エッセイスト・岸本葉子×「トルコ至宝展」 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】 

【スペシャリスト 鑑賞の流儀】は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

今回はエッセイストの岸本葉子さんに、国立新美術館(東京・六本木)で開催中の「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」を鑑賞していただきました。

岸本葉子(きしもと・ようこ)

エッセイスト。1961年、鎌倉市生まれ。東京大学教養学部卒業。暮らしや旅を題材にエッセイを数多く発表。俳句にも親しんでいる。近著に『50代からしたくなるコト、なくていいモノ』『エッセイの書き方』『岸本葉子の俳句の学び方』などがある。  公式サイト http://kishimotoyoko.jp/

 

 「トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」

2019320日(水)~520日(月) 国立新美術館(東京・六本木)

2019614日(金)~728日(日) 京都国立近代美術館(京都・岡崎公園)

 13世紀末頃アナトリア(小アジア)に誕生し、最盛期にはヨーロッパ、アフリカにも版図を広げ、1922年まで600年以上の長きにわたって続いたオスマン帝国の美術に焦点を当てた展覧会。帝都イスタンブル(イスタンブール)のトプカプ宮殿などが所蔵する宝飾品、工芸品、食器、武器、書籍など約170点により、帝国の威光や美意識に迫る。宗教的にも重視されたチューリップに焦点を当てるほか、オスマン帝国と日本との知られざる交流も紹介している。

 

威光の誇示

トプカプ宮殿はオスマン帝国の君主(スルタン)・メフメト2世(在位144446145181年)の時代に、帝都イスタンブルの東北端に造営され、スルタンがここに居住し、政治を執り行いました。トプカプは「大砲の門」という意味で、オスマン文化は、この宮殿を中心に発展したそうです。

 展示会場に入ると、いきなり玉座と吊るし飾りがあり、その吊るし飾りには宝石と思えないほど大きなエメラルドが三つちりばめられていました。

《玉座用吊るし飾り》 18世紀後半 トプカプ宮殿博物館蔵

 

スルタンは、この吊るし飾りの下の玉座が世界の中心と考えていたそうです。その自信は、すごいですね。吊るしたものの下、という視点の背景には、重力という狂いのない力への関心があったのかもしれません。

国立新美術館の担当キュレーター、学芸課 特定研究員の有木宏二さんと「玉座用つるし飾り」を見る岸本さん

 

 圧巻の宝飾水筒

「儀式用宝飾水筒」にも圧倒されました。

金とエメラルド、ルビー、翡翠(ヒスイ)、真珠など宝石が勢ぞろい。しかも純金の精度が高く、宝石も輝度の高い加工品です。水を持ち運ぶという用途を超えた装飾の極致ですね。機能の最善の形を求めた「用の美」の対極にあると思いました。自分の好みで飾る、というスルタンの自信、尊大さを感じました。

《儀式用宝飾水筒》 16世紀後半 トプカプ宮殿博物館蔵

 

埋め尽くす美意識

吊るし飾りも水筒も、余白を作らずに埋め尽くすんですね。他の工芸品も模様や宝石で覆われています。壁も幾何学模様で装飾されていました=写真=。すごいと思うと同時に、少し息詰まる気も。会場の後半部分に白い壁が現れて、思わずホッとしました。

 

  

チューリップの美

トルコの美術品、工芸品では植物をモティーフにしたものが多いとは思っていましたが、チューリップがこれほど多用されていたとは知りませんでした。チューリップというとオランダの花、というイメージが強いのですが、実は中央アジア・天山山脈やパミール高原が原産地で、現在のトルコ地域には11世紀に入ってきたそうです。

 

 

《スルタン・スレイマン1世のものとされる儀式用カフタン》 16世紀中期 トプカプ宮殿博物館蔵

 

しかも、見慣れた丸い可愛い花だけではなく、細長い蕾のような形のものや、バラかと思うようなチューリップもありましたね。「燕尾(えんび)型」などという種もありました。開花した状態なのに開かずちょっとねじれた、燕の尾のような変化咲きのチューリップのことをこう呼ぶようです。

《バラ色の燕尾型チューリップ》 デルヴィーシュ(神秘主義者)・スレイマン・エル‐メヴレヴィー著、オスマン帝国、18世紀末-19世紀初頭 トプカプ宮殿博物館蔵

 

スルタンとチューリップ

チューリップは、外観の美しさだけではなく、綴りや数の観点から神に結び付けられ、宗教的に大事にされたそうです。当時トルコで使われていたアラビア文字でチューリップを意味する「ラーレ」の綴り4文字は、順番を入れ替えると、神(アッラー)になります。また、ローマ字のV5を表し、X10とされるように、アラビア文字も、それぞれに対応する数が定められていました。チューリップと神は、単語を構成する文字が一緒ですから、言葉の持つ数値の合計も一致します。こうしたことからチューリップは特別な花としてとらえられるようになったそうです。また、花がひとつだけ咲く点も、唯一の神、というイスラーム(イスラム)教の宗教心にぴったりだったのでしょう。

植物としての美しさよりも、つづりや、チューリップの花が一つであることに着目して、そこから信仰に結び付ける発想は面白いですね。理数的なセンスを感じます。日本人なら咲き方とか形状から、重要性、意味を考えるところではないでしょうか。

 最盛期には、トプカプ宮殿の庭はチューリップで埋め尽くされていたそうです。育てるうちに、いろいろと掛け合わせて、突然変異も利用して新種開発も行われ、品種は2000に及んだといいます。科学的な関心、興味と神秘性が同居して、のめり込む要素があったのでしょう。

 

