翻訳家・鴻巣友季子 ×「ギュスターヴ・モロー展 ―サロメと宿命の女たち―」 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

「スペシャリスト 鑑賞の流儀」は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

翻訳家の鴻巣友季子さんに、「パナソニック汐留美術館」(東京・汐留)で開催中の「ギュスターヴ・モロー展 ―サロメと宿命の女たち― 」展(大阪、福岡に巡回)を鑑賞していただきました。

鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)

翻訳家。訳書にエミリー・ブロンテ『嵐が丘』、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(いずれも新潮文庫)など。2018年12月刊行の新著『謎とき「風と共に去りぬ」―矛盾と葛藤にみちた世界文学―』(新潮選書)が話題を集め、2019年1月放送のEテレ「100分 de 名著」の『風と共に去りぬ』全4回にも出演(NHKテキストとして発売中)。「本好きのためのワイン会(本愛ワイン会)」をプロデュースし展開中。日本テレビ・CS日本番組審議委員。

ギュスターヴ・モロー展 ―サロメと宿命の女たち―
2019年4月6日(土)~ 6月23日(日) パナソニック汐留美術館
※4月1日に館名を「パナソニック汐留ミュージアム」から変更
2019年7月13日(土)~9月23日(月・祝) あべのハルカス美術館(大阪市)
2019年10月1日(火)~11月24日(日)   福岡市美術館

フランス象徴主義の画家、ギュスターヴ・モロー(1826~98)が生涯を通じて描いた「女性像」に焦点を当てた展覧会。パリの国立ギュスターヴ・モロー美術館の全面協力を得て、同館が誇る「出現」(1876年頃)、「エウロペの誘拐」(1868年)、「一角獣」(1885年頃)などを含む油彩・水彩・素描など約70点で構成する。

鴻巣友季子さん。ファム・ファタル風?のポーズで

意外に健康的な「宿命の女」たち

展覧会の大きなテーマとなっているのは、男性を幻惑し、破滅に導く女性として神話や文学に登場する「ファム・ファタル」(宿命の女)です。しかし、モローが描く女性たちは妖艶とはいってもぴちぴちとして肌色も良く、意外に健康的なファム・ファタルだと感じました。
モローの女性像を見ると、男性から女性に向けられる特有のまなざしと、女性観が感じられます。一つは狂気、一つは清らかで純粋な聖性。それらは表裏一体、あるいは二重写しのようなもので、男性にとってはそのような二面性を持つ女性が永遠のあこがれなのでしょう。

文学史を見ても、シェイクスピアの詩に登場する「ダーク・レディー」(黒い貴婦人)、ロシアの作家ナボコフが書いた「ロリータ」のように、純粋さと小悪魔的な要素の両極を持ち、男性を翻弄する女性が数多く登場します。
昨年、アメリカの作家ケイト・ザンブレノが書いた『ヒロインズ』(2018年7月、C.I.P. Books)という作品が日本で翻訳出版され、話題を呼びました。スコット・フィッツジェラルドの妻ゼルダ、ヘンリー・ミラーの恋人アナイス・ニンなど、有名な男性文学者のミューズ(女神)や協力者となる一方、自分でも創作に向かいながら男性から抑圧されていた女性たちをフィクションを交えて書いていますが、彼女たちにも基調としてあるのは「狂気」と「聖性」です。

男性が、父性原理の理解を超えた女性の特質の中に「狂気」と「聖性」という両極を見いだし、恐れつつ魅入られるというのは、古代からあるモチーフなのだろうと思います。

「出現」と向き合う鴻巣さん=パナソニック汐留美術館で

「出現」のサロメは“お仕置き”のポーズ?

モローが描いた「ファム・ファタル」で最も有名なのはサロメでしょう。新約聖書に登場するユダヤの王女で、母親の王妃にそそのかされ、見事な踊りを披露した褒美としてヘロデ王に洗礼者ヨハネの首を求めました。

モローは40代半ばに当たる1872年以降、集中的にサロメを描くようになったそうです。1876年のサロン(官展)に出品した水彩画「出現」(ルーヴル美術館蔵、本展には出品されない)は、古典絵画で表現されてきたサロメが、ヨハネの首を載せた盆を手にした姿や、単なる踊り子として描かれていたのと明らかに異なります。

現代の戦隊ものアニメの少女戦士が、「月に代わってお仕置きよ!」とでも言い放ちそうなポーズ。当時の絵画が女性を描く時は、目をそらしたり伏せたりする恥じらいの姿で描くことが多かった中で、人を鋭く指し、はっしとばかり正面から見据えるようなサロメは、さぞ斬新に映ったことでしょう。

