詩人・平田俊子 ×「河鍋暁斎 その手に描けぬものなし」展 【スペシャリスト 鑑賞の流儀】

「スペシャリスト 鑑賞の流儀」は、さまざまな分野の第一線で活躍するスペシャリストが話題の美術展を訪れ、一味違った切り口で美術の魅力を語ります。

詩人の平田俊子さんに、サントリー美術館(東京・六本木)の「河鍋暁斎」展を鑑賞していただきました。

平田俊子(ひらた・としこ)

詩人。詩集『戯れ言の自由』(紫式部文学賞)、『詩七日』(萩原朔太郎賞)。小説『二人乗り』(野間文芸新人賞)。エッセー集『低反発枕草子』『スバらしきバス』。2015年から読売新聞「こどもの詩」選者。2019年5月12日、詩人の伊藤比呂美さんと山形県酒田市の「ひらたタウンセンター」にある「シアターOZ(オズ)」で朗読とトークのイベントを開く予定。

「その手に描けぬものなし」

幕末~明治に活躍した河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい、1831~89年)は、美人画から妖怪、幽霊、風刺画に至る幅広い画題を卓越した筆で描き、「その手に描けぬものなし」と評された人気絵師でした。
明治維新で急速に変化を遂げる世の中を風刺した戯画や、酒席で一気呵成に描く「席画」を得意としたことから、反骨で奔放な「戯画」の作者というイメージでよく語られます。
しかし、没後130年を記念する今回の展覧会は、数え年10歳で江戸の狩野派絵師に入門した暁斎が終生その自負を失わず、狩野派の技法と古画学習のスタイルを基に画業を展開したことに注目しています。

風格あるカラス

展示室に入ると、第一章「暁斎、ここにあり!」でいきなり重要な作品に出会いました。「枯木寒鴉図」(こぼくかんあず:3月4日まで展示)です。明治14年(1881年)、第二回内国勧業博覧会で「妙技二等賞牌」を得た作品で、暁斎は当時としては破格の値段をつけ、世の中の批判に「長年の苦学の値である」と答えたそうです。その言葉を意気に感じた東京・日本橋の和菓子屋「榮太樓(えいたろう)總本鋪」の二代目主人が買い求め、さらに評判を呼びました。

河鍋暁斎「枯木寒鴉図」(右)  絹本墨画  一幅 明治14年(1881年) 榮太樓總本鋪所蔵 【展示期間:3月4日まで】  「花鳥図」(中)絹本著色  一幅 明治14年(1881年) 東京国立博物館所蔵【展示期間終了】  「観世音菩薩像」(左)絹本著色 一幅 明治12~22年(1879~89年) 日本浮世絵博物館所蔵 【展示期間:3月4日まで】

 

クチバシを見ると街によくいるハシブトガラスのようですが、路上のゴミをあさるカラスには見えませんね。遠くを見つめて何かを考えている顔で、鷹のような風格があります。すっきりした構図だから墨の濃淡が際立ちますね。

河鍋暁斎記念美術館(埼玉県蕨市)のミュージアム・ショップでは2016年5月から「枯木寒鴉図」のカラスを缶にあしらった榮太樓の黒飴を販売し、人気商品になっているそうです。価格は税込み540円。サントリー美術館のショップでも河鍋暁斎展の会期中に買うことができます。
「枯木寒鴉図」は当時高い買い物だったでしょうが、代々語り伝えられ、榮太樓さんにとっては大変な宣伝効果があったと言えるかもしれませんね。

 

こんな地獄なら行ってみたい?

二十代の頃、私は葛飾北斎や月岡芳年の絵が好きで、その流れで暁斎を知りました。画集などで見るたびに気持ちが沸き立って、前々から興味を持っていました。
展覧会の第二章「狩野派絵師として」、第三章「古画に学ぶ」では、龍や虎、観音図、鶴や鷹など、伝統的な画題を端正に描いたいかにも画技の光る絵が紹介されています。その一方で無残な場面や死体を描いたものもあり、絵師としての幅の広さがわかります。暁斎の絵を見ていると、生と死は別のものではなく、一つにつながっているんだなと思えてきます。生者に死の気配、死者に生の名残りを感じます。

 

暁斎の絵にはウィットやユーモアのある作品が多いのですが、地獄絵もそうですね。怖いはずの閻魔様も、話せばわかってくれそうな人間臭さと温もりを感じます。「こんな地獄なら、ちょっと行ってみてもいいかな」という気になります。
大坂・堺の遊女と一休和尚を描いた「地獄太夫と一休」という一幅では、骸骨たちが絃のない三味線に合わせて陽気に踊っています。骸骨にも生命力があり、おかしな言い方ですけど生き生きしている。一休まで骸骨の頭の上で踊っていて賑やかですが、屏風の絵は死を思わせるようにしんと静かです。この対比が暁斎らしいですね。

「地獄太夫と一休」(右) 絹本著色 一幅 イスラエル・ゴールドマン・コレクション

 

