名もなきヒーローたちへ 【きよみのつぶやき】第10回 「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」展

ベテランアート記者・高野清見が、美術にまつわることをさまざまな切り口でつぶやくコラムです。

 

Oh!マツリゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」展

2019112日(土)~ 317日(日) 神戸市・兵庫県立美術館

巡回予定はありません。

断トツで風変わりなタイトル?

 

無名、有名が織りなす昭和~平成

兵庫県立美術館(神戸市)の「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」展は、今年開かれる全国の展覧会の中でも断トツで風変わりなタイトルだろう。
その意味を説明するには、展覧会図録の冒頭に載っている「ごあいさつ」を引用するのが手っ取り早い。

《本展は、昭和と平成、90年を超える時間のなかで生まれた美術や大衆文化にあらわれた人間の姿について、無名の人々の集団(本展では「ピーポー」と称します)と、特別な存在である「ヒーロー」というふたつの人間のあり方を取り上げ、「集団行為」、「奇妙な姿」、「特別な場所」、「戦争」、「日常生活」の5つのテーマに沿ってご紹介します。》

展覧会の意図は、有名・無名の人々が織りなしてきた時代を、美術や大衆文化を通して考察することにある。だが、昭和~平成のほぼ一世紀にもわたる期間を一つの展覧会で扱うのは、いささか無理があるのではないか?

出てくるわ、出てくるわ

ところが展示室に入り、最初のテーマ「集団行為」に並んだ昭和初期の労働争議やメーデーを扱った作品を見て、腑に落ちた気分になった。その時、頭に浮かんできたのは展覧会とは直接関係のない中原中也の詩である。

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午(ひる)休み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

( 「正午 丸ビル風景」 詩集『在りし日の歌』より)

 

中也がこの詩を発表したのは昭和12年(1937年)の「文学界」10月号。1923年(大正12年)に東京駅前で丸ビル(丸ノ内ビルヂング)が完成してから15年後に当たる。
昼時のオフィスビルから大勢の人が吐き出されてくる光景は、都会への人口流入と、都市生活者の画一的な生活を象徴するものだ。当時、東京を離れて鎌倉に住んでいた中也は、上京して目にした集団のエネルギーにたじろぎ、不気味さも覚えたのだろう。

一方、都会の工場では地方から出てきた大勢の若者たちが働いていた。労働者の待遇改善を求めた争議やデモも絶えず、それはプロレタリア美術、プロレタリア文学の題材ともなった。

モダンの先端を行く丸の内の勤め人たちと、工場労働者たちとの間には大きな境遇の開きがある。しかし、どちらも近代社会が生み出した大衆、無名の人々(people=ピーポー)であることは共通している。同じコーナーには戦後のビル建設現場で働く労働者を描いた靉嘔(あいおう)の絵画「若い仲間たち」や、60年代の安保闘争で衝突する若者と機動隊を撮影した東松照明の写真なども並ぶが、それらの作品にもヒーローらしき人物は登場しない。

左:出征兵士を見送る人々を描いた阿部合成「見送る人々」 1938年 兵庫県立美術館
右:戦後の「東宝争議」を取り上げた内田巌「歌声よ起これ(文化を守る人々)」 1948年 東京国立近代美術館

 

仮面、変装、制服

続く「奇妙な姿 制服と仮面」のテーマに進むと、ようやく具体的なヒーローが現れる。
昭和初期は子供たちが熱狂したヒーローが数多く登場した時代。それを担ったのが少年少女向けの雑誌文化だった。昭和2年生まれの作家、北杜夫さんは『どくとるマンボウ追想記』(中公文庫)で「小学校のころの読書といえば、もちろん『少年倶楽部』に尽きる」と述べ、田川水泡の「のらくろ」や島田啓三の「冒険ダン吉」などの漫画とともに、吉川英治、佐藤紅葉、海野十三らの熱血小説、冒険小説を挙げている。

展示室では江戸川乱歩の「怪人二十面相」や「黄金バット」(鈴木一郎作、永松健夫画)を紹介しているが、悪玉・善玉のヒーローである怪人二十面相、名探偵・明智小五郎がともに変装によって他人の印象を操作し、あらゆる階級に紛れ込んで行動していたことを指摘する。
人は見た目で判断される。戦時体制下にガスマスクを着けて行進する女学生たちの写真(1936年、堀野正雄)や、デモ隊に立ちはだかる機動隊の制服を描いた北川民治の絵画「白と黒」(1960年)は、統一された服装がそれぞれの人間の個性を見えにくくし、時には権力や抑圧の象徴になることを伝えている。

左手前:「怪人二十面相」(江戸川乱歩作、小林秀恒画)の挿絵原稿 1936年 講談社
左 上 :「黄金バット ナポレオン探偵」(鈴木一郎作、永松健夫画) 1931年 谷口陽子
右:北川民次「白と黒」 1960年 刈谷市美術館(愛知県) 制服姿の機動隊がデモ隊を取り締まる光景を描く

 

戦争が生み出すヒーロー

ヒーローとピーポーがもっとも分かりやすい形で現れるのが「戦争」のテーマだ。
日本画家の川端龍子(りゅうし)が描いた山本五十六・連合艦隊司令長官の肖像画は、山本長官が戦死した1943年の作。地球儀を横に立ち、海図を見つめる英雄的なポーズは、当時のメディアで流布していた山本長官の写真を踏まえたものだろう。
戦前から親交があった小泉信三・慶応義塾長(当時)は「炯々(けいけい)として而(しか)も魅力ある眼、大きく強く結んだ唇」と、連合艦隊を率いる山本長官の風貌を表現しているが、それが国民に広く定着していたイメージだった。
しかし小泉は、開戦1周年の新聞に載った山本長官の写真を見て、次のように書いている。

