北斎の全貌に迫る【イチローズ・アート・バー】第10回

東京・ニューヨークで展覧会企画に携わった読売新聞事業局・陶山(すやま)伊知郎の美術を巡るコラムです。
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「新・北斎展」開催中
当コラム8回目で葛飾北斎(1760~1849年)と大江戸グルメを絡めた展覧会を取り上げたが、ここでは、これまでに知られていない、あるいは再発見された北斎の世界にも焦点を当てた「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」を紹介したい。「グレート・ウェイブ(大波)」と称されて国際的に名高い「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」やジャポニスム流行の契機となった『北斎漫画』など北斎の世界はまだまだ幅広く奥深く、国内外で北斎研究が進行している。東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで開かれている「新・北斎展」はこうした最新の研究成果を反映して北斎の全貌に迫る試みで、国内外に所蔵の名品約480件が展示される(展示替えあり)。
本展の企画は、北斎研究の第一人者で、東京・太田記念美術館の副館長などを務めた永田生慈(せいじ)さん(1951~2018年)が、約10年前から進めてきた。残念ながら開催には立ち会えず、昨年没したが、その遺志を継いだ関係者によって、平成の北斎研究の集大成として実現した。中核は、永田さんが私財を投じて築いた北斎コレクションである。生涯を北斎研究に捧げた研究者の歩みも、この展覧会の隠し味となっている。
画号とともに
北斎は90歳で亡くなるまで、画号を頻繁に変えたことで知られる。常に新しい境地を目指したが、本展は、主な画号によって活動期を6期に分けて構成されている。
勝川派の絵師として活動した「春朗」期(20~35歳頃)、摺物(すりもの=私家版の版画)や狂歌絵本の挿絵、肉筆画などに取り組んだ「宗理」期(36~46歳頃)、読本の挿絵に傾注した「葛飾北斎」期(46~50歳頃)、絵手本を手掛けた「戴斗(たいと)」期(51~60歳頃)、「冨嶽三十六景」をはじめ、錦絵の揃物を多く制作した「為一(いいつ)」期(61~75歳頃)、肉筆画に専念した最晩年の「画狂老人卍」期(75~90歳頃)である。
永田さんの志を継いだ浮世絵研究家の根岸美佳さんは「(北斎は)最初から上手(うま)かったわけではありません」という。確かに駆け出しの「春朗」時代の作品は型通りといった印象だ。そこから70歳代の「冨嶽三十六景」で見せた波や富士山の迫力や大胆さ、鬼気迫る最晩年の肉筆画に至るまでの変遷をたどることができるのもこの展覧会の見どころ。
知られざる北斎との出会い
さらに、知られざる作品との出会いは、新しい視点をもたらす。たとえば初公開となった「春朗」期の「鎌倉勝景図巻」の叙情的な水辺などは、これも北斎なのか、と新鮮な驚きを呼ぶ。俳句を書きつけるための料紙とみられ、俳諧とのつながりを初めて具体的にうかがわせる作品だ。

「宗理」襲名後の初仕事だったと考えられる「津和野藩伝来摺物」は、全点が公開されるのは初めて。津和野藩(現在の島根県津和野町)の藩主・亀井家に伝わるもので、贅沢な絵の具を使い、細密な描写へのこだわりが感じられる。絵暦、狂歌摺物、俳諧摺物などで構成され、「楊貴妃、小野小町、蓮華女」や「金太郎の書初め」など主題の面白さも魅力だ。何より目を引くのは色の美しさで、冊子のような帖として閉じられていたので、状態が極めて良いという。全118点が、会期中に4回に分けて公開される。


