エッセイスト・岸本葉子 ×「松方コレクション展」 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

今回はエッセイストの岸本葉子さんに、国立西洋美術館(東京・上野公園)で開催中の「松方コレクション展」を鑑賞していただきました

 

岸本葉子(きしもと・ようこ)

エッセイスト。1961年、鎌倉市生まれ。東京大学教養学部卒業。暮らしや旅を題材にエッセイを数多く発表。俳句にも親しんでいる。近著に『NHK俳句 岸本葉子の「俳句の学び方」』NHK出版)、『二人の親を見送って』(中公文庫)。7月に『ひとり老後、賢く楽しむ』(文響社)を刊行予定。公式サイト

国立西洋美術館開館60周年記念「松方コレクション展」

2019611日(火)~ 923日(月・祝)  国立西洋美術館(東京・上野公園)

 

実業家の松方幸次郎(1866~1950年)が1916~27年頃にロンドン、パリなどで収集した西洋美術の絵画・彫刻など約3000点の中から約160点を一堂に集めた展覧会。会場の国立西洋美術館はフランス政府が第2次世界大戦末期、パリに保管中だった約400点の松方コレクションを接収し、戦後の1959年に375点を日本に寄贈・返還する際の条件として建てられた。松方の西洋美術コレクションは購入後、日本に送られたほか、パリとロンドンに保管されていたが、倉庫火災や金融恐慌を受けた売却などで散逸。なお、約8000点にのぼる浮世絵コレクションは東京国立博物館に収蔵されており、本展との連携企画として2019年6~9月、同館の本館10室で4期(各期とも30点以上)にわたり「 松方コレクションの浮世絵版画 」と題して紹介している。

フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルの寝室」 1889年 油彩、カンヴァス オルセー美術館
Paris, musée d’Orsay, cédé aux musées nationaux en application du traité de paix avec le Japon, 1959
Photo © RMN-Grand Palais (musée d’Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF

松方幸次郎が西洋美術を “集めた理由”

個人の名前を冠した「〇〇コレクション展」といえば、大体のところはその人物が好んだ画家やジャンルによって特色づけられます。ところが「松方コレクション展」は時代も画風も異なる作品が数多く並び、最初は率直に言ってとまどいを覚えました。

でも、松方が西洋美術の作品を買い求めた理由が個人的趣味ではなく、初めから「日本の人に本物の西洋美術を見せたい」「芸術家をめざす若者のお手本にしたい」という、公共に資する目的であったと知り、コレクションの幅広さにうなずけるものがありました。

松方がこれらの作品を見せようとした当時の日本人は、それほど予備知識もなく展覧会場を訪れた私と似たような感覚を抱いただろうと想像します。たとえば宗教画の多さに自分たちと異なる信仰や精神の存在を感じ、庶民生活を描いた絵画を見て「子供がかわいい」などと思ったことでしょう。

展覧会のテーマは「松方コレクション」の成り立ちと、購入後の作品がたどった運命です。でも、展示室を回るうちにそのことを忘れ、作品そのものに見入ってしまいました。モネやルノワール、マネ、ゴッホ、ゴーギャンなど、有名な画家の展覧会でそれぞれ目玉になるような作品が並んでいるのです。コレクションの質の高さを思うにつけ、よくぞこれだけの作品が集められたものだと感じました。

クロード・モネ「舟遊び」(1887年 国立西洋美術館)を見る岸本葉子さん=第五章「パリ1921-1922」の展示室で

画家・ブラングィンの協力と、2人の友情

松方がヨーロッパで収集を始めた1910年代後半、日本は大正時代でした。まだ国際社会にデビューしてそれほど経っていない時期です。「最高の作品を集めなくては」という強い使命感があった松方も、何をどう買えばいいのか、値段の相場も含めてよく分からなかったことでしょう。その時に助言や方向づけをしてくれる良き協力者の存在は大きかったと思います。その一人がベルギー生まれのイギリスの画家、フランク・ブラングィン(1867~1956年)でした。

フランク・ブラングィンが描いた「松方幸次郎の肖像」(国立西洋美術館 松方の遺族から寄贈)

 

「プロローグ」と名づけられた最初の展示室に、川崎造船所(現・川崎重工業)の社長だった松方が商用でロンドンを訪れ、西洋美術の収集を始めた1916年の年紀が記されたブラングィンによる松方の肖像画がありました。リラックスした表情に2人の深い友情が感じられます。同じ部屋には松方の依頼でブラングィンが描いた、日本で松方コレクションを展示する「共楽美術館」のデザイン案も展示され、松方が最初から人々に広く公開することをめざしていたと分かります。

フランク・ブラングィン《共楽美術館構想俯瞰図、東京》 水彩・鉛筆、紙 国立西洋美術館

バラエティーに富む 初期コレクション

第一章「ロンドン1916-1918」では、松方がロンドンを拠点に美術品を買い始めた最初期の作品群を紹介しています。
松方がロンドンから帰国後、1000点を超える作品が日本に送られましたが、それらの多くは1928年以降、金融恐慌による川崎造船所の経営危機が原因で売り立てにかけられ、散逸してしまいます。しかし、国立西洋美術館が近年の購入や寄贈によって収蔵したものを中心に展示した内容を見ると、とてもバラエティーに富んでいたことが分かります。
収集の協力者であるとともに、当時のイギリスを代表する画家だったブラングィンをはじめ、ロセッティ、ミレイ、ホイッスラー、セガンティーニ、さらに中世の祭壇画や素描なども並びます。松方の滞欧は第一次世界大戦(1914~18年)と重なっており、第二章「第一次世界大戦と松方コレクション」には戦場や戦争未亡人、遺児、武器生産などを描いた版画や油彩画が展示されています。当時の時代を映した「メディアとしての美術」も収集に含まれていたことを興味深く思いました。