《出現》1876年頃 油彩/カンヴァス 142×103cm 
ギュスターヴ・モロー美術館蔵
Photo©RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF

幻影と現実が二重写し

モロー美術館が所蔵する油彩画の「出現」は、サロンに出品する予定で制作されながら何らかの理由で間に合わなかったと言われる作品です。代わりに水彩画の「出現」を出品したとされています。モローの手元に残された「出現」には、水彩画にはない線描が見られますが、これは最晩年になってモローが描き足したもの。中世のロマネスク建築の教会で柱頭やアーチに施された装飾彫刻を参考にしたもので、もう一つ別の建築が二重写しになって浮かび上がるようです。

サロメの後ろにいる人々は、目の前で起きていることに気がついていないようにも見える。果たしてどちらが現実なのか。もしかするとサロメが立っているのは幻影と狂気の世界で、透明な線で描かれているものがリアルな世界かもしれない。悪や狂気といった内面の闇が前面にせり出してきて、現実を凌駕してしまった状態のようにも見えてきます。

母と恋人に向けた穏やかな視線

ファム・ファタルの女性を描いた作品とは異なり、モローが身近にいる女性を描いたものには、穏やかな視線と距離の近さを感じます。独身を通したモローですが、そばには常に2人の女性がいました。母ポーリーヌ・モローと、恋人とみられるアレクサンドリーヌ・デュルー(1835~90年)という女性です。
モローは父のルイが亡くなった1862年から、母ポーリーヌが亡くなる1884年まで母子2人の生活を送りました。また、10歳下のアクサンドリーヌとは結婚こそしなかったものの、ほとんど妻のような存在だったようです。

展覧会にはその2人を長い年月にわたって描いたさまざまなポーズの素描が並んでいますが、とても親密で愛情にあふれています。アレクサンドリーヌとモローが翼のある天使となって雲の上を歩いているという、ほほえましい戯画もありました。

《24歳の自画像》 1850年 油彩/カンヴァス 41×32cm
ギュスターヴ・モロー美術館蔵
Photo©RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF

 

左:「アレクサンドリーヌ」(インク・鉛筆/紙 22.5×16.7cm)

男を誘う女たち

モローはサロメのほかにも、メッサリーナ、デリラ、セイレーンなど、神話や聖書、伝説などに現れた「誘う女」を数多く描いています。

《セイレーン》 油彩/カンヴァス 38×62cm
ギュスターヴ・モロー美術館蔵
Photo©RMN-Grand Palais / Philipp Bernard / distributed by AMF

 

「エウロペの誘拐」(1868年)は古代ローマの叙事詩『変身物語』に登場する話に基づく伝統的な画題。王女エウロぺに恋をした全能の神ユピテルが、牡牛の姿に身を変えてエウロペに近づき、奪い去って妻にしてしまう場面ですが、16世紀ベネチア派の巨匠ティツィアーノが描いた「エウロペの略奪」などと大きく違うのは、女性が誘拐されることを嫌がっているように見えないことです。牡牛に変身した相手が誰なのかも分かっていて、うっとりとしている表情にも見え、まるで合意の上での逃避行のように感じられます。

そこには、「女性の側にも男を誘うような要素があったのではないか」「女とは、げに恐ろしきものであることよ」といった男性原理に基づく眼差しがあるようにも感じます。
この、「女性の方にも付け込まれる隙があったのではないか」という言い方は、今日でも女性が性的被害に遭った事件で耳にします。誘拐されることを嫌がっていないように見えたエウロペも、もしインタビューしたら「とんでもない。あれは私を抵抗できないようにして連れ去ったのです」と、女性の立場から怒って反論するかもしれません。

《エウロペの誘拐》 1868年 油彩/カンヴァス 175×130cm
ギュスターヴ・モロー美術館蔵
Photo©RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF

 

「バテシバ」という作品はさらにすごいです(笑)。旧約聖書にある物語で、ダビデ王の部下の妻バテシバが水浴びをしているのですが、それを上階のテラスから覗き見たダビデ王が劣情を催し、彼女をレイプする。罪を隠すために夫を戦地に送ってしまい、さらに悪行を重ねる。ところが、「王にしてみれば、バテシバは誘惑する者であり、彼女は図らずも誘惑する者として視線を浴びている」と解説されるのですね。いや、彼女は誘惑していないと思うのですが。襲う側の苦しい言い訳として、「ファム・ファタルに誘われ堕ちていく男」という構図の逆転が行われているようです。