1世紀ぶりの帰国
本展開催中に、永田さんの一周忌命日(2月6日)を迎えることから、急遽、出品が決まったのが「隅田川両岸景色図巻」(1月17日~2月11日展示。展示面替えあり)。両国橋、吾妻橋を経て吉原に及ぶ景色を描いた7メートルの絵巻物だ。戯作者の烏亭焉馬(うていえんば 1743~1822年)の求めに応じて、焉馬の自宅で制作されたことが明らかになっている。描かれた場所、制作過程がこれほど特定できる例はほとんどないという。19世紀後半にフランスに渡った美術商、林忠正(1853~1906年)が1902年に、パリのオークションにかけたことは確認されていたが、その後の行方はわからなかった。その図巻を約100年ぶりに確認し、日本に「里帰り」させたのは永田さんの力だという。
隅田川両岸の実景を詳細に描いた肉筆画で、陰影を用いた描写は、従来の北斎作品にはあまり見られない。この時期にも肉筆画を描いてきたことを示し、北斎の幅広さ、奥深さを感じさせる一点でもある。

「戴斗」期の『北斎漫画』や晩年の肉筆画などがずらりと並び、米シンシナティ美術館所蔵の「円窓の美人図」、「向日葵図」など海外所蔵作品も花を添えている。
研究者の作品発掘
本展ではこのように新発見、再発見、初公開作品が少なくないが、その多くは、永田さんの地道な北斎研究に依るものだ。
明治末に画集で紹介されて以降、表に出ていなかった晩年の肉筆画の大作「弘法大師修法図」は、1983年、永田さんを含む調査チームが東京・西新井大師總持寺の物置で発見した。

メトロポリタン美術館所蔵の『画本葛飾振』(版下絵)は、1993年に永田さんの監修で東武美術館などが開催した「江戸が生んだ世界の絵師 大北斎展」で初めて日本に紹介された。
シンシナティ美術館所蔵の「向日葵図」「かな手本忠臣蔵」は1994年の調査で発見した作品で、今回が日本初公開となる。

ほかにも、「鍾馗図」(1月17~28日展示)は、若いころの画号である春朗の落款のある唯一の肉筆画として知られる。パリ・ギメ美術館所蔵の「雲龍図」は、2005年の調査で、東京の「雨中の虎図」(太田記念美術館蔵)と表装が同じであり、構図も合致することに気づき、双幅であることが判明した。
北斎の真価 観察眼
多様な作風を見せる北斎だが、対象をとらえる確かさは一貫している。それを支えたのは目の良さだ。視力が晩年まで相当よかったらしい。年齢を重ねてからの鋭い観察も、こうした裏打ちがあったから可能だったのだ。
北斎を名乗った頃、特定の師匠、特定の流派と決別するかのように、「自然を師とする」と宣言し、海、山、河川、滝、動植物と、自然を徹底的に見つめた。その眼差しがとらえた作品には、動きはもちろん、スピード、変化が感じられる。見えた姿を写しただけの作品とは異なり、前後の時間的な繋がりが画面に潜んでいるかのようだ。根岸さんは「それが今の人たちを引き付ける一つの理由でしょう」と指摘する。「今の時代、北斎が今生きていたら、まず写真はやるでしょうね。次にアニメーション、動画へも進んだような気がします」と続けた。
「Update (更新) される」北斎像
今回の展覧会は平成時代の研究の集大成だが、北斎の創作活動はまだ判明していないことも多い。「永田先生が100歳まで生きてもすべての解明は無理と思われるほど、北斎は奥が深いと思います」(根岸さん)という。今回の「集大成」は終着点ではなく、これからも研究は続き、また「新しい北斎」に出会える出発点ともなる。今後の「Update」を楽しむためにも、今の北斎像を十分に味わい、確かめておきたい。
(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)
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新・北斎展 HOKUSAI UPDATED
2019年1月17日(木)~2019年3月24日(日) 森アーツセンターギャラリー(東京・六本木)
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島根県立美術館でも「永田コレクション」公開
門人の作品を含め、永田コレクションから約2000件を寄贈された松江市・島根県立美術館は、10年がかりで作品を公開する予定という。まず、第1回となる「開館20周年記念展 北斎ー永田コレクションの全貌公開〈序章〉」が2月8日から3月25日まで同館で開催される。