異郷と日本をつなぐ青空 【きよみのつぶやき】第14回(多摩美術大学美術館「藪野健 時空散歩 ― 江戸東京、そして東北」展 )

ベテランアート記者・高野清見が、美術にまつわることをさまざまな切り口でつぶやくコラムです。

2019年4月4日(木)~5月19日(日)

「藪野健 時空散歩 ― 江戸東京、そして東北」展  東京都多摩市 多摩美術大学美術館

※巡回予定はありません。

東京の街角を描いた作品を前に語る薮野健さん

知らなかった画家の一面

画家で日本芸術院会員の藪野健(やぶの・けん)さん(75)が、半世紀にわたって東京の下町や東北の街並みを水彩画やスケッチに描き続けていると知り、意外に思った。
藪野さんは2009年度の日本芸術院賞に選ばれた「ある日アッシジの丘で」をはじめ、ヨーロッパの古い街並みを重厚な色彩で描いた作風で知られる。所属する二紀会のサイトで紹介されている作品を見れば、よくお分かりいただけるだろう。

名古屋市に生まれ、早稲田大学大学院で美術史を学んだ薮野さんは、1970年春に画家の父・正雄さんと兄の計3人でパリ、ローマを回り、スペインのマドリードでプラド美術館を訪れた。そこでベラスケスをはじめとするスペイン古典絵画の巨匠たちの傑作に圧倒され、その年の10月からマドリードに1年間留学。それまでは建築に関心があったが、画家の道を進むことを決めた。
その経歴と画風からみても、東京の下町を描く「和風」のイメージは似合わない。そう思い込んでいた私は、実は薮野さんの一面しか知らなかったことになる。

展覧会場で「街歩き」を楽しむ

4月6日に開かれた藪野さんのギャラリートーク(自作解説)に合わせて、多摩美術大学美術館で開かれている個展を見に行った。
1~2階の展示室に、東京と東北を描いたものに絞ったという水彩画・スケッチが480点あまり並べられている。これでも全体の数分の一に過ぎないというから、途方もない時間と熱意が注ぎ込まれてきたことになる。

展示は千代田区、中央区、台東区などエリア別に分けられ、それぞれに手描きの地図も添えてある。描かれた建物や街並みを見て歩くと、観客も「画中の人」になった気分が味わえる趣向だ。たっぷり2時間に及んだ藪野さんのギャラリートークも、さながら絵の先生が生徒を引率して街歩きをしているような雰囲気だった。

「はん亭」 文京区 根津 1991年5月17日

なぜ東京の街を?

薮野さんはギャラリートークの冒頭、東京の街を描き始めた理由を説明した。
「スペインから日本に戻ってきて、ひょっとして東京はとても美しい街じゃないかと思った。東京には、残っていないだろうと思うものが意外に残っていたり、残っているはずのものがほとんどなかったりする。描いても際限がなく、まだまだ発見があることを考えると、江戸~東京の遺産はよほど大きいのではないかと思いますね」

地方から上京し、30年近く住んでいる私にも藪野さんの言葉はよく分かる。東京の街を歩いていると、たとえば空襲で焼け野原になったはずの地域でも、思いがけず戦前の建物や記念碑に出会う。まさに「残っていないだろうと思うものが意外に残っている」という発見が多いからだ。

薮野さんは「1603年の江戸開府から416年、江戸~東京は大地震や富士山の爆発、水害、戦時中の空襲など、ありとあらゆる災害のオンパレードだった。でも、街が壊れてしまっても『じゃあ、もっといいものを作ってやらぁ』という江戸っ子気質みたいなものがあって、次々に新しいものを作ってきた」と、この街が持つエネルギーの源泉を指摘した。

神保町十一軒長屋 千代田区 神田神保町 1992年2月29日

「よく見たら、いい家じゃないか」

街角で絵を描いていると、よく地元の人に「何を描いているの?」と話しかけられるという。カメラを構えると警戒されてしまい、とてもそんな和やかな空気は生まれない。
ある時には下町の古い民家の住人から「こんな汚い家を描いてどうするの?」と言われた。しかし、やがて「よく見ると、なかなかいい家じゃないか」。その住人は風情のある建物を見直し、建て替えるつもりだったのをやめたそうだ。

