画家とキュレーターの心意気 【イチローズ・アート・バー】第13回 福沢一郎展

東京・ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞事業局・陶山(すやま)伊知郎の美術を巡るコラムです。
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戦前、戦後と前衛美術の中心的存在として活躍し、1991年には文化勲章を受章した画家、福沢一郎(1898〜1992年)の回顧展が、東京・千代田区の東京国立近代美術館で始まった。本格的な個展は東京では31年ぶり。近年、急速に進んだ研究の成果を反映し、「新発見」された作品も披露される貴重な機会だ。

福沢は群馬県富岡市出身で、東京帝国大学文学部を経て、彫刻を始めた。1920年代のパリ滞在期に絵画に転じ、当時ヨーロッパで起きていたシュルレアリスム(超現実主義)運動の影響を受けた作品を描いた。シュルレアリスムは、人間の深層に潜む非合理性に目を向けた前衛運動で、脈絡のないものを組み合わせるなどして、あたらしい作品世界を切り拓いた。福沢は、このシュルレアリスムを作品と著作によって日本に紹介したことで知られるが、福沢自身の作品は、シュルレアリスムにとどまらず、それを超えたさまざまな分野に展開し、晩年まで旺盛な制作活動を続けた。新しいものへの関心を失わず、反逆・批判精神にユーモア・諧謔を交えて、原色を用いた骨太な描写でスケールの大きな作品を描いた。
展覧会は、「人間嫌い:パリ留学時代」「シュルレアリスムと風刺」「行動主義(行動的ヒューマニズム)」「21世紀への警鐘」など全10章構成。作品103点(絵画87点、素描9点、写真7点)、資料14点によって、生涯にわたる活動を振り返っている。
検挙を嗤(わら)う
1931年に帰国した福沢は、戦時色が深まる41年4月5日、東京・成城署に検挙、拘留された。シュルレアリスムは共産主義と繋がっている、という嫌疑だった。福沢と並ぶ前衛芸術のリーダー、瀧口修造も、同日、杉並署に連行された。当局による前衛美術家への「見せしめ」的検挙だった。前衛美術家は目をつけられる存在だったらしく、前号(第12回「イサム・ノグチと長谷川三郎」)で紹介した長谷川三郎も同様に戦時中、「灯火管制訓練への非協力」を理由に兵庫・芦屋署に逮捕されている。長谷川の拘留は3日間だったが、福沢、瀧口の拘留は11月まで、7か月以上に及んだ。シラミ、南京虫、貧しい食事など劣悪な環境下での長期拘留だった。それだけ、当局も福沢の影響力を懸念していたということだろう。
釈放後に福沢を見かけた知人は、白髪が増えた福沢の姿に驚いたという。だが、後にこの「事件」を振り返った福沢の手記(「自画像」『福沢家小史』福沢小史刊行会1977年)は意外なほどさばさばとした書きぶりである。
それによれば、いくら「共産主義とは関係がない」、と言っても警察は「自白」を求めるばかりで、らちがあかなかった。嫌疑通りの自白を取ることしか頭にない様子だったという。拘留が5か月を超える頃に、福沢は「名案」を思いついた。警察には警察の期待通りの答えをして、次の検事の取り調べの際に無実を訴える、という二段構えの作戦だった。実行に移すと、第二段階では検事が目論見通り「手記は、皆本当ですか」と問う。福沢が「皆出鱈目(でたらめ)です」と答えると、「検事の御蔭で私はすぐ放免になった」という。
福沢は「正義はいまだ廃れず、司法官の頭は冷静であった」と振り返っている。この福沢の手記はいささか劇的過ぎる面もあるが、最後に「本当に人を馬鹿にした時代があったものだ」と言い放つ福沢の、屈折を感じさせない精神力、姿勢が印象的だ。
「水際立った振る舞い」
晩年の新聞記者とのエピソードも、同様に福沢らしさを感じさせる。新聞の名画シリーズで福沢を取り上げることにしたベテランの美術記者が、初期の代表作を取り上げる約束で準備を進め、アトリエを訪問した。すると当時90歳だった福沢は「今の仕事を見てくれよ。今の方がよっぽどおもしろいじゃねえか」と言い出したという。記者は一旦引き上げた上で福沢の意を汲み、作品をさしかえ、一晩で原稿もあらためた。記事が掲載されると、記者のもとに福沢から丁寧な礼状が届き、さらにその年の暮れ新聞社の玄関に福沢自身が現れ、「年末にあたって一言お礼を言いに来た」と告げた。記者は「その水際立った振る舞いに当方しばし呆然でした」と記している。(詳しくは、2019年1月26日付読売新聞に掲載された芥川喜好編集員のコラム「時の余白に 構想せよ、構築せよ」に紹介されている) 現実に目を向け、ハードルや葛藤があっても拘泥せず、先を見る。そのような福沢の生き方が浮かび上がってこないだろうか。
そして警察に拘留された経験を持ち、反骨、批判精神旺盛だった福沢が、後に文化功労者となり、文化勲章を受章する。検挙と国家最高レベルの栄誉。福沢ならではの離れ業だろう。
骨太の画家
本展を企画、構成した東京国立近代美術館・美術課長の大谷省吾さんは、「その美術史的な重要性に比べて一般的な知名度の低さを痛感する」という。大谷さんが福沢を研究テーマのひとつに選んだのは1990年代前半。時間をかけて、調査、研究を積み重ねてきた。展覧会を起案したのは2014年という。息の長さ、強い意志がなくてはゴールまで達することはできなかっただろう。
福沢の表現について、大谷さんは、彫刻出身らしく骨組みがしっかりしていることを指摘する。福沢作品のボリューム感のある人物、動物はいずれも存在感が頭抜けている。福沢は1920年代の滞欧時代に、古典作品に親しみ、特にバロックの巨匠、ルーベンスに関心を持ったという。量感あふれるダイナミックな画面は、たしかにルーベンスを思わせなくもない。