西洋の神話や伝説、聖書の物語はニュートラル(中立的)なものと思われがちですが、編纂者はほぼ男性であり、男性の目線と政治的力学によって作られたものとも言えるでしょう。それに基づいて描かれてきた西洋美術にも、多分にその要素が感じられます。同じ画題を女性が描いたとしたらどんな表現になるのか、ぜひ見てみたいところです。

《一角獣》 1885年頃 油彩/カンヴァス 115×90cm
ギュスターヴ・モロー美術館蔵
Photo©RMN-Grand Palais / René-Gabriel Ojéda / distributed by AMF

「けがれなき世界」の裏に暗い情念?

1883年、パリのクリュニー中世美術館で6面の連作タピスリー「貴婦人と一角獣」(1500年頃、作者不明)が公開されました。モローはそれを見て刺激を受け、一角獣(ユニコーン)の主題を描くようになったといいます。この6面タピスリーは2013年に東京・大阪で開かれた展覧会で日本初公開され、大きな話題を呼びました。

一角獣は純血の乙女だけに捕えることができるとされ、キリスト教では聖母マリアの処女性と関連付けられてきた生きものだそうです。
モローの「一角獣」(1885年頃)は「貴婦人と一角獣」のタピスリーを参考にしながら描いた作品。貴婦人たちに囲まれた一角獣たちを描いた未完成の絵ですが、どことなく不思議さが漂っています。
中央の大木の右手に、城のような建築物がうっすらと見えています。まだ描きかけの状態なのでしょうが、「出現」の線描と同じく、二重写しのような効果を生んでいます。貴婦人たちは心優しい聖女のようですが、表面をピッと一枚はがしたら、たちまち背後にある情念が前面に現れそう。会場を回ってきて最後にこの絵を見たせいか、穏やかでけがれのない世界の奥に、もう一つ別の世界があるように感じてしまうのです。

右:白い彫像のような女性が横たわる《妖精とグリフォン》(未完成作)
左:「一角獣」(1885年頃)

文学に見る「ファム・ファタル」

古代ギリシャで文芸の主たるものは詩であり、演劇でした。女性は舞台に上がることを許されず、西洋ではその後も長い間、韻文の世界は男性が独占していました。
「ファム・ファタル」は普遍的なテーマだと思われるでしょうが、その系譜を思い浮かべると、文学でも男性作家が書いているものが圧倒的です。インテリの男性が女性に惑わされ、不本意ながら(嬉々として?)身を持ち崩していくといった話が目につきます。
ペルーのノーベル文学賞作家、マリオ・バルガス=リョサの『悪い娘』も、パリ、ロンドン、マドリード、東京と、一人の男が女性を追いかけていく小説です。日本語版の『悪い娘の悪戯』(作品社)の表紙には、イギリスのラファエル前派の画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの「オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」が使われていますが、キルケーも古代ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』に登場する魔女でありファム・ファタルです。

「一角獣」と鴻巣さん

それって「male gaze」かも

女性作家の小説で、ファム・ファタルを書いたものはそんなに多く思い浮かびません。

エミリー・ ブロンテの『嵐が丘』のキャサリンはファム・ファタルのようだけど、恋の相手であるヒースクリフより先に死んでしまうし、ヒースクリフも堕落するわけではなく、どちらかと言えば頑張って出世していますからね。

女性作家がファム・ファタルを描かないのは、同じ女性であるだけに舞台裏が見えてしまうからではないでしょうか。マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』の主人公スカーレット・オハラも、もし男性作家が書いた小説であれば、美しく気まぐれで男を振り回す魔性の女として描いたかもしれない。でも、女性である作者はスカーレットが内心でどう考えているか分かっている。女性は同性に対して、あまり神秘性を感じられないのかもしれません。 

英米では最近、「male gaze」(男目線)という言葉がよくつかわれます。「それって男性目線っぽいんじゃない?」という時は「male gazy」と言ったりしますが、展覧会を見ながらその言葉を思い出しました。モローが描いた女性像から、絵画史において女性たちがどう描かれてきたのかを考えてみることもできそうです。

 (聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

パリの国立ギュスターヴ・モロー美術館(2010年撮影)
1895年、モローが69歳の時に自宅兼アトリエを美術館にするため改築に着手。遺言状により国に遺贈され、1903年に開館した。日本人観光客にも人気の邸宅美術館

 

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