生々しい幽霊画

暁斎の「幽霊図」はあばら骨の浮き出た女の幽霊が描かれています。幽霊画を得意とした円山応挙の描く幽霊よりもぞっとします。
この世に心残りがあるような、哀しい表情をしていますね。なぜか片目が青く、やせこけているのに髪は黒々としてたっぷりある。着物の片方の袖は行燈の光に照らされて真っ白ですが、もう片方には可憐な植物の柄が残り、生きていた頃を思わせます。生と死を着物の袖で表わしているのでしょうか。顔も光と闇に二分されていますね。
愛しい人に裏切られて死んでいったのかもしれませんね。相手の人はまだ生きていて、この部屋にいたりして。行灯の下の方にある細長いものは煙管(きせる)のようです。女性を裏切った人の存在を煙管で表わしているのかな。この女性も遊女でしょうか。眺めているうちにいじらしく思えてきました。恐さの中に美を感じます。

 

「正統」と「異端」を一人で

暁斎は画家や書家がその場で制作した作品を販売する「書画会」や、宴席で興に任せて描く「席画」で人気を博しました。明治3年(1870年)には書画会で描いた絵が「貴顕を嘲弄した」(高貴な人々や高官を侮辱した)として投獄され、「狂斎」の号を「暁斎」に改めています。
こうした話などから、酒好きで破天荒な画家だと思われがちですが、実は生涯にわたって先人たちの古画を学習し、日々修練を続けた努力の人でもありました。
暁斎には「正統」と「異端」を一人でやったようなところがあると思います。

先人に学び、自己流にアレンジ

今回の展覧会には、河鍋家に数多く残されている古画の模写や下絵のうち、初めて出品される作品もあります。雪舟や円山応挙が描いた龍や虎、山水図などを縮小して模写し、画題の参考にした「縮図帳」「縮図画巻」、古画の画題や写生を描いた「暁斎手控帖」などが並んでいます。
「惺々暁斎下絵帖」(せいせいきょうさいしたえじょう)は十代から五十代まで(1846~84年)の模写や下絵を貼り込んだ画帖です。

暁斎の「鷹に追われる風神図」は、風神が鷹に追われて必死に逃げているユーモラスな絵です。狩野派絵師たちが制作した一連の「戯画図巻」に描かれた、風神が鷹に連れ去られてしまう絵を元にして描いた可能性があるそうです。同じ風神でも、俵屋宗達が描いた風神と違って貧相ですね。鷹の方が堂々としていて立派です。上から下に向かうスピード感がありますね。背景の滝も舞台効果をあげていて、激しい水音が聞こえるようです。「枯木寒鴉図」や「幽霊図」の「静」の世界とは違い、動きがありますね。
暁斎が先人たちの絵を深く学び、ただ真似るのではなく自己流にアレンジして、新しい表現を生み出していったことがうかがえる作品だと思います。

「一生稽古」

暁斎が時間をかけてじっくり描いた絵、即興で描いた絵、どちらも面白いですね。蛙も鯉も髑髏も妖怪も人間も、表情が豊かでみんな面白い。細部に発見があって見飽きることがありません。どの絵もエネルギッシュですね。
子どもの頃からたくさん写生をしてきたそうですが、何もかも自分の筆で描いてみないではいられなかったのでしょう。暁斎は「一生稽古」と彫った印章を用い、最晩年まで古画の学習を怠らなかったそうです。大胆で独創的なようですが、先人たちの技法をしっかり学んだから暁斎の絵は今なお生命力にあふれ、見応えがあるのではないでしょうか。絵に対するほとばしるような情熱を生涯持ち続けた人なのでしょうね。いい言葉ですよね、「一生稽古」って。私もこの言葉を彫ってもらおうかな。

(聞き手 読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

河鍋暁斎記念美術館(埼玉県)が所蔵する「風俗図等貼り込み画帖」(上)、「暁斎手控帖」(手前)。古画の模写や下絵の数々が「一生稽古」の覚悟を伝える 【全期間展示】(ただし場面替えあり)

 

・河鍋暁斎 天保2年(1831年)、下総国古河(現・茨城県古河市)生まれ。翌年、一家で江戸に移り住み、数え年(以下同じ)7歳で浮世絵師・歌川国芳の画塾に入門。2年ほどでやめ、10歳で狩野派の画塾に入門した。27歳で独立。「狂斎」の号で描き始めた戯画が人気を博したが、40歳の時に書画会で描いた戯画が貴顕を嘲弄しているなどして捕らえられ、画号を「暁斎」に改めた。作品は日本に滞在する外国人にも評判を呼び、英国人建築家ジョサイア・コンドルが入門して「暁英」の号を与えられ、親密な師弟関係を結んだことは有名。暁斎の生涯をつづった瓜生政和著・河鍋暁斎画『暁斎画談 外篇(がいへん)』は「国立国会図書館デジタルコレクション」 で読むことができる。

・書画会 幕末~明治前半に各地で流行した書画の頒布会。料理茶屋などに席料を取って客を集め、画家や書家が客の目の前で揮毫した書画(席画)を展示即売した。新聞にも告知記事が載り、明治17年(1884年)4月6日の読売新聞には、書画会が盛んに開かれていた両国・中村楼で河鍋暁斎が「終日千枚画(描)き」をする、とある。今回の展覧会には暁斎が書画会の賑わいを描いた「書画会図」(個人蔵)も出品された(3月4日まで展示)。

◇開催概要 「河鍋暁斎 その手に描けぬものなし」

サントリー美術館(東京・六本木)

2019年2月6日(水)~3月31日(日)

 

展覧会場の平田俊子さん