュルレアリスムの自動筆記(オートマティスム)的な手法を、彼らよりもずっと早く試みていたことになりますね。 人の顔が、思いがけないところから浮かんだり現れたりしたかのように描かれており、目が釘付けになりました。「気が付いた?」とメスキータが笑って語りかけてくるような気もします。漫画家の水木しげるさんは、19世紀象徴派のフランス人画家ルドンが好きで、モチーフの着想を得ていたようですが、もしメスキータを知っていたらきっと関心をもっていたでしょう。

 

稲妻? 株価のグラフ?

「ファンタジー:稲妻をみる二人」は、窓の外の稲妻に見入る二人の横顔を描いた作品です。メスキータは、このような似た図像の反復や、(左右の)反転を好んだようです。表と裏、陰と陽、善と悪のような二元論的なとらえ方を感じます。 ところで、この窓の外の線は稲妻以外にも見えますね。作品のタイトルはだいたい画商がつけたということですから、自由に想像させていただくと、折れ線グラフのようにも見えます。株価の急落を見て「財産ふっとび、すっからかん!」と目を点にしている二人。そのような愉快な解釈を誘ってくれます。

 

「ファンタジー:稲妻をみる二人」1914年 木版 個人蔵 Photo: J&M Zweerts

 

アウシュビッツ収容所で命を落とした悲劇や、シリアスな(まじめな)人物作品から、苦悩の人、ストイックな人、寡作な画家というイメージも想像していましたが、思いのままに描きまくったドローイングや水彩、自在に姿かたちを変えてしまった動物作品などを見ると、人を驚かせて面白がっている作家像も浮かび上がってきます。

 

プロセスを見せる

木版画に戻りましょう。版画家は制作途中で刷ってみて、必要ならば修正をほどこし、仕上げていきます。普通は最終版を作品として発表するものだと思うのですが、メスキータは途中の刷りにもサインをしていたとのこと。 ということは、制作過程の刷りも自分の表現、すなわち作品ととらえたのでしょう。無意識にあふれ出るイメージを描きとめたドローイングにもつながる気がします。自分の中で生まれてくるものの創造性に、確信のようなものがあったのではないでしょうか。 このような姿勢は、修正を重ねること全体を創造としてとらえる芸術家としての側面がある一方、学生たちに作品が変わっていくプロセスを見せるという教育者的な考えもあったと思います。  

 

「ユリ」第3ステート 1916-17年、個人蔵 Photo: Martin Wissen Photography, Borken, Germany  左下の男の顔は当初はなく第2ステートで描き加えられた。縞模様だった女性の身体は第3ステートで真っ白に変わった。第5ステート(不出品)では、女性の髪が短く切られた。ステートとは、版画の完成にいたる各段階での刷りのこと。最初に刷ったものが第1ステートとよばれる。

 

子ども、母、父

あふれる想念を描きとめ、一方で造形性を追求したというメスキータですが、描かれた姿や空間を見ていると、封じ込められた物語を想像してしまいます。  

 

 

「ファンタジー:浮遊する赤ん坊」1925年 鉛筆、厚紙

 

「ファンタジー:浮遊する赤ん坊」では、赤ん坊は無心に浮遊し、母らしい女性は笑っています。一方、父らしい男性の表情は微妙です。かわいい、いとおしい、と思う一方で、今どうしたらいいのだろう、という動揺や、面倒でうっとうしいなあという気持ちが入り混じっているように見えます。

 

「母と子」1929年 木版

 

「母と子」は、ゆったりと豊かで、満ち足りた世界を構成しているように感じます。「産む性としての母の豊穣性」という素朴な観念をもっていたのかもしれません。 

 

 

「父」1938年 木版

 

「父」のお父さんの表情はちょっと暗いですよね。全体が黒くなっている中で、姿勢、仕草が風雨の中にいることを感じさせます。どこかに歩もうとしています。父の頭に乗せた子どもの手が、ここだけパッと白抜きになっています。 1938年の作ですから、ナチスドイツが力を増し、ヨーロッパ全体に暗雲が立ち込めています。父は「何かを守らなくては」という責任を感じているようです。子どものこの白い手は「頼むよ」という期待にも見え、「あなたはちゃんとやっているよ」という風にも見えます。宗教というよりずっと原始的な何か、たとえば希望とか、赦(ゆる)しとか、あたたかさとか、そういうものが全部ここに集中しているように思います。はりつめたものを感じます。

 

メタモルフォーゼ(変容)

メスキータは、現実をただ写すのではなくて、造形的な面白さを考え、さらに自身の希望や心情などとも突き合わせて、作品を創り出していったように思います。対象の姿を変えてしまうという極めて不遜な創造行為は、自分自身の中にも変容を引き起こしていたはずです。 人として変わっていき、最後には、生きるということそのものの重荷や希望など、すべてがつながっていき、「父」の子どものあの白い手に結晶化されたように見えます。芸術というものがそういうふうに出来上がっていったように感じました。異様なほどの厚みを持った、ある人間の実質のようなものに転換されていくところがすごいと思います。

「父」が描かれてから非業の死まで6年ほど。歩み去る足音が、雨の中から聞こえてきそうです。

メスキータ

2019年6月29日(土)~8月18日(日) 東京ステーションギャラリー(東京駅)

2020年1月25日(土)~3月22日(日)千葉・佐倉市立美術館

2020年4月4日(土)~6月14日(日) 兵庫・西宮大谷記念美術館

2020年7月5日(土)~8月30日(日) 栃木・宇都宮美術館

2020年9月12日(土)~10月25日 福島・いわき市立美術館

 

*ここまで写真クレジットのない写真は、すべて許可を得て東京ステーションギャラリーで撮影

 JPタワーで延長戦

取材後に大岡さんと共に東京ステーションホテルのカフェに向かったのですが、満席だったため、向かいのJPタワー商業施設「KITTE」(東京・丸の内)へ。カフェに入る前に、2・3階にあるミュージアム「インターメディアテク」に立ち寄りました。 インターメディアテクは日本郵便と東京大総合研究博物館との協働事業として13年に開館。自然史、文化史などの学術標本・資料が展示されています。

骨格標本、はく製がずらりと並ぶ2階の常設展示室

特に目当てもなくふらりと入ったのですが、古い木製什器を再利用したケースなどに、魚類や鳥類、哺乳類の骨格標本やはく製などが展示されており、見たばかりのメスキータの作品を思い出して、大岡さんも驚き、思わず大笑い。

 

フクロウ(Ural Owl)のはく製

 

はく製標本とともに南米の古代遺物やアフリカの人物彫刻、復元した仏像など異質なものが一堂に並ぶ空間は、一種シュルレアリスム的でもあり、メスキータ体験の思いがけない延長戦になりました。メスキータ展と合わせて御覧になるのもいいと思います。

ギメ・ルーム開設記念展『驚異の小部屋』展示風景

空間・展示デザイン ©UMUT works

http://www.intermediatheque.jp/

 *インターメディアテクは入場無料。

 

(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

 

 

 

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