「ひと目ぼれ」の未知との遭遇 【イチローズ・アート・バー】第15回 「ルート・ブリュック 蝶の軌跡」展

東京・ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞事業局・陶山(すやま)伊知郎の美術を巡るコラムです。

日本初の個展

深く引き込まれるような色合い、ニュアンス豊かな線。素朴で、どこか夢見るような世界が、なつかしささえ呼び覚ます。温もりを感じさせるセラミック(陶器)作品などを手掛けたフィンランドの女性作家、ルート・ブリュック(1916~99年)の日本初の個展「ルート・ブリュック 蝶の軌跡」展が、6月16日まで東京駅の東京ステーションギャラリーで開催されている。訪れた人々を、出会いの高揚感と瞑想の時間へと誘っている。

(東京に続き、兵庫・伊丹、岐阜、福岡・久留米などを巡回)

 

《ライオンに化けたロバ》1957年、陶板 タピオ・ヴィルカラ ルート・ブリュック財団蔵 Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

  

企画のはじまり

「だってひと目ぼれしちゃったんですから(略) きれいで、優しくて、大きくて、でもきりっとして、緊張感もあって」

2016年春、ブルーシープ社(東京・千代田区)の草刈大介さんの元に、フィンランドを訪問中のライター今村玲子さんからメールが飛び込んできた。ブ社は展覧会や出版を手掛ける企画会社。ブリュックの名も聞いたことがなかった草刈さんだが、添付されていた写真を見て、「コンコン、と心をノックする音がした」という。企画のはじまりだった。

  

広がる輪

「展覧会に関わったほとんどの人にとって、ブリュックは未知の作家だった」と草刈さん。だが、今村さんのように「ひと目ぼれ」する人が少なくなかった。「見たい、見せたい」という感覚が関係者の間で広がった。

まず、東京ステーションギャラリーと伊丹市立美術館が開催を決める。「どれくらいの人が見に来てくれるか見当もつかなかったが、学芸員の話し合いで『やってみよう』という思いで一致した」と東京ステーションギャラリーの冨田章館長は振り返る。伊丹市美術館の学芸員、岡本梓さんも「ぜひ開催するべきだと直感した。知らないことも魅力だった」という。陶芸の専門館、岐阜県現代陶芸美術館、福岡の久留米市美術館も名乗りを上げた。

 

《ヴェネチアの宮殿:リアルト橋》1953年、タピオ・ヴィルカラ ルート・ブリュック財団蔵 Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

  

ブリュックとは

ブリュックはフィンランドの陶器ブランド・アラビア製陶所(1873年創立。美術部門は1932年設立)に1942年に入社したインハウス・アーティスト(社員アーティスト)。セラミック(陶器)を中心に、テキスタイル、パブリックアートなどを手掛けた。

夫は世界的デザイナーとなったタピオ・ヴィルカラ(19151985年)。後にブリュックも独立し、夫婦でイタリア、アメリカなど世界を旅して、目にした風景や自然に着想をえた作品も残している。作風は、初期のメルヘン調の作品から、後期の抽象的な表現まで幅広い変遷を遂げたが、ふと瞑想を誘うぬくもりのある感覚は変わらない。

ルート・ブリュック|Rut Bryk Photo: Tapio Wirkkala

 

 節目の回顧展

この展覧会は、首都ヘルシンキの隣町エスポー市で開催された生誕100周年記念展「ルート・ブリュック 魔法の箱」(2016年)をべースに再構成された。約50年におよぶ作家活動を、セラミック作品を核に、活動を始めた頃のイラストや版画、釉薬の試作、石膏型、テキスタイルの色見本、大型レリーフの素描などの関連資料も展示している。日本とフィンランドの外交関係樹立100年を祝う企画のひとつでもある。

  

スマホの出番

東京ステーションギャラリーの3階。ブリュックが絵付けした食器や、人、鳥、魚、静物、教会などをモチーフにした陶板が並ぶ部屋に足を踏み入れた女性が思わず「かわいい」と声を上げ、見入った。そして撮影が可能なことに気づいて、スマホを取り出した。会場を進みながら、気に入った作品を撮影している。ブリュックの作品は一見シンプルだが、「かわいくてきれいなだけではない何か」(伊丹市立美術館・岡本さん)」があり、一瞥しただけでは通り過ぎることができない。それが多くの人に作品を見つめさせ、カメラを向けさせているのだろう(撮影は3階会場のみ可能)。

3階の会場。一見、フォトセッションのよう。

 

 表情豊かな線

造形的にも魅力は尽きない。主題となっている人物や鳥、静物ばかりでなく、背景に刻まれたギザギザ模様ひとつひとつにも表情がある。作品をしばらく眺めている内に、作中の人物の腕や鳥の羽、体、背景の模様の線が繋がってハーモニーが生まれ、実際にはない大きな円環を感じさせ、自分もその輪に入ってしまったような感覚にとらわれた。

 

《母子》1950年、タピオ・ヴィルカラ ルート・ブリュック財団蔵 Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

  

シャガール? キュビスム?