左端はダンテ・ガブリエル・ロセッティ「愛の杯」(1867年 油彩、板 国立西洋美術館)

モネ、ゴッホ、ゴーギャン・・ 名品がずらり

第五章「パリ1921-1922」は、松方がパリを舞台として印象派をはじめとするフランス近代絵画を次々に購入した最も華やかな時期の作品群を紹介しています。
松方はパリ北西のセーヌ川下流の農村ジヴェルニーに住むモネを訪ねるなど、画家本人から作品を直接購入することもありました。見知らぬ外国人からいきなり自分の作品を買いたいと言われた画家たちは、画商よりもずっと敏感に相手の人間性に反応したはずです。松方の情熱と誠実さを信用したからこそ、大切な作品を託す気になったのでしょう。

国立西洋美術館の前庭にあるロダンの有名な「地獄の門」も、松方が購入したものです。1919年に開館するパリのロダン美術館を率いた美術史家レオンス・ベネディットの信頼を得て、ロダン作品をブロンズ鋳造する契約を結び、最終的に50点を超す作品を収集したそうです。第四章「ベネディットとロダン」にはロダンとその弟子ブールデルの彫刻が並んでいます。

ロダン「考える人」やブールデルの彫刻が並ぶ。右端はロダン「地獄の門」のマケット(模型)

作品がたどった運命を見せる

今回の展覧会は通常と展示方法が異なり、作品の履歴を見せる工夫がなされています。購入に関する書類や手紙、作品を記録するために撮影したガラス乾板、そして作品本体の裏側に貼られた画廊のラベルや額縁などが、作品がたどってきた運命を物語ります。

モーリス・ドニ「ハリエニシダ」(1917年以前 国立西洋美術館)
ドニ「ハリエニシダ」はカルトン(厚紙)に油彩で描かれている。裏面にはドリュエ画廊(パリ)のラベルなど作品の履歴を伝える情報が

2016年に発見された「睡蓮、柳の反映」

展覧会場の最後は「エピローグ」として、2016年にパリで発見され、1年間にわたる修復を終えたモネ晩年の大作「睡蓮、柳の反映」(1916年)が披露されています。

松方がモネから直接購入したもので、パリのオランジュリー美術館にある「睡蓮」の大装飾画のうち第2室の「木々の反映」に関連する作品の一つということですが、上半分がほぼ欠損しています。シルクロードに残る石窟遺跡で、仏像の頭部が宗教の対立や戦乱などで欠けたり、仏画が剥落したりしているのと似た痛々しさがありました。

修復されたクロード・モネ「睡蓮、柳の反映」(1916年 国立西洋美術館 松方の遺族から寄贈)の前に立つ岸本さん。縦199.3cm、横424.4cmの大画面だが、上部が欠損している

 

モネのように評価の定まった画家の作品でも、時としてこのような目に遭ってしまう。会場に並んだ名品の数々も、ほぼ全世界が戦争をしていた時代をくぐり抜け、本当にきわどい所で今日に伝えられたものなのでしょう。今日まで保存されてきたものが、人々の努力によっていかに守られ、命を永らえることができたかを思うと、美術品を所有するのは後世に伝える責任を負うことだと痛感しました。

「受容する」という視点

松方コレクションの多くは散逸しましたが、一部には大原美術館(岡山県倉敷市)、ブリヂストン美術館(2019年7月から「アーティゾン美術館」に館名変更)など日本国内の美術館、個人に所蔵されたものもあります。日本人の鑑賞機会を増やすことに大きく寄与した事実を思うと、松方幸次郎の収集は決して無駄だったわけではなく、彼の夢は間接的に果たされたと言えるのではないでしょうか。

展示の最後に、フランス政府から返還・寄贈された美術品を載せた船が日本に着いた時、そして国立西洋美術館が開館した時のニュース映像が流されています。1959年といえば、前回の東京五輪が開かれる5年前。男子学生は学生帽をかぶり、若い女性はジャンパースカート姿で、本当に「普通の人々」が国立西洋美術館に詰めかけ、絵や彫刻を見ていました。この時に初めて西洋美術を見た人も多かったことでしょう。

「松方コレクション展」では、日本人にとって西洋美術に触れるとはどういうことであったのかという「受容の歴史」の視点を感じました。また、私はいままで展覧会に行くたび、ムンクならムンクという画家のパッション(情熱)を受け止めてきましたが、今回は公共の利益に資するために西洋美術を収集し、人々に見せたいと願った松方幸次郎のパッションを感じました。

今日、私たちは日本に居ながらにして数多くの西洋美術を見ることができます。でも、美術館に行けばいつでも見られる環境が、昔から当たり前にあったわけではない。国内で名画を見られるありがたさを再認識するきっかけにもなりそうです。

(聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

モネ「睡蓮、柳の反映」のデジタル推定復元図(監修:国立西洋美術館、制作:凸版印刷株式会社)