版画家・村上早さんの幸運な展覧会 【きよみのつぶやき】第11回 「gone girl 村上早 展」

ベテランアート記者・高野清見が、美術にまつわることをさまざまな切り口でつぶやくコラムです。

gone girl  村上早展

2019年1月12日(土)〜3月17日(日) 長野県 サントミューゼ・上田市立美術館

※巡回予定はありません。

大賞から4年、美術館で記念の個展

版画家の村上早(さき)さんが、美術館では初めてとなる個展を開いた。
武蔵野美術大学3年の時から本格的に銅版画を始め、現在は出身地の群馬県で制作を続けている。会期中に27歳の誕生日を迎えたが、その若さで大きな舞台に恵まれたのは美術家としてかなり幸運なことと言えるだろう。

もちろん、実力と評価があってのこと。同大学院に在学中の2015年、今回の個展会場である上田市立美術館で開かれた「第6回山本鼎(かなえ)版画大賞展」(主催・同展実行委員会、上田市など)で大賞に選ばれ、個展はそれを記念して上田市などが企画したものだ。
ただし、受賞から開催までに4年もかかっている。美術館の広い展示室を埋める作品を揃えるのは、旧作も含めてのこととはいえ、相当に大変な仕事だったらしい。

個展会場の村上早さん。左の作品は「ふうせん」 2015年 リフトグランドエッチング、アクアチント、スピットバイト 118×160cm
2頭の動物が糸につながれた風船のように浮かんでいる

印象的な大型版画

村上さんは2015年に公募コンクール「FACE展2015(損保ジャパン日本興亜美術賞展)」でも優秀賞を受賞。さらに平面作品の登竜門である「VOCA展2016」への推薦出品などで注目度を高めてきた。私もその頃から東京・銀座のコバヤシ画廊で開く個展を毎回見るようになり、本人にも何度かお会いしてきた。

その作品は、縦1mから時に2m近い和紙に刷られた大型版画で、黒々と太い線や色面が印象的。繰り返し描かれるモチーフがあり、特に多いのは少女だ。テーブルの下や寝台の上で一人遊びをしている情景や、心や体の痛みに耐えているかのように屈んだ姿。犬、熊、鳥といった動物や人魚も登場し、時には画面いっぱいに大きな炎や丸太小屋が描かれることもある。
単純な構図に見えるが、そうではない。近づいて表面を眺めると、消された線の痕跡や、色の中に潜んでいる形象もある。少女や動物たちも、何か複雑な事情を抱え込んでいるように感じられる。

展示室の冒頭にある「まわる」(2015年)=左=。右は「だびにふす」(同)
カフカの小説「変身」を思わせる「カフカⅡ」(右)と、「かくる」(いずれも2017年)
床に置かれているのは制作に使う銅板

顔の描かれない少女

いずれの作品も、村上さん本人の幼少期から現在に至る記憶や、トラウマとなった体験にさまざまな物語を絡めて表現している。しかし、見る人は村上さんの記憶や体験を知らなくても自分の体験を重ねたり、空想を広げたりすることができる。
幼少期をモチーフにする美術家の作品には、自分だけの世界を堅固に作り上げ、他人が容易に入り込めないものもある。それに比べ、村上さんの版画は素朴な線や童画めいた雰囲気のせいか、ずいぶんと無防備なたたずまいに思える。それも観客を引き付ける要素の一つだろう。
ただ、村上さんの描く人間や動物は怖い。少女の顔はほとんどの場合、消されたり画面の端で切り取られたりして表情が分からない。動物はやけに大きな体で表現され、少女の上にのしかかり、舌で顔をなめ、腕に噛みついていることもある。

新作の「きろく」。犬が少女の左腕をくわえ、少女の手足には犬のような毛が生えている

隣り合う「生」と「死」

村上さんの実家は群馬県高崎市にある動物病院で、幼い時から生きものと親しみ、多くの死やケガ、病気も見てきた。私が2017年にインタビューした時も「ちっちゃい時から勝手に手術室に入って、父が手術をしている(手術台の)下をちょろちょろしていました。臓器も身近なものだったので、あまり気持ち悪いという感覚がありませんでした」と語っている。

そんな生育環境もあって、村上さんの版画には当たり前のように生と死、愛らしさと残酷さが同居している。「群馬青年ビエンナーレ2017」(主催・群馬県立近代美術館)で優秀賞に選ばれた「すべての火」には、大きな炎の中にベッドが描かれているが、「火は生と死の両方を表すものとして描いています。ベッドのモチーフも、赤ちゃんが生まれ、年老いて亡くなるという生と死の意味を兼ね備えています」という。