初期の作品のひとつ「結婚式」の宙に浮かぶ人物はシャガールを思わせ、親子を主題にした「ダンス」などでは人物の横顔と正面像が重なってキュビスム的な印象を醸し出す。美術史とのつながりもうかがえるが、模倣という作為的なつまらなさはない。

 

《結婚式》1944年、タピオ・ヴィルカラ ルート・ブリュック財団蔵 Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

 

「ピリッタ」(左)と「ダンス」

 

蝶への思い

2階の最初の部屋に移ると、蝶を主題にした作品群が壁を覆うように展示されている。蝶の研究者だった父親の死をきっかけにつくられたらしい。色も姿も多様な蝶は、数えきれない父との思い出の反映なのだろう。

蝶が一、二匹ずつ、ほぼ同じ大きさの正方形の器に描かれ、それが組み合わされた展示は、展覧会後半で紹介される、幾何学的な作風への導入にも見える。展覧会のサブタイトル「蝶の軌跡」は、ブリュックの作風の劇的な変化を、幼虫、さなぎを経て成虫になる蝶に重ね合わせて考えられたものだろう。

《蝶》1957年、タピオ・ヴィルカラ ルート・ブリュック財団蔵 Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

 

 

 

 変 容

40歳代になると、ブリュックはそれまでの幻想的、メルヘン的な作風から、硬質で理知的な作品へと変容を遂げる。もともとは建築家になりたかったというブリュックの思いが再燃したのかもしれない。東京ステーションギャラリー学芸員の成相肇(はじめ)さんは、「空間を構築しようとする意志の強さがものすごい」と語る。

 

《色づいた太陽》1969年、タピオ・ヴィルカラ ルート・ブリュック財団蔵
Tapio Wirkkala Rut Bryk Foundation’s Collection / EMMA – Espoo Museum of Modern Art ©KUVASTO, Helsinki & JASPAR, Tokyo, 2018 C2531

  

レンガ壁とのハーモニー

東京ステーションギャラリーは東京駅丸の内駅舎の中にある。駅舎はブリュックが生まれる前々年の1914年に建てられ、2012年に建設当時の姿に復原された。レンガの壁はこの美術館ならではの持ち味だ。焼き物の質感、不ぞろいな色と形、穿たれた窪み。それが、ぬくもりを留めたブリュックの幾何学的なデザインと呼応するかのように独特のリズムを生み出している。

 

レンガ壁の2階会場

 

 

「奇跡」の展覧会

高度な情報化が進んだ今、まったく見たことのないものと出会うことは意外に難しい。それだけモノ、情報はあふれている。展覧会も、知識として知っている作品を実際に見て確かめるという意味合いが強い時もある。ブリュックのように、ネット上などで手あかに染まっていない、未知の作品との出会いは、いまや希少で、新鮮だ。

企画を手がけたブルーシープ社の草刈さんは、展覧会を実現できたことを「奇跡」と呼ぶ。昨今、美術館は予算が限られ、「人を呼べそうな展覧会」に傾きそうなのが実情だ。無名のブリュックは動員では苦戦必至と思われた。最初は「実現可能性25%」と読んだが、開催を引き受けてくれる美術館が現れて展覧会が成立し、関連書籍のインタビュー・執筆に関わったクリエーターたちがすっかりブリュックに魅入られるのを見て、展覧会の広がりに大きな可能性を感じたという。開幕した東京展には「予想以上」の人が訪れており、草刈さんの勘が実証された形だ

 

いつまでも見ていたい

絵本作家の酒井駒子さんは、草刈さんに「いつまでもみていたい」という言葉を寄せたという。その感覚は展覧会を見た多くの人が共有しているようだ。「ブリュックの魅力は写真では伝えきれない」(伊丹市立美術館・岡本さん)のは確かだが、撮影した時のときめきを後で思い起こしつつ、ブリュック作品の写真に見入っている人が、日に日に増えているかもしれない。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

 

「ルート・ブリュック 蝶の軌跡」展

2019427日~616日 東京ステーションギャラリー(東京駅)

201997日~1020日 伊丹市立美術館・伊丹市立工芸センター(兵庫県)

2020425日~75日  岐阜県現代陶芸美術館

2020718日~96日  久留米市美術館(福岡県)

 

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