もちろん、街の急速な変化も感じている。たとえば作家の永井荷風が戦前、「偏奇館」(空襲で焼失)と名付けた住居のあった六本木の旧・麻布市兵衛町の周辺は「昭和30年代にはまだ面影が残っていたが、まったく何もなくなってしまった」と惜しむ。

過去の風景を想像して描くことも。現在の日本橋(左)と、江戸時代に同じ場所にあった越後屋(右)

東北へのまなざし

2階展示室の一つには、東北6県を描いた作品を展示している。
東北を歩くようになったのは、早大時代に文学部美術史科の安藤更生教授が東北の仏教美術を調査するのに同行し、仏像や建物の造形、各地の地域性豊かな文化に接したのがきっかけだという。

かつて訪れた場所を、東日本大震災後の風景と対比して並べている。海辺にあった建物が津波で流されたり、趣のある古い木造旅館が倒壊して更地になっていたりする。
藪野さんが福島県いわき市で江戸時代から続く街並みを訪れた時、津波の被害をあやうく免れたと知って「無事で良かったですね」と同行していた地元出身のデザイナー、森豪男さんに話すと、「形は残っても人の心は傷ついている」と言われたという。

絵筆は単なる風景だけでなく、人々の喪失感や街の空気もすくい上げているように見える。ここでも写真とは異なる「絵の力」を意識させられた。

白水(しらみず)阿弥陀堂(福島県いわき市) 震災前(上、2005年11月12日)、震災後(下、2011年5月15日)

「小さいおうち」の洋館

展示室の一角には、薮野さんのアトリエを模したコーナーがある。
子供や孫を描いたほほえましい絵も並ぶ中で、山田洋次監督の映画「小さいおうち」の撮影に使われた洋館の絵が目を引いた。

この家で働くお手伝いのタキを演じた女優の黒木華(はる)さんが第64回ベルリン国際映画祭で最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞した映画作品。薮野さんは美術監修として協力し、山田監督と語り合って「東京・大田区に建っていた」という設定の洋館を描いた。たとえ実在した建物でなくとも、東京の街を歩いてきた藪野さんだからこそ描けたリアリティーがある。

映画「小さいおうち」の撮影に使われた絵(左)
アトリエの雰囲気を再現したコーナー。本棚(右)には親交のあった作家・辻邦生さんの著作も

異郷と日本をつなぐ「薮野ブルー」

藪野さんはかつて知人から「君の大作と、デッサンはどうしてこんなに違うのだ。どんな関係なんだ」と言われたそうだ。ヨーロッパの街並みを描いた重厚な油彩画と、東京の下町などを軽いタッチで描いた水彩画・スケッチが釣り合わないと感じた人は多いのだろう。

薮野さんの水彩画・スケッチは、風景といっても建物が中心だ。その理由をトークの最後に尋ねると「自然、たとえば山の絵は一枚もありません。人間が関係するものが好きなんじゃないかと思います」という答えが返ってきた。街を歩き、絵を描いていると、「喉が渇けば何かを飲み、お腹が空けば店に入るし、座るのにちょうどいい場所を探しながら歩いている。そうやって生活と非常に近い所で街に接することができる」ともいう。

言われてみると、藪野さんがヨーロッパを題材にした油彩画も、人の気配が感じられる街並みや建物を描いたものが多い。日本の下町を描いた水彩画・スケッチとはずいぶん異なる印象だが、その背後にある人間の営みを見つめる姿勢に変わりはない。
展覧会を担当した淵田雄(たけし)学芸員は、展覧会図録に載せた「水彩画とスケッチに見る画家の姿」という文章で企画の意図をこう記している。

《 誤解を恐れず記せば、本展の開催にあたり厖大(ぼうだい)な数に上る水彩そしてスケッチを見つめる過程で、水彩画やスケッチには画家の足跡・意志を浮き彫りにするもう一つのアプローチとなるのではないかと思えたのだ。》

藪野さんが油彩で描くヨーロッパの青空は、鮮やかで深みを感じさせる独特な色遣いから「藪野ブルー」と評されてきた。東京の下町や東北を描いた作品にも、それに比べるとやや明るく感じられるものの、やはり強い印象を残す青空が広がっている。

会場を回り終えた時、画家が長年をかけて描き続けてきた異郷と日本が、実は同じ空でつながっていたことに気づいた。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

 

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