右:「群馬青年ビエンナーレ2017」の優秀賞作品「すべての火」(2016年) 200×250cm これまでの作品で最大サイズ
左:「すてる」(2016年)

 

色を使った作品は少ないが、あざやかな色面が効果的
左:「かくす」(2016年) 右:「かくす-2」(同)

「傷」をめぐって

会期半ばの2月3日、上田市立美術館で展覧会を記念したトークイベントが開かれた。
村上さんは2018年、気鋭の作家・水原涼さんの2作の小説を収めた『蹴爪(ボラン)』(講談社)の装画を担当し、カバー画の「ほこら」など計5点の版画を制作した。村上さんを指名したのは1962年生まれのグラフィック・デザイナー、鈴木成一さん。1万冊以上の書籍を手がけてきた装丁家として有名だ。一つの本をきっかけに知り合った3人が、村上さんの作品や本作りについて語り合った。

そこでキーワードとして挙げられたのが「傷」。村上さんは「皮膚の傷に紙を当てると、傷の形が反転して写る。『版画と同じだ』という意識のもとで制作をしています」と語った。銅版画を作る時に「金属の板に付く傷は人間の心の傷、インクは血、紙はガーゼ包帯」と感じているというから、かなり生々しいイメージだ。

左から「いぞん」、「どく」、「ふうせん-2」(いずれも2018年)

 

それに対して、村上さんの作品をいつか装丁に使いたいと思っていたという鈴木さんは「傷ついていながら、どこかいじましいと言うか、決して露悪的でない無垢な透明感がある」と評し、「水原さんの作品と共感するところがあった」と村上さんに装画を依頼した理由を語った。
1989年生まれの水原さんは、92年生まれの村上さんと同世代。版画の中に一度描きながら消したモチーフの痕跡がそのまま残っていることに興味をひかれたという。「一回描かれた物語を消して、また作り直している。複数の物語がレイヤー(層)状に重なり、作品を見ていると制作の上で選び取られなかった物語にも思いをはせる面白さがある」と、作家らしく重層的な物語性を指摘した。

(左から)鈴木成一さん、水原涼さん、村上早さん=上田市立美術館で

水原さんの著書『蹴爪(ボラン)』(講談社)のカバーに提供した「ほこら」(2018年)

 

村上さんは制作方法も語った。下書きをせず、床に置いた銅板にいきなり筆とポスターカラーで絵を描くという。その銅板を腐食させて版を作る「リフトグランドエッチング」という版画技法は、筆の感触をそのまま表現できるため、絵画を描くのに近い感覚がある。
大きな作品は何枚かに分けて版を作り、一枚の版画作品になるよう並べてプレス機で刷るが、あえて並び方を替えることもある。パズルの組み合わせのように「とっかえ、ひっかえしながら作ります」。それが画面の整合性を狂わせ、非現実的な雰囲気を生み出している。

作品について語る村上早さん

いつか「版画」を超えた場所へ

村上さんの名刺には「版画家」と刷られているが、「このまま銅版画に固執してやっていくつもりはなくて、表現の一つとして扱いたいと思っている」と話す。トーク会場で今後の作品について聞かれると、「まだいつになるか分からないんですけど、もっと空間演出というような、インスタレーションとか立体とか、そういう方にも表現方法を広げていきたいと思っています」と答えた。

銅版画に固執するつもりがないから、というわけではないだろうが、村上さんは完成した自分の作品に対して意外に無頓着なところもあるようだ。
今回の展覧会を担当した上田市立美術館の中村美子学芸員は、山本鼎版画大賞展に応募してきた村上さんの作品「息もできない」との最初の出会いを図録論文に書いている。

《審査に向けて、全国各地から届く作品の多くは途中で壊れないよう厳重に梱包されている。その中に一つだけ簡易な包装で、包みを開けると額から作品がはがれ、壊れかけた作品があった。作者に連絡を取ると、両面テープで貼り付けて欲しいとのこと。指示されたように対応し、全貌が見えた時、言葉を失った。》

右:第6回山本鼎版画大賞展の大賞作品「息もできない」  2015年 リフトグランドエッチング、アクアチント 85×98cm 上田市立美術館蔵
左:「ばつろⅡ」(2015)

 

作品を4年間見てきた私にも、その資質は版画というジャンルに留まるものではないように感じられる。若い美術家が変貌していく過程を見ることができるのは、同じ時代を生きるめぐり合わせがあってこそ。村上さんのこれからの作品を楽しみに待ちたい。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

小さな作品も魅力的。大画面の版画を本格的に作るようになったのは、武蔵野美術大学の卒業制作から。それまでは小サイズの版画をたくさん作っていた

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