チューリップへの愛着

オスマン帝国の人々がチューリップを愛していることは、チューリップのための花瓶にも表れていると思います。茎が倒れないように首の部分の長い花瓶が、いくつも並んでいました。また、敷物や衣装にも描かれ、チューリップの形を用いた馬用の轡(くつわ)まであり、それを絵に描くこともあったようです。

《チューリップ用花瓶(ラーレ・ダーン)》 オスマン帝国、18-19世紀 トプカプ宮殿博物館蔵

 

最初はチューリップが描かれているのかわからなかったものあるのですが、次第に見えるようになってきて、いつのまにか反射的にチューリップ探しをしている自分に気づきました。宝飾手鏡にもチューリップの花が咲いていました。チューリップ探しは、無邪気に楽しめますね。

《宝飾手鏡》 16世紀末 トプカプ宮殿博物館蔵

 

アジアとの交流

東西交易路の要に位置したオスマン帝国は、中国から発して東南アジア、インド洋を経て、紅海、エジプトに繋がる海の道のターミナル的な存在でもありました。この海の道は、中国から貴重な陶磁器をもたらしたため、「陶磁の道」とも呼ばれます。

金銀製の食器を好んでいたスルタンは、16世紀頃から中国・明の陶磁器を珍重するようになり、大量の中国陶磁器がトプカプ宮殿にもたらされました。当初、輸入した陶磁器に宝石をちりばめるなどオスマンの好みを反映した加工が行われましたが、やがて製造元の中国で、チューリップが描かれたものなどオスマン向けの陶磁器が製造されるようになりました。

中国の陶磁器輸出は、明時代末期(明王朝は1644年に滅亡)から清時代初期に一時衰え、代わりに日本の有田焼などが運ばれてくるようになったそうです。

中国・明時代(17世紀第2四半期)の《染付カラック(芙蓉手)様式皿》=写真右2点=と、日本・有田焼(1690-1710年)の《染付カラック様式皿》=写真左=には、いずれもチューリップ模様がある。

 

トルコと日本

トルコと日本は、親しい間柄ですが、そのきっかけとなった明治時代の両国関係も発見の連続です。

1890年に、日本に派遣されたオスマン帝国の軍艦・エルトゥールル号が、帰路、和歌山県串本町沖で沈没し、乗組員が多数犠牲になりました。その際、数多くの日本人が救出活動を行い、さらに山田寅次郎という実業家らが遺族に届ける義援金を集め、トルコ政府に持参しました。こうした一連の出来事は、トルコと日本の友好の象徴となり、以来、両国の友好関係の基礎となったという話には、歴史の重みを感じます。

 

山田寅次郎

日本とトルコの友好関係が長く続いていることは知っていましたが、エルトゥールル号の沈没事件を契機に、民間人・山田寅次郎さんの活躍があったという史実は意外でした。帝政、非ヨーロッパという共通項を持った国同士の、政治色の強い関係だと思っていたのです。 沈没という不慮の事故から、一旗揚げようと、明治時代らしい野心を持った青年が義援金を集め、自らイスタンブルに渡ったのです。集めた義援金を日本の外務大臣に託そうとお願いした時、「自分で行け」と言われたそうです。びっくりしたでしょうが(笑い)、その結果、民間外交の先駆者となり、後にはトルコ政府お抱えのバイヤーのような存在にもなったというのは、明治らしい大きな話ですね。エルトゥールル号の沈没については、これまでは和歌山の人々の善意の活動があったことしか知りませんでした。

山田さんは、オスマン帝国の新宮殿のための家具類を日本から調達しましたが、トルコ人の趣味を理解して選んだようですね。日本の一般的な調度品より装飾が多い気がします。竹を編んだり、幾何学模様があったり、寄木細工だったり。焼き物も大きくて模様が多く、きらびやかな印象です。

 

山田寅次郎がオスマン帝国のために調達した、明治時代の竹製の家具 《鏡(鏡枠)》=左=と《段違い飾り棚》

 

日本人の好みはもっと簡素なものですよね。もし、当時の欧米列強の人が、イスタンブル、北京、江戸・東京を訪ねたら、同じアジアでも美意識が違うことに驚いたに違いありません。江戸城は障壁画で飾られた将軍の部屋でも、トプカプ宮殿に比べたら質素に見えるのではないでしょうか。畳などは、過剰なまでの装飾がある絨毯に比べたら、はるかにシンプルですよね。

 

 発見

全体的に、色では青が印象的でした。また、繰り返しの幾何学模様で埋め尽くされた、どこまでも対象的な空間は、余白、非対称を特徴とする日本の空間とは違いましたね。一神教という強力な求心力があるイスラームの国と、八百万(やおよろず)の神がいる日本の違いでしょうか。最初に見た、玉座の上の吊るし飾りが、まず世界の中心を定め、そこから出発する、ということにも、一神教的な中心思考を感じました。

奈良・正倉院の文物には、中央アジアを通じてはるか西のトルコと結びつくものもある、と歴史で習いましたが、日本とトルコは中世、近世においてまったく違う文化を育んで、多少の交流はありながら、近代になって出会い直したのですね。断片的だったトルコに関する知識が、少し整理されて、(パズルの)ピースが揃ってきた気がします。少しトルコに行ってみたくなりました。王宮の装飾は分かったけれど、庶民階層はどうだったかという点にも興味が湧いてきます。

 

「宝物の中で何かひとつプレゼントしてもらえるとしたら、何がいいですか?」                        

  タイルを家に貼ってもらえたら嬉しいです。ただし、壁全部でなくて水回りだけでいいかな。

 

 

 (聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

 

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