また、1986年(昭和61年)に描かれた「悪のボルテーがジ上昇するか 21世紀」は、マンハッタンらしい摩天楼と枯れ木を背景に、裸の人々が、紙幣を踏みつけながら、欲望をむき出しにしてつかみ合う姿が描かれている。金銭欲に発したいさかいが力任せの戦いに発展し、いつしか金のことも忘れて争い自体が目的になってしまったかのようだ。福沢はそれを肉感豊かに描きつつ、あざ笑っているようにも見える。大谷さんは、2001年9月11日の同時テロ事件とその後の社会を予見しているように思えるという。

日本の近代洋画復権へ思い
大谷さんは福沢のみならず、日本国内における日本近代洋画全体への関心の低下に危機感を抱く。背景には、日本の近代洋画が欧米美術の亜流に過ぎない、という見方がある。欧米の作品を日本で頻繁に鑑賞できる今、わざわざ日本の洋画を見ようとは思わない、ということになる。
だが「それは違う」と大谷さんは力をこめる。日本の近代洋画には独自の発想、歩みがある。福沢も、福沢ならではの批判精神、ユーモアで、西洋の追随ではない表現がある。それを示していかなくてはならないという思いが、大谷さんの根底にあるようだ。
もっとも硬派一辺倒ではない。チラシは、一般の人々の関心を引くよう思い切ったデザインにした。
お気づきだろうか。横書きされた福沢一郎の「福」の下に、サブタイトルの最後の一節「笑いとばせ」が縦書きで書かれる構図で、上から読むと「福笑い」と読めるしかけになっている。福笑いも、いわばコラージュの一種だ。展覧会のコンセプトに遊び心を重ね合わせたアイディアと見た。
5年がかりで作り上げられたこの展覧会は、大谷さんの日本の近代洋画復権への使命感と、福沢にも通ずるユーモアに支えられて出来上がったようである。
(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)
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2019年3月12日(火)〜5月26日(日) 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
(巡回なし)
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同時開催:
イメージコレクター・杉浦非水展 東京国立近代美術館 2Fギャラリー4
前期 2019年2月9日(土)〜4月7日(日)
後期 2019年4月10日(水)〜5月26日(日)
会期中に大幅な展示替え。
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The 備前ー土と炎から生まれる造形美ー
2019年2月22日(金)〜5月6日(月・休) 東京国立近代美術館工芸館