「その鬢髪(びんぱつ)は白くなり、その面貌は威重を加え、一年前に地球儀を傍らにして、参謀長がコンパスを以(もっ)て指し示す地図の上を見る写真の、利(き)かん気の青年士官らしい俤(おもかげ)はなくなっている。『ああ、司令長官も年を取られた』と思い、一年の労苦を察したが、妻はこの写真を見て泣き、かかる大将の下に戦ったのなら信吉(戦死した小泉夫妻の長男)は死んでも惜しくないと言った」(『海軍主計大尉小泉信吉』文春文庫)

小泉はこの時、世間に流布していた「英雄」のイメージとのずれを感じ取っている。戦況は次第に悪化し、最前線の激励に向かった山本長官が米軍機の待ち伏せに遭って戦死するのは、それからわずか4か月後だった。

戦争は山本長官のような将官だけでなく、「肉弾三勇士」(上海事変で爆弾もろとも突撃して血路を開いた兵士たち)や、「九軍神」(真珠湾攻撃に特殊潜航艇に乗り組み、未帰還となった9人。生存した1人は捕虜第1号になった)、「神風特別攻撃隊」など、無名の士官・兵士をヒーローにした。
展示室には1942年公開の映画「ハワイ・マレー沖海戦」の資料、一兵士と「銃後」の家族を描いた紙芝居、陸軍の委嘱で画家が描いた作戦記録画(戦争画)などが並び、さまざまなメディアを通してヒーローの物語が喧伝されたことを物語る。

左:川端龍子「越後(山本五十六元帥)」 1943年 大田区立龍子記念館(東京)
中央:鶴田吾郎「神兵 パレンバンに降下す」 1942年 東京国立近代美術館(米国から無期限貸与)
紙芝居「チョコレートと兵隊」(国分一太郎脚本)1939年  昭和館(東京)
「これは群馬県桐生市に、ほんたう(本当)にあったお話です」という語り出しで、無名の兵士と留守宅の子供たちとの親子の情を描く

無名の「ピーポー」たちの怨念

展覧会には4人のアーティスト、会田誠、石川竜一、しりあがり寿、柳瀬安里が本展のために制作した新作も出品されている。
会田誠さんの作品「MONUMENT FOR NOTHING V ~にほんのまつり~」は、展示室に吊るした大きな張り子の兵士像。その指先は国会議事堂を思わせる建物の上に伸び、まるで起爆装置のボタンを押そうとしているような不穏さを漂わせる。陸軍の戦闘帽を被った姿はやせ衰え、眼窩も落ちくぼみ、戦闘帽から垂れ下がる日除け用の布から、南方戦線でマラリアと飢えに斃(たお)れた無数の兵士を連想させる。

会田誠《MONUMENT FOR NOTHING V ~にほんのまつり~》
木材、針金、凧糸、障子紙、木工用ボンド、アクリル絵具 2019年

 

この作品を見て思い出したのは、2017年に刊行されて話題を呼んだ吉田裕著『日本軍兵士--アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)だ。
この本は軍人・軍属と一般民間人の全戦没者数を約281万人と推計し、その91%が1944年1月から翌年8月の敗戦までの期間に集中していると分析している。また、兵士の最大の死因は餓死を主とする戦病死であり、敗戦までの最後の1年に集中していると指摘した。さらに「無残な死」を招いた理由として、医療、装備、補給などロジスティックの軽視と、作戦の完遂を最優先して極端な精神主義を強いた軍の体質などを挙げている。

1965年生まれの会田さんは、私と同い年。この世代は子供の頃に親や教師から戦時中の体験を聞き、少年向けの戦争漫画や戦記物を読んで、多少とも戦争に関する知識を持っている。

しかし会田さんは、自身のツイッターで作品の「元ネタの一つ」として挙げた『日本軍兵士』を読み、おびただしい数の兵士たちが国家から見放された状況下で飢餓に斃れていった事実に愕然としたのだろう。鬼気迫る兵士の像は、会田さんが無名の一兵卒たち(ピーポー)にささげた慰霊碑のようにも映る。

会田誠《MONUMENT FOR NOTHING V ~にほんのまつり~》

 

もともと会田さんは、戦時中に画家たちが描いた作戦記録画を翻案し、零戦の編隊がニューヨークを空襲する空想画などの連作「戦争画 RETURNS(リターンズ)」をはじめ、戦争や国家、社会、美術史に対する風刺や批評性の強い作品を発表してきた。

それらに比べ、今回は会田さん特有の脱力感やブラックな笑いを誘う要素が感じられず、主題をストレートに表現した「ベタ」な作品だと思った。ただし、議事堂を思わせる建物には裏側に紙が張られておらず、「言論の府」であるはずの国会が実は空虚な存在であると風刺しているようにも見える。

会田誠《MONUMENT FOR NOTHING V ~にほんのまつり~》

小さな「ヒーロー」たちの時代

展覧会を顧みて、今日では国民がこぞって礼賛するようなヒーローがいなくなったと感じる。
平成の歌姫となった安室奈美恵さんや、彗星のように現れたテニスの大坂なおみ選手のように、時代を象徴する人物はこれからも現れるだろう。しかし、ニュースがすぐに消費され、話題の主が次々と移り変わる時代、ヒーローが注目を集め続けることはもはや難しい。
価値観と興味が多様化する中で、人々はそれぞれの関心領域の中でささやかなヒーローを見つけるようになった。今は「ヒーロー」と「ピーポー」がかつてないほど接近した時代と言えるかもしれない。

来年は東京オリンピック・パラリンピックが開かれる。1964年の東京大会のように、日本代表選手をはじめとする多くのヒーロー、ヒロインが生まれ、再び国民が熱狂する光景は見られるのだろうか。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)