パリ、2つのFOUJITA展 【パリ発!展覧会プロデューサー・今津京子のアート・サイド・ストーリー】第5回 

展示風景(マイヨール美術館)

「オルセー美術館展」(2014年)、「プラド美術館展」(2018年)などこれまでに日本国内で数十の大型展覧会を手がけたパリ在住の展覧会プロデューサー、今津京子氏によるレポートです。

 

この1年の間に、ある作家の二つの展覧会がパリで開催された。最初は201837日から715日までマイヨール美術館で、ふたつ目は日本文化会館で今年116日から316日まで。そのアーティストの名前はFOUJITA、藤田嗣治である。

 

展覧会の仕事に私が携わるようになったのは1980年代半ばからだが、当時、藤田はこの業界で誰もが手を出さない、いや、怖くて手を出せない作家だった。戦後、いくつかの展覧会が企画されたがトラブルが続いたからだ。

著作権を相続した君代夫人は、自分の許可なく日本及びフランスでフジタの作品画像を掲載した出版物が発行されると差し止めを求める裁判を起こした。展覧会をするにあたり、作品の入っているポスターやチラシが印刷できなければ宣伝ができない。展覧会の学術的な記録となるカタログの発行もできない。君代夫人の頑なな態度は、戦後、日本画壇が藤田の戦争責任を厳しく追及し、藤田が心に深い傷を負ったのが理由だと言われている。それが軟化するのは晩年に入ってから。

日本で本格的な回顧展が開催されたのは2006年で(夫人は2009年に98歳で逝去)、その後何回か各地で開催され、画業や波乱に富んだ人生が紹介されるようになった。どんなに力のある作家でも作品を人に見せる機会がなければ作家は忘れられていく。多くの人が作品を見て感動し、そして作家と作品は世に残る― 展覧会を行う一つの大きな意義がそこにあると考える。

 

さて、マイヨール美術館で開催された展覧会のサブタイトルは「狂乱の時代に描く」。1913年、パリに到着してからどのように進化して、「乳白色の肌」と形容された透き通るような画風に至り、エコール・ド・パリを代表する作家となっていったのか。そして作品制作の傍、独特の風貌で時代の寵児となっていったかを丁寧に紹介していた。

フジタのカタログレゾネの著者で、この展覧会のキュレーターの一人となったシルヴィ・ビュイソン氏(彼女も君代夫人に裁判を起こされた一人で、フランスで数年かかって勝訴したそう)は「フランスでフジタは名前やその風貌は知られているが、作家としての力量はほとんど知られていない。現在、著作権を持っているフジタ財団から、パリの美術館で初めての本格的な個展となる今回の企画の相談を受けた時、それをきちんと紹介したいと思いました。マイヨール美術館はスペースが限られているので、時代を1913年から31年に絞ることにしたのです」。それはフジタがパリに到着し、成功を収め、南米に向けて出発するまでで、まさにフランスの「狂乱の時代」と呼ばれた時代と重なる。

展覧会の後半には、作風が対照的に異なる2組の大型注文制作の作品がパリで初公開された。エッソンヌ県議会が所有している3m四方の「争闘I」「争闘II」等4枚の大作(1928年制作、写真上)はミケランジェロを思い出させるような群像画だ。おそらくパリの大学都市にある日本館のために描かれた作品だろうと考えられている。

またアンテラリエ連合サークルという、パリ市内中心部にある有名な上流社会のクラブのために制作した横長の油彩作品(1929年制作、写真下)は、2枚で対をなし、背景に金箔を貼って金屏風のようだ。若冲に影響を受けたと思われる動物が描かれているが、ビュイソン氏によれば、描かれている動物、例えば雄鶏や猫はフランスの雄鶏や猫がモデルだという。いずれにしても注文主によって自在にスタイルを変えていたことがわかる。

展示風景(マイヨール美術館)

 

フジタは当時にしては珍しいカメラを持っており、彼自身が撮影したパリの街、友人や恋人たち、そして本人自身が登場する貴重な映像も紹介されて多くの観客が足を止めていた。また彼がデザインした家具や画材を展示するなど、多岐に渡って画家の全体像を紹介していた。

 

二つ目の展覧会は昨年、2018年に東京都美術館と京都国立近代美術館で開催された回顧展をフランスの観客に伝わるようにと再編成されたもの。日本文化会館でジャポニスム2018を締めくくるプログラムだった。こちらのサブタイトルは「生涯の作品1886−1968」。バランスよく厳選された36点の作品でその波乱万丈な生涯と画風の変遷をたどり、特にフランスでは全く紹介されていなかった戦争画、「アッツ島玉砕」など2点の作品が初めて展示された。戦後、フランスに戻って仏国籍を取得した彼を語るには不可欠なものであり、多くの媒体がそこに触れて紹介していた。

 

展示風景(日本文化会館) 🄫 Gregoire Cheneau

 

最も充実した時期に焦点を当てたものと生涯を辿る展覧会。前者はフランス人の美術史家、後者は日本人の美術史家が中心となって組織した展覧会だ。どちらがいいということではなく補完的で、展覧会の作り方の観点からも興味深いものだった。二つの展覧会を見て 私はビュイソン氏の言葉を思い出した。「両方の文化を深く理解していたことは間違いありません。でも彼は自国から離れ、そしてフランスからも離れた。彼は自由人で、自分自身を作っていった作家なのです」

 

 (展覧会プロデューサー 今津 京子)

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